旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

伊能図を歩く−房総半島−

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「メキシコ帆船あす御宿へ」の見出しが朝刊地方版に載った。(6/11)

今年3月24日に 勝浦から 御宿を経て 浪花まで 歩いたとき訪れた メキシコ記念塔や ドン・ロドリゴ上陸海岸の情景がうかんできて、急きょ御宿を再訪した。(6/12)

慶長14年(1609)ドン・ロドリゴ率いる サンフランシスコ号が フィリピンから メキシコに向うとき御宿田尻海岸で 座礁し、漁民に助けられ 翌年 徳川家康に謁見する。

家康の計らいで 三浦安針(ウイリアム・アダムス)に造らせた船(サン・ベイナ・ベントーラ号)で アカプルコ(メキシコ)に帰還する。そして翌年答礼使が来航して交流が始まった。

今年はそのときから 記念すべき400年のアニバーサリー である。

今回来航したクアウテモック号は メキシコ海軍の 訓練帆船で 2月15日にメキシコを出航し 前日は横浜港に寄航したあと 式典参加のため今日(6/12)早朝網代湾沖に投錨した。
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メキシコ海軍訓練帆船「クアウテモック号」

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網代湾に 停泊した帆船から 士官は 漁船に乗換え 岩和田漁港の 歓迎会場に向う。

遠くに 湾内に投錨した 帆船が見える。(海岸から 沖合い約3キロ)

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地元の 小学生の 吹奏楽が 演奏される中、全校をあげて出迎えている。

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岩和田漁協に 設けられた歓迎会場に 接岸する士官を乗せた漁船。

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正装した 士官や乗組員が 着席してこれから 歓迎の式典が始まる。

背中の 歓迎ロゴに 描かれたガリオン船(武装商船)に 400年の時の流れを感じる。

関係者にとっては 良い思いでの 記念品となって 代々伝わるだろう。
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帆船見学

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小中学生の 洋上見学に 続いて一般人の 見学が始まる。
一般の見学募集は 300名であったが、希望者が多くなり 400名に拡大された。(無料)

一回の見学は 30分程度で 帆船の周囲を回って 漁港に帰ってくる。応募者が多いので 次から次へのピストン輸送である。

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帆船に近づく。

波しぶきをもろともせず撮影。

今回来航した帆船は1800トン、
全長90.5メートルで漁船に比べると流石に大きい。

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直ぐ近くまで接近して帆船の全貌がみえる。

広角のデジカメでも船体ははみ出してしまう。

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こちらの呼びかけに手を振るクアウテモック号の乗組員

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帆船の周囲を一周しして見学が終了。次の見学者のため急ぎ帰港する

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見学船の軌跡
自宅に帰ってから 見学船の航跡を
GPSログをもとに 地形図に描いてみた。

岩和田漁港近くの 海は暗礁があり、航路も大きく迂回して 帆船に向っていることが分かる。

また往復の 航路が見事に重なるのも 操船の確かさが うかがえる。

喫水の深い大型船は やはりこの位沖に 停泊する必要があるのだろう。
それにしても 天候も 波も 申し分ない見学日和であった。

御宿からの 帰路は大原から いすみ鉄道−小湊鉄道を乗り継ぎ 五井からJR内房線で帰宅した。

いすみ鉄道と 小湊線を通して乗るのは 初めてあったが、外房の海と 鄙びたローカル線の旅は お勧めの日帰り旅である。
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・・・・・ 伊能図を歩く房総一周ぐるり旅 <目次2> ・・・・・

ぐるり旅点景(路上ウオッチングほか)











これまでの旅のブログをグーグルの衛星写真にマッピングしてみました。

図中の 番号は 下の行程番号と 一致しています。下の行程を クリックすると アップしたブログへ ジャンプできます。

沿岸歩きをされる方が 参考にして頂ければ幸いです。
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・・・・・ 伊能図を歩く房総一周ぐるり旅 <目次1> ・・・・・

・・・ 行 程 ・・・
旅の始まり
◇ 1・幕張IC−検見川 
◇ 2・検見川−浜野(その1)(その2)











「伊能図を歩く」房総ぐるり旅も今回(6/1)が最終回となった。

早朝6時前に家を出て、JR飯岡駅からコミュニティバスで飯岡漁港に降り立つ。(8:02)
一週間続いた梅雨のような天気が今日は朝から晴れになると予報されたが意外と雲が多い。

