旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

伊能図を歩く−房総半島−

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九十九里浜は 本当に長い。

九十九里浜北端の飯岡漁港まで 2日間で行けるかと思ったが、寄り道も考えると、やはり3日間は必要だ。南端の 一宮海岸から始まって今回(5/4)は2日目。

千葉駅前18番乗り場から九十九里ライナー(900円)を利用し、前回の終点片貝駅に降り立つ。
(8:57)

九十九里ライナーは JRラインから 離れている片貝に アクセスするには 大変都合がよい。
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九十九里 ライナー


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しゅんせつ船 と 突堤
作田川を渡り、川に沿って 九十九里漁港に 突き出る突堤の 先端に行く。途中 しゅんせつ船が 川辺に 係留されている。

前回、片貝駅近くの 蕎麦屋のおしゃべりな女将が 話していた 仕事の絶えない船だ。
ここ片貝海岸は 年間1〜2m 漂砂による陸地化が 進んでいるという。
漁港が 砂で埋まらないように 絶えまぬ 浚渫(しゅんせつ)が必要なのだ。

だから、二百年前 伊能測量隊が歩いた汀(なぎさ)は 現在の海岸線から 400m近く陸側にあったことになる。

九十九里の浜は 単調だが、地図の好きな人には 興味がつきない。

まず、地形図を見て 目に付くのは 末尾に ○○納屋 の 地名が 集中的にあることだ。全国的には 下北半島にもあるが、これほど 集中的にあるのは ここだけ。
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納屋集落 の 地名

また、同じ地名の下に、△△岡や △△新田、△△納屋 とつく地名もたくさんある。例えば、粟生岡、粟生新田、粟生納屋が 陸から 海岸にむかって 並んでいる。

これらの集落の 成り立ちには イワシの豊凶サイクルが 関係しているという。

はじめ「岡」集落ができ、つぎに 砂堆の間に 新田が開発され、つづいて イワシの豊漁が やってくると浜辺に 納屋集落ができる。イワシが獲れなくなると、新田開発が 盛んになるという。


伊能大図をみると 海岸の測量線から 枝線が 内陸に2本延びている のが分かる。
ここ九十九里は 伊能忠敬の生まれ故郷で、忠敬は 屋形村に午前に到着したあと、父の墓参のため 小堤(おんづみ)村に立寄っている。また、止宿先の名主海保右衛門は 忠敬の実家・神保家の 親戚海保家である。

伊能測量日記をみると、
同十六日、朝より晴。六つ半頃本須賀村出立。井之内、松ヶ谷村、小松村、木戸村、蓮沼村、屋形村午前に着。止宿名主海保右衛門。(*忠敬の実家・神保家の親戚海保家)。此所より同郡小堤村へ立寄。七つ半頃帰る。夜晴測量、此所迄上総国武射郡なり。
とある。
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伊能大図の房総半島片貝付近の地図(フロア展より)

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ハマヒルガオ の 群落
突堤から浜に戻り、浜を北上する。途中、砂丘に ハマヒルガオ の群落が出てくる。砂の中から 蕾(つぼみ)がたくさん突きでている。今が開花シーズンのようだ。
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イメージ 9イメージ 10カイトサーフィン と なぎさのキョウジョウシギ
単調な海岸歩きにアクセントをつけてくれる。

イメージ 11木戸川
九十九里といえば イワシ。
江戸のむかしから、全国有数の 干鰯(ほしか)の生産地であった。

干鰯(ほしか)が、綿や葉藍、蜜柑などの商品作物の肥料として需要があったからである。干鰯は江戸や大阪の問屋に集められて消費地に売られた。

木戸川を境にして「納屋」集落の地名は、「浜」集落に変わる。これは江戸時代の干鰯問屋のなわばり(商業圏)に関係しているという。

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蓮沼公園展望塔 と 飯岡海岸遠望

木戸川を越えると 左の防風林の中に 蓮沼公園が 見えてくる。連休中で家族連れで賑わっている。フリマーの間を抜けて 展望塔 に登ってみた。遠くに この旅の終着 銚子がかすんで見えてきた。

双眼鏡で 飯岡から 銚子の方角を 覗くと 台地にならぶ 巨大風車や 飯岡灯台、右にかすかに 犬吠崎灯台 も見えてくる。いよいよゴールもロックオンされた。

イメージ 14栗山川 屋形橋 サケの欄干レリーフ

栗山川は 上総と下総の国境 また、ここは鮭放流と回帰の南限でもある。
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今日の終着 新堀川河口近く

