旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

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2日目(4/6)はJR甲斐大和(かいやまと)から前回の到達点笹子峠入口まで行き、そこからスタートして、いよいよ笹子峠越えです。

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JR中央線大月駅で特急あずさ3号から普通電車に乗り換え9:07甲斐大和駅ホームに降り立ちました。標高が高いせいか、ここではまだ桜の蕾が多く五分咲きといったところです。

若い頃この駅から日川(ひかわ)を遡って小金沢連嶺のひとつ大蔵高丸に登ったことがありました。あの頃の駅名は、たしか初鹿野(はじかの)と言っていました。その思い出に耽りながら甲斐大和駅を出て坂を下っていくと突然「景徳院の住職がお亡くなりになりました。通夜は・・・」と訃報を告げる町役場の放送が山間にこだまします。

景徳院といえば武田勝頼の菩提寺。以前山門と桜を見に訪れたことがあります。
甲斐大和駅から日川沿いの天目山にかけては武田終焉の地として古跡が多いところです。

織田・徳川連合軍に敗れた勝頼主従は新府城(韮崎市)に火を放って岩殿城(大月市)に落延びようとしますが、岩殿城主小山田信茂の寝返りを知って天目山に敗走します。そして天目山手前の田野で捕捉され自害します。ここ甲斐大和町は甲斐武田氏の終焉の地でもあるのです。

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国道20号に合流する手前に諏訪神社がでてきます。案内板によると甲州街道三本杉と県指定の見事な本殿の彫り物があると書かれています。

残念ながら大杉は明治36年鉄道の開通に伴い衰弱、枯れて今では根株に往時の威容をとどめるのみです。
また、これでもかというほど見事な彫り物で埋め尽くされた本殿は一見の価値があります。特に昇り、下りの龍の彫り物は見事です。

諏訪神社を出て国道20号に合流すると目の前に巨大な中央高速道の橋梁が迫ってきます。旧甲州街道はこの下をくぐって左の山間に通じているのです。
途中、先週トラックに乗せていただいた石材店の前を通りましたが、あいにく社長さんは不在のようで挨拶はできませんでした。
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旧甲州道中の入口は注意していないと見落としてしまいます。

旧道は県道をはなれて次第に高度をあげ高速道の橋脚の下を通過するようになります。

伊能忠敬が現在によみがえったらこの光景をどう思うでしょうか。測量隊をこの風景にかさねて忠敬が巨大なブリッジを仰ぎ見るパロディを描いたらどうだろうと独り悦にいりました。

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笹子峠を越えるにあたって、「日本の街道 中部日本新聞社編」(人物往来社 s42.7.1)の中に出てくる甲州街道駒飼宿の写真をコピーしてきました。この本には東京オリンピック前の懐かしい日本の風景がたくさん出ています。
今回はこの写真が駒飼宿のどの辺りを撮ったものかを知るのも旅の目的の一つでした。

何人か年輩の住民に訊ねてみました。

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庭の手入れをしていた初老の男性に訊ねてみますと、写真の藁葺き屋根を指してこれがもと脇本陣をしていた自宅(叶屋)だといいます。そして案内板の屋号と写真を次々に照らし合わせてくれて、この写真は本陣あたりから撮ったものと特定してくれました。

今は藁葺(わらぶき)屋根もトタンで覆われ往時の姿はありません。

別れ際にわざわざ家に戻って、駒飼宿とこれから登る笹子峠までの文化財や旧跡を記した小冊子をくれました。地元の歴史を学ぶ故郷づくり推進の一環として作成したものだそうです。

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駒飼宿の街道風景

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駒飼宿の俯瞰

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駒飼宿を別れ、しばらくは笹子峠越えのかっては国道(現在は県道)たどるようになります。

やがて冬季通行止ゲートが出てきます。四月中ごろにはゲートが開くと書かれています。雪は消え木々はやっと春が始った風情です。

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旧道の山道は、県道ともつれ合うように笹子沢に沿って高度を上げていきます。

五月朔日の伊能測量日記には大雨の中を測量していったと記されています。平地と違って雨中のしかも山中の測量は困難をきわめたことでしょう。

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さらに険しくなった旧道が県道に合流すると突然トンネルが現われます。昭和11年に開通した笹子隧道です。
少し長くなりますが峠道の変遷を駒飼宿でいただいた小冊子で紹介してみたいと思います。