伊能大図に引かれた測量隊のルートに従い、飯岡漁港からは海岸を離れて内陸に道をとる。
途中刑部岬に寄る。
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伊能大図(フロア展より。その正確さにあらためて驚く)
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衛星写真にプロットした今回の歩行ルート

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漁港から遊歩道入口と書かれたところから台地に登る道をたどる。
明治の地図を重ねてみるとこの道が旧千葉街道。伊能忠敬もこの道を上っていったと思われる。

少し行くと登り口に 海津見(わだつみ)神社 が出てくる。通称「永井の妙見さま」。小さいながらしっかりした社殿と境内には金華山・塩釜神社や大山・富士の参拝記念の石塔がある。

刑部岬に寄ってから 一旦坂をくだり 溜池のところから 上永井の集落 に上って行く。
葦(あし)の茂った溜池では オオヨシキリの声の中に ウシガエルの 鈍い声を聞く。アニメ「となりのトトロ」の世界に入ったような風景だ。

ゆるく曲がった街道と 道かどに庚申塔。道に覆い被さる樹木。コジュケイ、ウグイス、キジ、ホトトギスが鳴く。

お寺の入口に 如意輪観音が並ぶ。境内を覗いていると 花束を抱えた老婆に会った。
故人の月命日にお墓に供える花で月3回はあるという。今年はホトトギスの来るのが遅く、やっと今屋敷林に巣を作っていると話す。
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農作業の軽トラックが走る 旧千葉街道を上り下りしながら 小浜の集落 に入る。

やがて 南北に走る街道沿いの 集落中央に 道しるべ が出てくる。
西国巡礼塔の側面には、右 いひを可(飯岡)九十九里道 左 てうしくわんおん(銚子観音)道 と彫られている。

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道しるべの近くにある石塔群が目を引いた。西国巡礼記念の石碑 である。
最も新しいものは平成16年の記銘がある。今でも巡礼と石塔を建立する風習が残っていることに驚く。

単なる 寺社巡りの観光旅行とは違う 共同体を維持していくための 目的が感じられる。

西安寺の地蔵
石塔群の奥にあるお寺を覗いてみた。入口右手に洋服が着せられた地蔵が並んでいる。飯岡でも見かけたものだ。

庭を掃除していた老婦人に尋ねると、故人の洋服を着せているのだという。この辺の風習なのであろう。

子供の頃、地獄絵図のなかに三途の川で、亡者の服を剥ぎ取る婆さんがでてくるが、これに関係があるのだろうか。

老婦人としばらく立ち話。
通蓮洞の伝説(陰陽師阿部清明と延命姫の話)。かって小浜の沖に海蝕により海中に没した集落があった。道しるべの近くの商店はかっては旅館であった話などしてくれた。

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ミステリーゾーンのような小浜の集落をぬけ、キャベツ畑の中の道を1キロくらい行くと 国道126号に合流する。銚子港から 魚を運ぶ大型のトラックが 疾走している。現実世界に引き戻される。

台地に並ぶ風車群を眺めながら 国道を進む。

三崎町を過ぎると 台地の端に出て 眼下に銚子の街並みが見えてくる。伊能図で「辺田村」と書かれている辺りだ。

現代図には辺田という地名はない。どのあたりのことを指すのであろうかと思っていたところ、坂の右側に「辺田(へだ)地蔵尊」が出てきて納得する。

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JRの踏切を越えて銚子駅前にでる。(12:19)

駅から利根川岸に向う。
岸壁から新しい弧を描いて対岸の波崎に架けられた銚子大橋が目に入ってきた。

老朽化した 銚子大橋に隣接して立派な斜張橋が開通した。手前の従来の赤い橋は来月から解体撤去が始まる。

208年前 房総沿岸の測量を終った伊能忠敬は 利根川を渡って 常陸国(茨城県)の測量を開始する。当時の測量隊の姿とだぶらせ、この先200年後はどうなっているかと不思議な感覚をおぼえる。


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飯沼観音は 坂東二十七番観音霊場。 先月 五重塔の落成法要があったばかりである。
我が国 最古の企業「金剛組」(現在は大成建設の傘下になっている)が造った。心柱はコンクリート製で1年間で造立したという。(プレカットして現地組み立てした)