イメージ 16新堀浜バス停

新堀川手前で 浜から県道に出て 近くのガソリンスタンドで コミュニティバスの 停留所を訊ねる。

しかし 行ってみて、土日休日運休を知り 愕然とする。

しかたなく 近くの民家で タクシーを聞くと、
それなら「良雄さん」だと電話をかけてくれる。「良雄さん」とは この家の親戚で タクシーのドライバーをしている。

それにしても 土日休日運休 とは どういうバスなのだろうか。
家人に尋ねると 主に住民が 通院に使うバスらしい。だから診察の無い日は運休となる。

九十九里を旅する人は要注意だ。

おかげで均一200円のバス料金が3,230円のタクシー代に変わった。(JR飯倉駅まで9キロ、迎え料金800円含む) 
旅はいつもハプニングを提供してくれる。

JR飯倉駅18:48発の千葉行きにのり帰宅する。
今回の歩行はGPSログで30キロであった。

房総沿岸歩きの旅も、ゴール銚子を 目指して 残すこと 2日になった。次回は飯岡漁港まで。九十九里浜を やっと抜けることができる。

ブログ記念日

ブログ開設の きっかけとなった ロングハイキング(伊能忠敬の 足跡を歩く 房総沿岸歩き)も今日で 2年目に入った。
きのうは一年前、自宅下の 14号線を 歩き出した 記念日である。(2008.04.21)

senior style(シニアスタイル)というネーミングは、 シニアの過し方の一例をご紹介することからつけた。

開設当初は、いろいろ アップの作法が分からず、ブログ仲間に 教えを請いながらの 日々であった。写真の レイアウトが 思うようにならず苦労したが、今は自己流ながら アップの効率化も 会得してきた。

ところで、ブログのタイトル「旅は道連れ 風吹くままに」のことだが、これにも 若干 エピソードがある。

2年前、旧中山道を カミサンと 歩いたとき、ある本に出会って、その本のタイトルの一部をいただいた。
それは 岐阜県垂井宿の 亀丸屋旅館(1777年創業) に 泊まったときのこと。夕食後の 談笑の席で、女将さんが、この本「明治十八年の 旅は道連れ」を紹介してくれた。
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旧中山道ルート

本の内容は 福島県猪苗代町で 酒造業を営む「常吉さん」が 仲間と連立って、82日間、820里の 日本半周の旅を 綴った「道中日記」である。時代は明治十八年のこと。

もう少し正確にいうと、この「道中日記」が 著者 塩谷和子さんの 実家の 文書蔵で見つかり、曾孫の 塩谷和子さんが、「道中日記」をもとに「常吉さん」の足跡をたどった内容である。

冒頭の 亀丸屋旅館は、「常吉さん」が実際に宿泊した旅館で、なぞりの旅をした 著者の 塩谷さんも 実際に泊まって 女将さんと懇談している。
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1777年 創業の 亀丸屋旅館

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中山道から帰って、地図と首っ引きでこの「旅日記」を 旅してみた。初めて知る 明治中ごろの旅の様子に 目をみはった。

猪苗代−水戸−東京−(東海道)−伊勢−奈良−大阪−金毘羅参り−瀬戸内海−岡山−京都−(中山道)−善光寺−新潟−猪苗代

交通の手段は、徒歩、川下り、人力車がメインで、瀬戸内海は 汽船を使い、また その頃開通した 陸蒸気(新橋−横浜)にも乗っている。

このブログも、ひょんな経緯から 我が曾孫が みつけてくれたら 面白いと思う。
(サーバーの 保存期限が あるはずだから、ペーパー化しておいたほうが いいかもしれない)

日本には、たくさんの「旅日記」が のこっている。どうも 日本人は 文書に残すことが 好きな民族であるらしい。このような 文書文化の ある日本人には ブログは 合っている のかも知れない。

私は 今もブログって 何だろうと 定まらないまま アップしているが、この辺に 疑問解決の ヒントがあるかもしれない。

今日 ゲストブックに アクセスがあり、「ランキングから来ました」とのコメントがあった。ランキングとは初耳だ、調べてみると、なんと ヤフーブログランキング59位 に 入っていることが分かった。

詳しい 仕組みは わからないが、ブログ記念日として うれしい。皆さんの お陰に 感謝!
前回 九十九里浜の 中間点「片貝」に到達した。

これから 後半の 飯岡まで 約32キロある。さらに 片貝から 内陸3キロ行ったところに「伊能忠敬出生之地」 があり、これはどうしても訪ねなければならない。そうすると全体で40キロ近い行程になり1日で進むことは厳しい。(JRラインは海岸から7キロも離れている!)

