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前回から約2週間がすぎた。2日前には寒波が到来し関東地方に木枯らし1号が吹いた。 伊能図を歩く甲州道中の第3回目は前回の終点下蔦木(つたき)交差点から牧原まで歩いた。(2009.11.4) JR小淵沢からタクシーで蔦木にアクセスする。タクシーの運転手さんは「今朝はマイナス5度まで下がりました。きのうは雪が舞って山がうっすらと白く染まりました」と話す。 信州は秋から冬へ急ピッチで冬支度だ。 「車窓の山旅・中央線から見える山」といる本がある。(著者;山村正光氏 1985.2.1 実業之日本社) 著者は山好きな元JR中央線の車掌さんで文字通り車窓から見える山を何処からどの山が見えると案内している。 この中に中央線小淵沢駅ホームから南南西方向の尾根に雪のような斜面が遠望できると紹介している山がある。 日向山(ひなたやま 1659.6m)で、雪のような白い斜面は花崗岩の白砂であるという。 今回この日向山をぜひ確認しておきたいと思っていた。 今朝は快晴、絶好の撮影日和であった。この写真は小淵沢から下蔦木交差点に向う下り道、タクシーを路肩に寄せてもらい撮ったもの。(JRのホームからだと電線が視界を横切ってしまう)甲斐駒ヶ岳を背景にはっきり確認できた。(ピークの前尾根左の白い箇所) 駒ヶ岳や八ヶ岳の展望の山で尾白川林道を利用すると容易に到達ができるとあるから一度ぜひ登ってみたいものだ。 下蔦木交差点でタクシーを降りる。 旧道は交差点から直ぐ右に折れて国界橋を渡るのだが入口にはネットのゲートがあって通行止となっている。 このゲートには有害獣侵入防止の7000ボルトの高圧が印加されている。注意書きにしたがってゲートを開くこともできるが、ここは安全を優先して新国界橋を迂回することにして信濃の国(長野県)から甲斐の国(山梨県)に入る。 新国界橋で釜無川を右岸に渡る。 伊能測量日記には ・・・四月二十一日 朝晴。我等、下河辺、青木、永井、平助、六ッ後蔦木駅出立。同所より初、下蔦木村、釜無川渡幅三十間。富士川の源流。・・・ と記されている。一間は1.8mだから54mの川幅だが、河原なのか川身の幅なのかはわからない。 新国界橋の南詰にセブンイレブンがあり、その駐車場の傍らに山口素堂の 「目には青葉山ほととぎす初かつお」 の大きな石碑が出てくる。こんな山中に初かつおとは違和感をおぼえる。素堂は江戸前期の俳人で芭蕉と親交があり、ここ山口が生地であるという。 コンビニの前の国道を横切り旧道は山口集落にゆるく上がっていく。 ここは山口関所があったところ。甲州には24箇所の口留番所があったというが、ここは信州口を見張る番所だ。 旧道はゆるいアップダウンをしながら上教来石(きょうらいし)に入っていく。 教来石は甲州道中25宿のうち西端に位置する。教来石とは変った名前である。日本武尊が東征のおり座った石が由来と聞く。 下教来石を抜け旧道は白州町荒田にさしかかる。 屈曲する旧道が直線的な国道20号線に近接するところで、右手にサントリーの看板が見えてくる。 国道に面してサントリー白州蒸留所・ウイスキー博物館・サントリー天然水白州工場の案内があり、甲斐駒ヶ岳の山麓の工場に向って直線の道が延びている。 旧道にもどり、しばらく進むと神宮川の手前で国道に合流する。左手の木立の中にサントリーの製樽工場が出てくる。 周辺には見事な松林が美しい景観を作っている。地形図には松原とある。 古来白須の松原として名所であった所はこの辺りをいうのであろうか。 旧道は国道と合流し神宮川を渡るが、橋のたもとに気持ち良さそうなベンチがあるのに気付き休憩する。上流の奥に駒ヶ岳が広がり本当に美しい。 戯れにベンチに羽根を休めた赤とんぼの目線で駒ヶ岳を覗いてみる。 甲州道中の台ヶ原宿に向う沿道は常に甲斐駒ヶ岳から地蔵ヶ岳にかけてのパノラマを眺めてのハイキングである。 この辺りの美しい景観については「明治日本旅行案内」(アーネスト・サトウ編著 庄田元男訳)に記載されているので紹介してみよう。 ・・・本道(諏訪にむかう甲州道中)は釜無川渓谷を上昇しながら進み台ヶ原までの大半はいくつもの川身が流れる石の多い川床についており、全体を通してすばらしく整っている。 谷の景観はとても美しく、極めて印象的な箇所がいくつも見られる。右側には茶色の礫岩で構成されている奇妙なぎざぎざの絶壁(七里岩)が並び左側には駒ヶ岳を主峰とする高山がつらなる。 さらに進むと八ヶ岳が右手に姿を表し、振り返れば美しい富士が様々に変化する姿を見せる。・・・ この本は旧道ウオーカーにはとても参考になる。 アーネストサトウは幕末から明治にかけて活躍したイギリスの外交官で明治中ごろ、外国人向けのこのガイドブックを編さんした。 沿道の様子はもとより日本の文化や交通手段、物価、郵便、荷送りなどの様子が極めてくわしく記している。また登山ルートの紹介なども詳しい。 その当時の日本はまだ鉄道網が未発達で、徒歩と馬車や俥(くるま)の利用がメインである。河川を舟で移動するのもよく出てくる。 伊能測量日記やこのガイドブックを読んで旧道を歩いてみると、往時の沿道の様子が彷彿としてくる。 ところで、日本山岳会の創立者のひとりで尾瀬をこよなく愛した武田久吉氏は、このアーネストサトウの二男であるが、このことは以外と知られていない。 旧道は神宮川を越えると国道を離れ前沢、白須を経て台ヶ原宿へと入っていく。 台ヶ原は甲州道中の中でもっとも宿場のおもかげを残すとして日本の道百選に選ばれれている。 駒ヶ岳に発して宿場の南に沿って尾白川が東流する。花崗岩や砂利を流して白い川原を作っていることが、その名の由来とされている。 そして清冽な水は日本名水百選にも選ばれている。台ヶ原の中心部には利き酒をサービスする酒造店もある。 伊能測量隊の本隊(伊能忠敬)は蔦木宿から、また坂部隊は金沢宿からここ台ヶ原宿に直行し伊奈部(伊那)で二手に分かれて以来6日振りに合流している。 台ヶ原宿の東の端で国道を横切り古道入口と刻まれた現代の道標に導かれて尾白川に沿った草の道に入る。 古道を抜けて国道の尾白川橋に合流する手前で安永の道しるべが出てくる。 「右かうふみち」「左はらぢ通」と刻まれている。 甲州道中は釜無川に沿って通じる河路(かわじ)、ここでいうはらぢは原路(はらじ)のことか。 釜無川の出水で河路の通行不能の迂回路として七里岩の台地をいく原路があったと聞く。 万休院の老松「舞鶴松」と大武川をはさんで対岸の山高実相寺の老桜「神代桜」は有名で2万5千の地形図にも記載されている国の特別天然記念物だ。 今回は旧道からは寄り道になるが、この老松「舞鶴松」を見たいと思っていた。 ところがである、庭の手入れをしている老人に登り口をたずねると、松はマツクイムシの被害で切り倒されて無いという。とにかく確認だけでもと万休院に登ってみた。 はたせるかな往時の見事な枝ぶりと、切り倒す様子の写真のみが示されて傍らに切り倒された老松の太い幹が横たわっていた。
万休院の坂道をとぼとぼ下り旧道に出る。
晩秋のやわらかい陽射しが心を慰めてくれる。近くではゲートボールの槌音が聞こえる。計画では今回の旅の終点を牧原とし、むかわの湯(南アルプス釜無川温泉 北杜市)につかりタクシーでJR日野春に出る予定であった。 ところが温泉施設は休みで入浴できないことがわかった。(火曜が定休だが祝日の場合は翌日になる) そこで列車の時間までにはまだ時間があったので、歩いて日野春駅まで歩くことにした。 牧原から甲州道中をはなれ、釜無川と大武川の合流点に架かる釜無川橋を渡る。 橋のたもとには昭和34年8月に襲った大水害のようすを生々しく伝える案内板が設置されている。 前線に伴う大雨に追い討ちをかけるように台風が来襲して上流で大規模な崩落が発生し大災害を起こした。 それにしても素晴らしい景観を見せてくれる釜無川であるが、一たび怒るととてつもない災害をもたらす。 自然の脅威を感じずにはいられない。 JR日野春駅 高低差約90メートルの七里岩につけられた車道をたどり、まだ明るさの残る日野春駅に16:47到着。 今回の歩行距離はGPSログで24.2キロであった。