伊能測量日記には

同十八日、晴天。朝六ッ半前井戸野村出立。中谷里村、是より海上郡、それより仁玉村、十日市場村、足河村、椎名内村、西足洗村、野中村、東足洗村、三川村、横根村、萩園村、行内村、平松村、飯岡村、下永井村、上永井村、小浜村、辺田村を経て銚子港、飯沼村東町着。止宿田中吉之丞。此夜雲間に少測る。

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観音さまを後にして漁港にでる。やはり日本有数の漁港だ。南房総ではあまり見かけない大型の漁船が碇泊している。

利根川が 太平洋に流れ出る河口に 「川口神社」 がある。河口から三基の鳥居に導かれて社殿に詣でる。
潮の道に乗ってやってきた紀州や三河の名を刻んだ石塔もある。
近くに慶長の大津波で亡くなった人を慰霊する千人塚がある。

川口神社から 旧海岸に沿って 黒生に出る。伊能図には「黒ハエ」と示されている地点である。
遭難碑を掃除していた近くの生け簀料理店の女将が遭難碑建立の話を聞かせてくれた。

慶應4年8月(1868)函館に逃れる榎本武揚の艦隊のうち美加保丸が座礁し13名が亡くなった。

3月に勝浦の 官軍塚 を訪れたとき、そこには この榎本武揚の反逆を抑える 肥後藩の援軍船が 川津沖で座礁し200名が亡くなった。維新前後の風雲に 思いをはせる光景である。

「黒ハエ」は今は「黒生」となっている。「ハエ」とは岩礁のことを言うから船の座礁もうなずける。近くには 「アシカ島」の地名もあり、これも伊能図に示されている。
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美加保丸遭難碑

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海鹿島の岬を周ると 弓形の君ヶ浜の先に 犬吠崎灯台 が目に入ってくる。

岬の先端を周る遊歩道が 崩落していて 立入が禁止されているには驚いた。ここも 九十九里南端の太東崎と同じように 海蝕の影響があるのだろうか。

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千騎ヶ岩
長崎の鼻を周って外川漁港に出る。堤防の先に千騎ヶ岩が見える。
伊能図に「千カ岩」として示されている岩礁である。今は堤防で簡単に渡れる。
義経率いる千騎の人馬が隠れた伝説がある。

犬岩
房総には犬の名がつく地名が多い。
この岩には 義経が奥州に逃れるとき 海辺に残された愛犬が 主人を慕って泣きあかし、やがて岩になったという伝説がある。
岩の反対側から見てみても犬の形に見えたら、もっと伝説を納得したのに。少しがっかり。

伊能測量隊は 7月19日から26日まで 富士山を観測するために 8日間銚子に留まり、8日目にして 犬若岬から 富士山を 観測している。
その時の歓喜の様子を次のように測量日記に記している。

同二十六日、晴天。此早朝、日出に犬若岬において慶助、富士山を測。着後十九日より富士山の方位を測らんと日々手分し、高きに昇り遠へ出しけれど、日々蒙気おおくして見えざりき、此朝富士山を測得たり。そのよろこび知るべし。予が病気も最早全快に及べり。此日奥州小名浜迄先触出す。

また、測量隊は 富士山の観測を待つ間、銚子の沿岸を測量し、7月25日には 銚子から 北西の 筑波山と日光山(男体山)を観測している。

千騎岩近くを散歩していた住民に 富士山遠望を たずねる。
年に 二三回は見ることが出来るという。それも 風の強い 冬の夕方に 見えるという。

丁度 このくらいの位置と 刑部岬から 左に寄った洋上を指差した。
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犬若海岸

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夕暮れの 外川の 坂道をのぼって 銚子電鉄 外川駅 に到着。(18:24)

房総ぐるり旅の終着点である。

今日はGPSログで35キロ歩いた。

1月に 野島崎を歩いていたころは 4時半には陽が暮れていた。昼間が長い分多く歩けるが、今日は良く歩いた。

靴下を変えたせいか左足にマメができていた。
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旅の終わりに
伊能忠敬の測量ルートを歩いて 26日間の「房総ぐるり旅」を終えた。

先人の偉業の一端を少しは実感できたような気がする。今まで、千葉に住んで千葉を殆ど知らなかった。サラリーマン時代は千葉都民であったが、この旅をとおしてやっと千葉県民になったような気がする。