そこで今回(4/18)は、片貝から「伊能忠敬出生之地」を事前に往復しておくことにした。

千葉から車で片貝まで行き、浜近くの町営駐車場から歩き出す。
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伊能忠敬 出生之地 付近の 地形図

海岸にはたくさんのサーファーが波間に遊んでいる。それがアシカの群れのようで面白いので、思わずカメラを向ける。

いつものようにシャッターを押すと、信じられないことが発生した。突然カメラがフリーズ。
電源ボタンを押してもレンズが元に戻らない。バッテリーを抜き差ししても状況は変わらない。今までこんなことはなかったのに。
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竹久夢二の歌碑

一時はパニックに見舞われたが、そうだ 携帯電話で 写せばいいのではないか と気を取り直し「伊能忠敬出生之地」に向うことにして作田川に沿って遊歩道を上流に向う。

途中、作田川河口の 竹久夢二詩碑に立寄る。ここ九十九里浜も夢二が訪れた。

まてど くらせど こぬひとを 宵待草のやるせなさ・・で始まる「宵待草」が刻まれている。
少し歳のいった人なら誰でも口ずさんだことがある。しかし、夢二が訪れたからといって、ここが「宵待草」発祥の地とうことではないらしい。
夢二が訪れた各地に同様の碑が建っているというから面白い。

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出生の碑 と 伊能忠敬像

伊能忠敬は、1745年(延享2年)ここ小関村(下総国山辺郡)で生まれる。その後1762年(宝暦12年)下総国香取郡佐原村の旧家伊能家に婿養子に入る。

1795年(寛政6年)忠敬49歳のとき、家督を 長男にゆずり、翌年江戸に出て 高橋至時幕府天文方になる。そして5年後の 1800年(寛政12年)日本全国の測量を開始する。
周囲は 長閑な 田園風景。

町の魚屋で 干物を買い、蕎麦屋で イワシのつ みれ蕎麦を食べる。
店内に 戦前の 古い温度計があった ので撮影。「桜」のマークや「第一徴兵」とあるのは、いかにも戦時中の 雰囲気がある。「第一徴兵」は 保険の広告らしい。
温度計だから 今も 狂いがないと 女将は笑って話す。

おしゃべりな女将に 片貝駅(九十九里鉄道) のことを訊ねると、この近くが 片貝駅で 軌道跡は 今通学専用道路になっているという。

地形図をあらためて見てみると、たしかに カーブを描いた 軌道の跡が残っている。 イワシのつみれ蕎麦は塩辛かったが、軌道跡が分かったのは おいしい収穫であった。

古い温度計
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デジカメフリーズの てん末
レンズを 傷つけないように タオルで包んで そっと家に持ち帰り、専用電池を 充電すると レンズが戻り 正常に復帰した。電池の 消耗による トラブルであったのだ。

それにしても レンズが 戻る余裕を 残して 使用不可にするような 設計にすべきなのだが。
私のブログを訪問してくれる方から、「房総半島歩きの持ち物 について紹介して」 とのリクエストがあった。沿岸歩きも 終盤にさしかかり、この旅のまとめも 考えていたので 参考になったらと思い、今回アップしてみた。

旅を楽しむための 道具たち(携行品)
地図(2万5千地形図)、 透明地図入れ(100円ショップで購入)、 ハンディGPS、 経緯度読取定規(マップポインター)、 方位磁石、 コンパクトデジカメ、 ミニ三脚、 双眼鏡(ダハ式8倍)、 偏光サングラス(メガネにかけるもの)、小型ナイフ、 携帯電話。 その他 使用頻度は少ないが、ホイッスル、 携帯ラジオ、 LEDライト、 ルーペ、 バンドエイド、 健康保険証など。
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道具たちの一部


イメージ 2快適に歩くための ウエア
(身につけるもの)

ウオーキングシューズ、 ストレッチパンツ、 半袖Tシャツ(前ファスナー)、 帽子(冬はキャップ、夏はつばのあるもの)、 サンシェード(帽子にかぶせる)、 キャップ紐、