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伊能図を歩く−甲州道中−
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秋の夕日はつるべ落とし。東京の日没が5時台をきった。第2回甲州道中の旅は初め、第一日目に台ヶ原まで(約23km)行き翌日韮崎まで歩く予定であったが、日没がこのところ一週間に10分づつ早くなり、明るい内に台ヶ原に到達するのが困難と分かった。 そこで、計画を練り直し蔦木宿までとし、ここには温泉施設があることが分かったので入浴してから最寄駅のJR小淵沢に向かうことにした。なお、蔦木宿から小淵沢までは5kmくらい離れているのでタクシーを利用し特急に間に合うように考えた。 JR青柳駅に9:57降り立つ。(10/22) 駅から国道20号を経由して、前回終了した金沢宿に戻り、ここからスタートする。 駅前から国道に出る途中、古びた商店の軒下に ニッカウ井スキーの看板 を発見。時代を感じる。 道に迷って得をする 金沢宿本陣跡から国道を500mくらい行くと旧道へ入る道がある。何の疑いも無く火の見やぐらのあるところから右折する。 やがて展望が開け八ヶ岳が見えてくる。気持ちよい。稲刈りを終えた田圃で農婦が稲藁(わら)をまいている。 農婦に 「旧道は眺めがいいですね」 と話しかける。ところが 旧甲州街道はもっと下のほうだという。あわててGPSで現在地を確認すると、旧道から離れて、旭ヶ丘団地のほうへ登って来ていることが分かった。 しかし、八ヶ岳のパノラマが素晴らしい。 こういうのを損して得するというのだ。 旧道ウオーカー と ゆるぎ石(ビニールの覆いの辺りの岩) 迷い道の国道分岐にもどり、数十メートルいった先で正しい旧道に入る。近くの住人に念のため旧道を確認する。道祖神などが出てきて旧道の雰囲気が出てくる。 やがて右側にエプソンの寮が出てきた辺りで、前方から中高年の女性二人連れハイカーとすれ違う。 旧道ウオーカーで甲州道中を歩いているという。今日は信濃境駅から茅野まで歩くという。お互いに周辺情報とエールを交換して別れる。 ゆすり石 中高年ハイカーと別れたあと、自転車を押している初老の男性に会釈すると、「揺すり石」を案内すると話しかけてくる。 左側に稲刈りの終った田園と遠くに八ヶ岳の見えるところで、斜面に不安定な大きな岩を指差して八ヶ岳噴火のときに飛んできて、さらに遠い尾根の送電線の鉄塔あたりにも大きな岩があって毎年逢引(あいびき)すると、七夕のような話をしだした。 そして最後にこんな大きな岩が飛んでくるはずは無いと自分から笑う。 大昔八ヶ岳は富士山よりも高いと如来さまが判定した。これを不満に思った富士山が、八ヶ岳を太い棒で叩き、今の姿になったという民話を思い出して、そのとき飛んできた岩かもしれないと可笑しくなった。 御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚 いままでこのような見事な一里塚を見たことがなかった。 両側の塚にケヤキと榎木が植えられ、特にケヤキは幹廻り6.9メートル、樹高25メートル、樹齢380年と見事というほかない。樹勢は今なお盛んで大きく枝を広げている。真夏には素晴らしい木蔭を作ることであろう。 巨木を眺めながら、ここで昼食(栗ご飯のおにぎりと秋刀魚の煮物。カミサンに感謝) - - 御射山神戸(みさやまごうど)の北外れの一里塚を別れ一度国道に合流して集落の南の端から旧道は国道と離れる。 この分岐は富士見パノラマスキー場への分岐と近年出来た道と旧道が同じポイントにあり、地図を注意して旧道をハンティングする必要がある。(実は今日2度目の迷い道であった) やがて、カゴメの工場の右側の尾根に富士見パノラマスキー場が見えてくる。路傍には念仏供養の石柱に道しらべが彫られ、佇まいが良い。 甲州道中最高点(富士見) ここは原の茶屋。この付近が甲州道中の最高点だ。 近くには明治天皇の御膳水などもあり、往時の雰囲気がただよう。