慶長八年から明治三十八年まで約三百年、峠の往来は盛んでありました。特に明治十三年天皇京都巡幸の折り道路が改修されて荷車が通れるようになりました。

明治三十八年国鉄中央線が開通してから人の往来は少なくなりました。

昭和十一年峠に二百四十米のトンネルが開通して街道は自動車道となって通行は劇しくなりましたが更に昭和三十三年国道に三千米のトンネルが開通したので峠を通行する車も人もなくなりました。

峠道は一部残っていましたが、荒れたり、流れて歩ける状態ではありませんでした。・・・

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路傍には馬頭観音像も残っていて、往時は牛馬の助けが必要であったことが分かります。

トンネル脇の左の山道を登って笹子雁ガ腹摺山に分岐する稜線にでました。

稜線を甲州道中が交差すると思っていたのですが道を間違えたのかもしれません。時間も午後1時すぎていましたので、とりあえずここで昼食です。

急な稜線の狭い道を西に一気にくだり切通しのような笹子峠(1096m)に到着です。これなら大名行列も通過できますね。
踏み跡を登ってきましたが、やはり峠に直接入る道は別にあったようです。日本橋から歩いてきた人はけっして間違わないのですが、諏訪方面からは注意する必要があります。

これでやっと甲州道中歩きも中間点に達しました。

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    笹子峠

トンネル上の旧道から笹子トンネル南側に降ります。
この隧道は昭和33年新笹子トンネルが開通するまで東京と山梨・長野を結ぶ幹線道路でした。大役を果したトンネルは今では交通遺産(有形文化財)として静かに佇んでいます。
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    笹子隧道(交通遺産)

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峠からは舗装された県道を「矢立の杉」入口まで一気にくだります。

南面の峠道は明るく北面の道とは対照的です。舗装された県道はまだ冬季閉鎖中で所々枯れ枝や落石がありました。

「矢立の杉」は根もとは洞になっていますが谷側の枝はまだ樹勢があります。(根廻り14.8m、樹高26.5m)

最近「矢立の杉」近くに歌謡碑と両面地蔵ができ、ハンドルを回すと杉良太郎の歌が流れるスタンドが出来ていました。大月市は何とか観光客をひきつけようと躍起のようですが少し違和感をおぼえます。
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大杉から県道を離れ山道にはいり新田の集落まで下ります。

近くの老夫婦としばらく立ち話。矢立の杉下の明治天皇野立所跡のところに往時茶屋が三軒あったこと、その内のひとつを先代が開いていて、それを記憶にとどめるため案内板を建てた、姉が駒飼宿に嫁いだことなど話がつきません。

国道20号に出たあたりは追分集落です。伊能図にも名称が出ています。一般に追分というと街道が二手に分かれる地名です。しかし地元の人に聞いても何処とどこに分かれるのか定かでありません。

(* 後日調べてみると、追分から南に女坂峠を越えて御坂町藤木野に通じる「御坂街道」があったことが分かりました。現在は不明で清八峠を経て三つ峠に向う山道があるのみとも書かれていました。)

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黒野田の一里塚跡(左)と 笠懸地蔵(右)
黒野田の一里塚跡をすぎると笹子川を渡ります。伊能測量日記では「笹子川渡十間」と記されていますから約十八メートルの川幅を渡渉したのでしょう。

JR笹子駅も近くなってきました。路傍に石を頭にいだいた石造がでてきます。案内板には笠懸地蔵とありますが、私には力士が頭に何かを載せて力自慢しているよう見えます。昨年房総歩きのとき出会った手水鉢を持ち上げる力士像を思い出しました。

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桜満開のJR笹子駅に午後4時すぎ到着。駅前の笹子隧道記念の巨大な一枚岩が迎えてくれました。

甲州道中の笹子峠の下には明治のトンネルに始まり鉄道と中央高速道まで四本のトンネルがあります。笹子は正にトンネルの町なのですね。

今回はJR初狩駅まで歩く予定でしたが、地元の人とのおしゃべりが長くなって笹子駅留まりとなってしまいました。

今日の歩行距離は迷い道を含みGPSログで25kmでした。

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