前ファスナーベスト、 風除けナイロン地長袖、タオル、手袋(磯、藪歩き用)、雨具(折たたみ傘)、小型ザック(18リットル)、ウエストバック(デジカメ、 GPSなど直ぐ取り出せるものを収納)など。

冬場には、 これに長袖のインナー・Tシャツが加わる。
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小型ザック(18L)とウエストバック

エネルギー源 と 飲料
朝食用赤飯(前日購入して、 おにぎりにしておく)、 昼食用パン(美味しいもの)、 果物(リンゴ、バナナ、柑橘類など)、 スポーツドリンク(500ml)、 チョコ。なお、昼食は 食堂があれば入るが 当てにならないので、パン類は必携。 果物は疲労回復にかなり効果がある(と思っている)

以上は 日帰り用、泊まりのときは 洗面、替えの靴下・衣類が加わり、ザックも大きめのものになる。インナー類は 現地で洗濯するので 速乾性のものを持っていく。
今朝はいつもより1時間早く家をでた。

今回(4/13)は東浪見から片貝までのロングハイキングになるからだ。
房総沿岸歩きも終盤に近づいてきた。

JR外房線東浪見(とらみ)駅に7:25到着。
今朝は 周囲が開けた場所にも拘わらず、GPSが中々測位しない。GPS衛星の配置の関係か、少し苛立ちながら歩きだす。
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かん水汲み上げ井戸
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JR 東浪見駅は 九十九里浜から1.5キロ内陸にある。まずは浜を目指して田圃の中の道を行く。

途中、田圃のなかに見なれない「火気厳禁 立入禁止 杭井名H-7 伊勢化学工業」の施設が出てきた。

もしやガス抜きの井戸か。昔から 茂原や 大網地区は 天然ガス の噴出がしられている。古い写真のなかに、野良仕事の休憩に天然ガスでお湯を沸かしている光景があった。

帰宅して「伊勢化学工業」を調べてみると、ここは ヨードの 世界的生産地(3位)で地下1〜2キロから天然ガスとヨウ素含んだ「かん水」を汲み上げていることが分かった。

汲み上げられた「かん水」は天然ガスとヨウ素に分離する。ヨウ素は消毒用でおなじみだが、液晶パネルにも使用されているらしい。

ホテル一宮館 と 芥川荘
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一宮川河口のほとりに 芥川龍之介が滞在した「芥川荘」を訪ねる。「ホテル一宮館」のフロントに見学をお願いすると快く応諾してくれる。

龍之介が滞在した離れは 松林の中にあった。茅葺の家屋は 当時の状態を保っているという。龍之介は、ここに滞在して 海水浴や 読書、昼寝をしたのだろう。平成の世の中、こういう処で過ごせたら、それは贅沢というものだ。


芥川荘から 一宮海岸に出る。

時々ブログにコメントを残す「金さんの子」さんが、一宮海岸に雀島があるとの情報をくれたので確かめてみる。

やはり、ここは砂浜で雀島はない様だ。そこで 双眼鏡を取り出し、これも予想していたことだが、太東崎の近くの「雀島」を確認してみた。
今朝は海がかすんで肉眼では判別しずらいが、太東崎灯台下に雀島がみえる。空気が澄んでいれば肉眼でも見えると思う。
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一宮海岸


新一宮大橋で 一宮川をこえる。旧一宮川の ラグーン(潟)に沿って北上する。途中100m近い 木製の「中瀬大橋」 を渡って浜にでる。

この木製橋は 地元の篤志家「石井亀吉」さんが 戦後架けた橋。それまでは伝馬船で渡った。今ある橋は架け替えられたものだが 木製のやわらかさが周りの景色に溶け込んでいい雰囲気である。
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中瀬大橋


鶴亀マンホール
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中瀬大橋を抜け海岸にでて、サイクリング道路をたどるが工事中のため、また街道にもどる。

「蟹道」集落の中の小径を北上していると、鶴亀マークの マンホールを 発見。
近くで雑草とりをしていた老婦人に訊ねると。ここは 長生(ちょうせい)郡 だからという。長生きの地名にちなんで鶴亀。(汚水蓋だが、とにかく目出度い)