また「通して歩く」ことの素晴らしさを、あらためて実感した旅でもあった。自己目標に向って、それが実現していく愉快さも知った。

歩きながらいつも、全国測量という偉業を達成した伊能忠敬のモチベーションは何だったのかと考えていた。旅を終えて忠敬を支えた気持ちの一端に触れたような気がする。

旅のデータ

◇ 期間 ・・・ 2008.4.14 〜 2009.6.1(13ヶ月)
◇ 旅の回数 ・・・ 26回(全て日帰り)月平均2回
◇ 歩いた距離 ・・ 587キロメートル(寄り道含む)1回平均21キロメートル

◇ 訪れた漁港・船溜り ・・・ 86
◇ 通過したトンネル数 ・・・ 42(主に南房総)

◇ 撮影したデジカメ枚数 ・・・ 2548枚
◇ ブログアップした写真枚数 ・・・ 764枚 (採用率31%)

◇ 交通費 ・・・ 67,000円/人
◇ 使用した2万5千分の1地形図 ・・・ 33枚(8,910円)

◇ この旅のブログアップ回数 ・・・ 62回
◇ 旅人 ・・・ 1人または、ときどき2人(カミサン)

◇ 旅の道具たち ・・・ 以前 ロングハイキングの道具たちにアップしました。興味のある方ご覧下さい。

今までアップしたブログは 伊能図を歩く房総ぐるり旅<目次1-2> をご覧ください。
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先週に引き続き 新堀浜から 飯岡漁港まで歩いた。(5/11)

これで 長かった 3日間の 九十九里浜歩きも 終わり。
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コミュニティバス(匝瑳市)
今朝は5時に家をでて JR飯倉駅に6:33に着く。 こんなに朝早いのは初めてである。
これも駅接続の バスに合わせるためで、これを逃すと 次は11時になるので仕方がない。

飯倉駅で バス停探しに 少し注意が 必要であったが順調にアクセスできた。

コンパクトなバスは 九十九里浜内陸に 点在する集落を 寄りながら 狭い道を進む。

始めは 乗客は私一人で、運転手とおしゃべりしができた。ドライバーの話だと 今年四月から 土日運休に なったと言う。それにしても 一律200円は 格安だ。そのうち 診療所に通う年寄り、通学の学生が乗ってきてけっこう 利用しているのが分かる。

7:09 新堀浜に降り 先週タクシーを呼ぶのに お世話になった民家に お礼に寄ろうと近づくと、丁度おばさんが塀越しに こちらに気づいて、少しおしゃべりをする。

おばさんの「がんばって!」のエールをもらって新堀浜に出る。今朝は もやで 視界が利かない。(7:45)
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イメージ 4新川大橋

新川大橋を渡る。(8:52)

古代の九十九里浜は 今のような姿では なかったらしい。
貝塚のある所を プロットすると 古代の海岸線が分かるという。その海岸が、その後 隆起や 漂砂の堆積により 陸地化した。

江戸の昔、九十九里浜北部内陸の 飯岡から 干潟にかけて「椿海」という 砂丘に囲まれた 大きな入江があったという。
それが330年前に干拓され 現在の 干潟八万石に なった。
この新川は、「椿海」を干拓したときの 排水路として 掘った川である。
しかし、この干潟は 干害と 水害の 歴史でもあった。これが解決されるのは 歴史が下って 昭和二十六年、大利根用水が 完成するまで続いた。

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海上保安官に間違われる。

神宮寺浜近くで 近くの住民が 貝採りに出ている。
海上保安庁に 届けをだして 鑑札を買うのだそうだ。赤いベストは マンガ(貝採り用具)用で 5月から8月15日までで 2万7千円、青いベストは カッチャキ用で7千円。違反すると10万円の科料。珍しいので デジカメで 写真を撮ったりした。

ここを離れて 浜辺の自転車道を 歩いていると、後から 50歳代のおばさんが 自転車で追いつき、海上保安庁の人か、なんで写真をとるのか。みんな 浜から上がってしまった。と不満を言ってくる。