沿道には富士見公園があり文人墨客(赤彦、左千夫などアララギ派)が南アルプスと八ヶ岳を遠望する高原のこの地を自然の公園として愛したのも分かる。 この先で今日3度目の迷い道に入る。手持ちの地図には無い道がある。この迷い道は東京方面から来る場合は間違いはないと思われる。 この字は難解である。「とちのき」と読む。パソコンの漢字変換でも出てこない。伊能図には「○(草かんむりに子)之木」と出てくる。 集落の北に旧道に直交して赤松の美林がでてくる。これは防風林で寛政年間(1789−1800)に高島藩に願い出て仕立てたというから、伊能忠敬がここを測量して通過した頃には既にあったわけだ。 - - 富士見の町名を納得するような富士山が山の端に出てきた。 秋桜(コスモス)が咲く「とちの木」の集落を通過する。 - しらかば学園の入口を左にみて坂を下っていくと瀬沢の集落に出た。 魅力的な街道風景である。 特に坂道に沿って 追分道しるべ(左すわ 右山浦)、古びた家屋、諏訪神社、道祖神など、私が好ましいと思うモチーフがすべてある。 - - - - 瀬沢の集落を出て国道に合流してすぐ立場川にかかる瀬沢大橋をわたり100メートル先で国道と別れ「机」の集落に登っていく。 「机」とは変った名称だ。旧甲州道中は机集落を過ぎると下りまた国道に合流する。 釜無川に沿った道はやがて蔦木宿に入っていく。今回の終点である。 - 蔦木宿 宿中央の本陣跡(大阪屋)に到着する。(16:20)今は表門が残っているのみ。 伊能測量日記には金沢宿から蔦木宿までの様子をつぎのように記している。 四月二十日 朝曇、段々晴。六ツ後諏訪郡高島領金沢宿出立。同所より初、御射山神戸村、木ノ間村、とち之木村、大平新田村、若宮新田村入会、瀬沢村、机村、平岡村、神代村、蔦木宿本陣前迄測る。三里五町十間、駅道三里四町。本陣有賀源右衛門、脇宿油屋佐吉、四ツ半頃に着。此夜晴天測る。深夜雨あり。 とあり、ここに出てくる村名は現代の地図にもそのまま残っていてうれしい。 また、日記には本陣と脇宿とあるから一行は本陣と脇本陣に分宿したのだろう。 第一次の測量当時は幕府から測量の許可は得られたが、経費はすべて伊能忠敬が持ったため測量チームは忠敬の身内を中心として6名と少なかった。しかし、その成果が認められ第7次測量のこの頃は全額幕府持ちとなって測量チームも17人と大所帯となっている。 しかし実際には蔦木宿に止宿したのは伊能忠敬のいる本隊で、伊奈部から天竜川を遡り上諏訪をへた後続の坂部隊は金沢宿から台ヶ原宿に直行している。 事前の調べで蔦木の道の駅に温泉施設があることが分かっていた。 入浴前にタクシー会社に電話して、特急に間に合うようにタクシーを予約しゆっくり湯に浸る。 今回の歩行距離は地図上の距離で14キロ、実歩行距離は迷い道も含めてGPSログで25キロであった。 青柳から蔦木までの旧道はお勧めのハイキングコースだ。 一番の見どころは、やはり御射山神戸の一里塚である。ただただ畏敬の念を抱かせた巨木であった。眺めているだけで浮世の世事を忘れさせてくれる。 今回もよい旅であった。 旅のメモ ハイキングシューズのチェンジ とうとう長い間お世話になったハイキングシューズが破れて交換した。特にかかとのほころびがマメを作る要因となっていた。旧中山道(日本橋−京都)から房総半島一周までよくがんばってくれた。 更新したシューズは上面メッシュにゴアテックスを使用し、靴底はビブラムである。重量は前よりも100グラム増えて430グラム(片足)となった。
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伊能図を歩く−甲州道中−の第1回は、下諏訪から金沢宿(JR青柳駅)までの記録である。(10/13) - 早朝自宅を出てJR船橋で特急あずさ3号に乗り換える。(6:50) この特急は千葉方面から下諏訪にアクセスするにはすこぶる便利だ。船橋で一度乗り換えればあとは下諏訪まで一本で行ける。 連休明けでガラ空きを予想していたが6割がた埋まっている。それが都心に近づくにしたがってますます混んでくる。 そうなのだ、この特急は立川駅までは完全に通勤列車となっている。 