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前回に続いて行川アイランド駅から勝浦まで歩いた。(2009.03.11) 勝浦に向う前に、前回は時間切れでパスした 大沢集落(勝浦市)を訪ねる。 ここは海に面した 断崖が V字に 割れて沢を形成している。そして この沢に 戸数40余りの 大沢集落がある。 伊能図にも大沢村として表記されている。 集落に入るには、JR行川アイランド駅前の国道を戻り、「おせんころがしトンネルの手前で右に入っていく。 分岐を左にとると 大沢第一トンネルが出てくる。 このトンネルが 結界となって、いよいよタイムスリップして別世界に入るのだ。 期待を込めてトンネルを通過すると集落の中央に出た。 想像していたよりかなりこじんまりとしている。 土地が狭いから塀や門柱のある家は殆ど無い。 JRラインもご覧のように軒先をかすめるように走っている。 集落を観察するには、まず一番高いところに上がってみるべきだ。 家並みの中央の人ひとり通れる小径を辿ってV字谷の 一番高いところにある 八幡神社に 登る(海抜65m)。 拝殿右手前には嘉永元年の手洗石と、向拝や社殿の周りには立派な彫り物がある。 あらためて密集した家並みを俯瞰する。 V字に開いた前面に水平線が高い位置に見える。 生業の場は海にあるから、毎日坂を上り下りして漁港に出ることになる。大変だとおもうのは外来者で住民は年寄りでもすたすた行き来している。 ここは平地が少ないから仕方が無いが、沿岸を歩いていると漁師町は概して家屋が建て込んでいる印象を受ける。 農村とは対照的である。農家では広い敷地を持っている家が多い。 漁師町では浜の作業小屋で網の繕いなどをしている光景を良く見かける。 この違いは作業の場所の違いかもしれない。漁村では 作業場が浜にあり、農家では母屋の前庭にあるからだ。 どてら坂 40戸ほどの戸数だが 集落には二つの寺があった。漁港近くの久成寺(日蓮宗)と中腹の十輪寺(天台宗)だ。 大沢集落の崖上にも40戸近くの「上大沢」集落 があって、上大沢とは急峻な坂でつながっている。 昔大沢村に入るには房総往還の「市の坂」から分かれてこの坂を下って来たのだ。 十輪寺脇の急坂を登って行くと墓掃除をしている初老の男性に会った。 坂の名前を訊ねると、「どてら坂」と答えが返ってきた。 面白い名前なので更に訊ねると、登るほど「どてら」を脱ぐほどの急な坂 ということからという。 今では「どてら」を知る人は、それなりの齢を重ねた人になったが 「房総の思いで写真集」などを見ると昔の漁師さんは皆「どてら」を日常着としてるのを見ることができる。 今はコンクリートの階段道だが昔は苦労したとも言っている。 港に向う男性の後について坂道を戻り、国道の 大沢橋 の下をくぐって漁港に出る。 この大沢集落に 興味をもったのは、昔は 隔絶された集落だから、家並みなど 古い何かが 残っていないかと期待してのことだった。 外見的には今風の建物だし、港には活気があって期待はやや外れた感があった。 どうしても 外来者は 感傷的な 予断を してしまう。 知らない街を 歩くとき、私は表札をみる。 同じ姓の表札が多い場合には、「この辺は○○さんが多いですね」と話しかけると、話の緒ができて会話がスムーズに進むからだ。 ただ、この集落では殆どの家に表札が無い。ここに限らず沿岸を歩いていると表札が無い家が多い。 街中では新築すると表札を出すのが普通だ。それも結構見栄えを気にして洒落れたものを出す。 これは漁師町特有の現象なのであろうか。表札に限らず集落を色々比較しながら歩くはのは面白い。 漁港では「金目鯛」が 水揚げ中であった。見事なキンメが篭一杯に溢れている。都会のスーパーなどでは一切れ千円もする。一尾 数千円もする 高級魚だ。 水揚げされたばかりの大きなキンメをレジ袋に入れて家路につく中年の女性と立ち話する。 良い処ですよ、と話した後で小声で、狭い土地だから付き合いが難しいとも付け加える。 塀も無く、軒を接して密集しているだけに干渉が起ることは想像できる。 まだ外観だけの観察だが、共同で行う祭や作業、組織、習俗、人間関係など覗いて見れば、違った集落像が出てくるに違いない。 漁港から崖下を磯伝いに周ってみた。磯は 一面のヒジキで 満たされている。 崖から水の滴るところに 赤い鳥居。由来は不明だが、水の滴る地形が信仰を作っている。 アニミズムの世界だ。 前回訪れた 孝女 お仙の碑を 磯から見上げる。崖の恐ろしさが 伝説にリアリティを 与える。''' 大沢の集落を 歩いて、当初の期待は 外れたが、集落ウオッチングとしては 面白かった。
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2009年03月15日
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