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伊能図を歩く甲州道中の第5回目は、前回の終点韮崎から甲府まで歩いた。(2009.12.8) 年末は何かと忙しくブログアップが年を越してしまった。 伊能忠敬測量日記によると、 文化8年(1811)4月23日韮崎宿を二手に分かれて出立している。 先手坂部隊は釜無川を渡り身延へ、後手伊能本隊は甲府に向かい府中に到着後正装して甲府御役所へ赴く。そして翌日はルートを南にとり身延に向かい坂部隊に合流して身延山に参拝している。 そしてその後甲府にもどり江戸に向う。今更ながら伊能忠敬のエネルギッシュな行動に脱帽だ。 韮崎からの伊能忠敬測量ルート 韮崎から甲府に向う前、前回時間切れでカットした七里岩洞窟と懸崖造り窟観音堂で知られる駅近くの雲岸寺を訪ねる。 昨年房総一周歩きで訪れた那古の崖ノ観音の懸崖造りを思い出す。(那古の崖ノ観音) ここも観音堂は西向きで眼下に街並みと自然のパノラマが広がっている。険しい崖をのぼって観音堂から息を呑む景観は見事な演出を感じられる。 本町交差点から歩き出す。ここは佐久往還追分で、佐久街道は甲州方面から信濃善光寺への参詣道に信州側では身延参りや伊勢参宮道となった。 左に韮崎宿本陣跡碑をみながら下宿交差点に向う。この辺り宿場の雰囲気を彷彿とさせる街並みが残っている。 下宿(身延道追分) 甲州道中と駿州往還の追分の下宿交差点に出る。 伊能測量隊の坂部隊はここから本隊と分かれ身延に測量の歩を進めたのだ。坂部隊が釜無川のどの辺を渡ったのであろうかと船山橋のたもとまで行ってみる。 釜無川をはさんだ鳳凰三山と残月が旅情をさそう。 旧甲州街道は塩川にかかる塩川大橋を渡ると国道を分かれ左に金剛地の集落に登っていく。金剛地と田畑の集落の境に二十三夜塔と道しるべが出てくる。 旧道のかたわらに切干し大根を広げているのを見かけ立ち話。この辺り昔は養蚕が盛んであったこと、道しるべのある辺りに馬方宿があったこと、甲府へは3里の道のりなど話してくれる。 志田の集落に入ると左手に船形神社の低い鳥居が出てくる。案内板には室町時代の遺構と説明されている。以前葡萄畑の中に低い鳥居に出会ったことがあったが低く建立することに何か理由があるのであろうか。 このあたりなまこ壁の古い屋敷が多い。 - 前方に中部横断自動車道の高架橋が見えてくる。この辺りJR中央本線が横切り中央高速道の双葉インターチェンジや国道20号なども近く交通網が集中している。旧道はその中をレンガ造りのJRガード下を通過していく。 旧甲州街道は坂道が多いが全体として下諏訪からの行程は下り坂となっている。ここは下今井は標高は320mで第2回目に通過した原の茶屋(長野県諏訪郡富士見町)あたりの海抜961mから比べると640メートル近く下ってきたことになる。登り坂が苦手な人には逆コースがお勧めかもしれない。 さらに1.5キロ行くと標高差70メートルの急坂(赤坂)が出てくる。甲府側からの登りには一汗かくところだ。眼下に甲府の街並みが望めるようになる。 JR竜王駅の踏切をこえ国道52号線に合流してしばらく行くと清水まで91キロのポストが出てくる。 清水とは東海道の清水である。何か違和感を感じるが52号は西で国道20号線と重なったあと塩川大橋まで北上し20号と分かれ南下して身延線に沿って興津(おきつ)で東海道に接続する。 往時は身延参詣道として、また信州の物産を駿河に運ぶ富士川舟運がもたらす塩の道でもあった。 道はやがて右側に芸術の森県立美術館が見えるようになる。 ここはミレーの「落穂拾い」で良く知られている。しかし、いつも「落穂拾い」が見られるとは限らない。県外に出展されていることが多いから事前にチェックすることが必要である。 山梨美術館前に「ほうとう」の大きな看板が目に入ってきた。昼食には「ほうとう」と思っていたので都合がよかった。アツアツのかぼちゃ、里芋が美味い。 旧道は荒川を渡り甲府駅南の官庁街に入って行く。甲府市役所がある警察署前交差点が今回の旅の終点。歩道橋を越え甲府駅に出る。駅前の堂々とした武田信玄像が出迎えてくれた。 甲府からの特急出発時刻まで一時間近く余裕があったので駅北口から武田神社を往復することにした。 武田神社には武田氏館跡がある。以前NHKの趣味悠々の番組(地形図片手に日帰り旅)の中で紹介されていたところだ。 今回の歩行距離はGPSログで21.4キロであった。 帰路、八王子で途中下車しブログ仲間の忘年会に参加してから帰宅した。 |
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