老婦人に、この辺は珍しい地名が多いですね。と水を向けると、

「こうじ(幸治)が、なか(中里)にありながらみそ(太東岬)がないとは はっと(八斗) おどろき(驚)」

とこの辺で言われている言葉遊びを教えてくれた。( )内はこの辺の地名である。

老婦人は、撮影しやすいように蓋を掃いてくれながら、若い頃は地曳網を浜で引くのに、焼けた砂浜を手拭いで足を覆いながら行ったもんだ。と金歯を光らせながら、その頃の様子を話してくれる。


事前に 緯度経度を 確認しておいた 二等三角点(一ッ松)を GPSを頼りに訪ねる。九十九里浜沿岸には幾つか三角点があるが 丘陵地帯と違って 平地にあるので見つけ易い。
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三角点(一ッ松)

妙法寺 の 津波供養塔
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元禄大津波(元禄16年 1703)では、ここ九十九里浜では数千人が津波で亡くなっている。これも数ある供養塔の一つ。(長生郡白子町幸治)浜から2キロくらい内陸に入ったところにある。

ここから北に南白亀(なばき)川があるが、、房総半島東岸を襲った大津波が 川を遡り 大変な被害をもたらした。(房総災害史)

砂丘
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九十九里浜は 只ただ、間断なく聞こえる潮騒と、砂浜、潮風。

昨年 富津岬を歩いていたとき、あやうく熱中症になりかけ 岬先端の展望台の影で 横になったことがあった。今回はその反省をふまえて、給水に工夫してみた。

まず 500mlのスポーツドリンク2本を用意し、1本は直ぐ飲めるように 胸のザックの背負いベルトに固定し、歩きながらでも給水できるようにした。 他の1本は予備である。

もう一つの工夫は 給水タイミングである。ついついタイミングを逸してしまうことが多かった。
そこで 九十九里浜の初めは 北に直線的なことから 緯度1分(約1.5キロ)ごとに一口飲むことにしてみた。地図とGPSは頻繁に見るのでタイミングをとりやすい。

片貝をすぎて 弓なりの浜が 横に傾いてきたら、経度1分30秒(約1.5キロ)を目安に給水ルールを設定してみようと思う。(A型の自分にポチ! Laugh )

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房総沿岸を歩いていると、やたらと 元気な老人に出会う。大正12年生まれのこの老人は、地元の人だが毎日のように浜で 蟹(きんちゃく)や貝をとって遊んでいる。

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澪(みお)を知り尽くしている地元の人だから 海岸流を利用して 網を流すだけでカニが捕れる。餌はイワシ。臭いに引き寄せられて 面白いように蟹がかかる。貝(蛤)は身が硬いが、カニは美味い。孫が料理してくれると屈託ない。


老人と別れてしばらく行くと、浜辺にカニがいた。ためしに突くと、身を起こして威嚇してくる。抗議するなら、あの老人にと海に戻してやる。
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チリ−津波碑
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南白亀(なばき)川を渡る。元禄大津波では、この川を津波が遡り 数百人規模の人的大被害をもたらした。

通常 遠浅の砂浜では これ程までの 被害にはならないが、川を上る津波は 被害を格段に大きくし、長い間低地に水が滞る。近年、九十九里浜の南北に位置する 太東崎と 屏風ヶ浦の 護岸工事が、砂浜を貧弱にして津波の被害を大きくする可能性があるとの指摘もある。

南白亀(なばき)川を渡ったところに チリー津波の碑が出てくる。
一宮から片貝まで 九十九里浜に沿って 九十九里道路が走っているが 道路を乗り越えた大津波が引くときに 排水の妨げにならないのだろうか。

知恵子の碑
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真亀川の手前の浜で釣り人に、この先の 国民宿舎(サンライズ九十九里)からも千葉行きの直通バスが出ている という情報を得る。

行ってみると1時間以上も間がある。足も疲れてきたが、計画通り片貝からの乗車と決めて再び海岸へ出る。

途中サンライズ九十九里横に「知恵子抄誌碑」の案内が出てきた。夕暮れもすすんだ浜には千鳥も見えない。
(17:20)


足を引きずりながら 片貝に到着。(18:20)
今回も良く歩いた。(GPSログで37キロ。)

これで次回 飯岡近くまで行ける予定がでてきた。

片貝駅(昔 九十九里鉄道が あったことからバス停だが駅の名前がついている)は、始発だが待合所もなく、出発待ちの間、自販機の照明のなかで 残ったパンを頬張る。

19:15発の千葉駅行 九十九里ライナーにて帰宅する。
(19:15のバスは土日休日は運休なので注意が必要)
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