立川を過ぎると列車は都心を離れ、多摩川の鉄橋にさしかかると秩父の山並みが見えてくる。 「中央線の旅」は車窓から山を楽しむ旅でもある。 再び中山道合流点に立つ 下諏訪駅に10:01降り立つ。旧中山道歩き以来の再訪である。駅前から旧街道を辿って旧甲州道中との合流点に向う。 ここから江戸に向って甲州道中が始まる。(10:25) 秋宮に旅の安全を祈願する 諏訪大社秋宮に詣で、これからの旅の安全を祈願する。 諏訪湖を望む 旧街道は右手に諏訪湖をみながら南下する。やわらかい秋の陽射しを受けて気持ちよい。 段差解消 旧街道が高木地区をすぎるころ、とある家の駐車スペースの奥に車椅子リフトがあるのに気付いた。 こういうのが在ることは知っていたが、実際に見るのは初めてだ。 住宅地は諏訪湖東面の山すその傾斜地についている。だからどうしても玄関アプローチに段差ができる。 最小スペースで設置できるなかなかの優れものだ。最近はこういうものに関心がわく。 橋本家 車椅子リフトと別れて300mくらい行くと茶屋跡(橋本家)の案内が出てくる。往時の繁栄が偲ばれる街並みだ。 玄関前の灯りの装飾が見事である。 蔵の街道 高木から大和地区にかけては見事な蔵が続く。 蔵のコンクールを競うように白壁と紋章が次々に出てきて目を楽しませてくれる。 これから改装工事が始まるかと思われるパステルカラーの土壁も心地よい。 レトロな上諏訪の街並み 旧街道は湯の脇からカーブを描いて右に下っていき、JR上諏訪駅近くで国道20号(甲州街道)に合流する。 ここから緩いのぼり坂の両側にはレトロな家並みが続く。アカデミー賞を受賞した「送り人」に出てきそうな建物、酒造店が多いのも特徴的である。古い看板をみて歩くのも面白い。 「豊光堂」と書かれた看板は趣がある。Webで調べてみると原田泰司が働いていたとある。諏訪湖畔に原田泰司美術館があるが、ここも訪れてみたい一つだ。 伊能図と道しるべ 旧道は諏訪湖から離れJR線に沿った桑原地区に入っていくと道の真ん中に大きな常夜燈と道しるべ(A)がでてきた。 この分かれ道は伊能図や測量日記にも出ている。(右諏訪神社、左江戸)もちろん甲州道中は左江戸をとる。 ここから1.3キロくらい行った ちの市境のところで旧道は右に下るようになる。ここにも常夜灯と道しるべ(B)が出てくる。 測量日記を読み伊能図の赤い測線をみて、実際に現地で道しるべに触れてみると測量隊の姿がリアリティをもってイメージできる。 店じまい 茅野駅手前の旧道を歩いていると初老の夫婦が店の入口のガラス戸を念入りに磨いているのに気付いた。 磨き方が特別なので話しかけると、今日が45年続いた洋服仕立ての店じまいという。 ピカピカのガラス戸に杖突峠の山並みが写っている。11月になれば全山紅葉してそれは美しいと今年70歳になる主人は話す。 ご主人は店の裏手に案内してくれて永明寺山と武田信玄の歴史をガイドしてくれた。「長い間ご苦労様でした」と礼をいって別れる。 八ヶ岳が見えてきた(上川橋) 茅野駅前の諏訪大社大鳥居右に見て街道を進むと上川橋に出る。 上流に蓼科山から編笠山までの八ヶ岳のパノラマが遠望できた。かって皆登った山々である。 ところで、この上川の渡しであるが測量日記では大小三流を渡ったと記されている。 伊能大図にも、この三流は描かれている。 しかし、現在は一本の流れに変っている。 この上川の源流は白樺湖から八ヶ岳北部の山々で、これらの水を集めて諏訪湖に注いでいるのだ。 味噌入りソフトクリームに誘われて 茅野の旧街道がゆるやかにカーブしていくと、左側に「味噌ソフトクリーム」の看板が出てきた。 面白そうなので寄ってみた。店の奥は表からは想像ができない広さがあって見学自由とある。ソフトクリームができるまで奥をのぞいてみると「貧乏神神社」が出てきた。店の主人はなかなかのアイデアマンだ。 4kg以上買物すると送料無料になるというので、自宅用に味噌を頼んだ。内容はご主人におまかせだ。 翌日宅配された箱を開けると4種類の味噌が出てきてカミサンを喜ばした。