驚いて釈明。手に持っているのはノートでなく地図であること。都会の人には珍しいので撮影したと話すと、分かった皆に話してくると引き返していった。

どうも住民は 海上保安庁に かなりの不満があるらしい。徴収した鑑札料で 飲み食いしたとか、護岸工事の漁業補償で 漁業権を放棄したのに、何故 鑑札が必要なのか などなど唾をとばして話す人もいた。

今までにも 「教育委員会の方ですか」、「大学の先生ですか」、「旦那、取材ですか」 などなど 声をかけられた こともあったが、それにしても 海上保安官に間違われるとは。

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ハマヒルガオ開花の 適期は過ぎたが、替って 名も知らぬ花が 目を楽しませてくれる。
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椎名内浜 付近の浜辺で たくさんの人が 潮の引いた浜で 何かを採っている。皆それぞれ工夫した道具で 盛んに浜を掘り起こしている。
訊ねると イシモチ釣りの イソメを採っているとのこと。 冷蔵庫で保存すると一年中使えるという。
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イソメ捕り

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魚のアラや 内臓の入った網を 海水の中を引き回すと イソメが出てくると言う。一方で 水の引いた所で 小さな穴を目当てに 手製のスコップで 掘り起こしている人もいる。
人夫々 こだわりがあるのが面白い。スコップは 軽トラックの 板バネを加工する のだそうだ。

飯岡海岸に 近づくと 突然靄(もや)の中から 刑部岬が現われる。 いよいよ 九十九里浜も 終わりだ。
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刑部岬

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玉崎神社 飯岡助五郎の碑

陶器製の 珍しい狛犬がある というので行ってみるが 石の狛犬であった。
最近は 仏像なども 盗難にあうから、文化財として 別の場所に 保存して あるのかも知れない。

ここには浪曲 「天保水滸伝」で有名な飯岡助五郎 の力石がある。墓は近くの光台寺にあるという。
それにしても 浪曲は 殆ど聴かれなくなった。むかしは ラジオから ひっきりなしに 浪曲が流れていた。浪曲天狗道場などの人気番組もあった。

飯岡漁港を 周って 刑部岬の下に出る。
長かった60キロにおよぶ 九十九里浜の 終端である。
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九十九里浜の東端

海岸は ここから 銚子の外川まで10キロにわたって 切り立った屏風のような断崖が続く。
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崖下の、この護岸の道は どこまで続くのかと 釣り人に訊ねると「通蓮洞」までと答えが返ってきた。

まだバスの出発時刻までには時間があるので行ってみる。

イシモチや スズキ狙いの 釣り人が多い。多い人は 8匹のイシモチを釣っていた。釣られたイシモチが変な 鳴き声を するのには驚いた。

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灯台キャベツ と 飯岡メロン
断崖が 一瞬途切れたところが 「通蓮洞」。旭市と 銚子市との境で 磯見川が 流れ出ている。

遠くの方から 選挙日を知らせる 広報車の声が 聞こえる。市立病院が 経営難から 閉鎖され、市長がリコールされて 全国的に有名になった。その出直し選挙の 広報である。リコール側から 多数の立候補者が出て、あのリコールは なんだったのか と意外な展開になっている。

崖上に出て キャベツ や メロン畑の 農道を経て 刑部岬の 展望台に出る。

空は霞んで 眼下の飯岡漁港しか 望めない。3日間かけた 九十九里浜を 回想してみたかったが残念。晴れた早朝や 夕方には 「富士山」 や 「筑波山」が望めるという。
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刑部岬から飯岡漁港のパノラマ

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岬近くの一等三角点(飯岡) をキャベツ畑の中に訪ね、急ぎ岬を下りバス停(飯岡漁港)に向う。

バス停を探すの苦労する。地元民はあまり利用しないのでバス停を知らない。

この経路は1日3本で 最終の 16:50 に乗る。
歩いて旅する人はバス停を探す余裕をもってタイムスケジュールを立てなくてはならない。

このコミュニティバス(旭市)も 一律100円ですこぶる安い。

しかし乗るとき100円玉がないと まずいことになる。

生憎 小銭がなく 千円札を出すと ダメだと言う。乗ってくる乗客に 両替を頼むも 果たせず、JR飯岡駅で バスを待たせ 駅の改札口で 千円をくずして支払った。

飯岡駅で50分ほど待ち、17:51 発の千葉行きで帰宅する。

今日歩いた距離はGPSログで30キロであった。

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