(2600円) 金沢宿の街並み 金沢峠の山並み 伊能測量日記をによると、伊能測量隊は伊奈部(伊那)から二手に分かれ本隊(伊能忠敬)は測量しながら高遠から金沢峠を経て金沢宿に止宿している。 また坂部隊は測量しながら、天竜川を遡り諏訪湖に出て花園から舟で上諏訪にでてここで止宿している。そして甲州道中を測量しながら一日遅れて金沢宿に入っている。 現在は国道20号線が金沢宿の真ん中を貫いて、絶えることなく車が往来している。また中央高速道も近くを走って人の移動は一変した。往時をイメージするのは難しいが、金沢峠のある山並みを見ていると、山河は変らず測量しながら忠敬が峠を越えてくるのが見えるような気もしてくる。 金沢温泉金鶏の湯に旅の汗を流す 事前のしらべで金沢集落に、ちの(茅野)市営の温泉施設(金鶏の湯 単純泉)があることを知った。 http://www.city.chino.lg.jp/ctg/03010273/03010273.html 宿場中央から左に入ったところに温泉施設がある。地元外の人も利用可能である(400円)平成8年に温泉施設としてオープンしたという。車で地元の人が次々に訪れ、格好のコミュニティ施設となっている。ロングハイキングの終点としてもまたとない施設だ。汗を流しジェット水流で腰やふくらはぎ、足裏をマッサージするのは気持ちよい。 青柳駅に着く 薄暮の中を地元の人に教えてもらった野なかの近道を青柳駅に向う。湯上りで爽快だ。 甲州道中が甲府から上諏訪に延伸されたころ(慶長15年 1610年)金沢宿は青柳宿と呼ばれていた。その名が地名や駅名に残っているのはうれしい。 夜の帳(とばり)がすっかり落ちた青柳駅から各駅停車で小淵沢駅に向う。(17:43) 小淵沢からは特急あずさ30号千葉行きに乗り換える。 本当にこの特急は甲州道中へのアクセスには最適だ。これからもたびたび利用させてもらうことになる。 今回の歩行距離は地図上の距離で19キロ、実歩行距離はGPSログで26キロであった。 やはり写真を撮りながらの歩行は予想以上に歩いていることになる。 旅のメモ ジパング倶楽部でJRチケットを購入 いつも旅の出発前日には天候を確認して近くのJTBでJRチケットを購入するようにしている。 ジパング倶楽部を利用すると乗車券・特急券など30%の割引となるのでシニアには大いに助かる。 今回の例では通常11,660円が、8,162円となり、3,498円お得となる。この割引は201キロ以上の区間に適用される(距離が足らない場合は往復で201キロを超えればよいので千葉方面からだとJR大月駅くらいまでOKだ) また利用可能枚数は年間最大20枚までの制限がある。年会費は夫婦で6千円少しで充分に元はとれる。まだご存知ない方は倶楽部に入ってみたらどうでしょうか。
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先週は台風18号が本州を縦断北上し秋空が戻ってきた。各地の高山から初冠雪の便りもしきりである。いよいよロングハイキングの到来だ。 今回の「伊能図を歩く旅」は、伊能忠敬が2年間を費やし九州東部・南部の測量を終えて江戸に戻る帰路に辿った甲州道中を上諏訪から江戸四谷木戸まで約240キロメートルを歩いてみることにした。 今年の6月に「伊能測量隊を追って」房総半島一周の旅を完了して以来のロングハイキング再開である。 これは、伊能中図原寸複製図の諏訪から甲府にかけての図である。 文化6年(1809)8月27日九州東部・南部測量のため江戸を出発した。忠敬65歳のときである。 そして631日、7045kmの測量の旅を終えて帰路甲州道中を測量しながら文化8年(1811)5月8日江戸に帰着する。 これから来年の春にかけて甲州道中を下諏訪から江戸に向って伊能忠敬の測量の跡を辿りながらロングハイキングをスタートする。 スタートの下諏訪は旧中山道(2007.11に終了)との合流点である。 第1回は、旧中山道と旧甲州道中の合流点(下諏訪)から金澤宿(JR青柳駅)まで約19キロを歩く。
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