旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

伊能図を歩く−房総半島−

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今回は「明鐘(みょうがね)岬」を徒歩で通過する人が参考になるかもしれないと思って、少し写真が多くなるが難所ルートを紹介してみる。

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前回と同様、早朝千葉を出て(10/22)JR浜金谷にに着く。
(8:21)

早朝の金谷の街を通り抜ける。

房州石(金谷石)の塀がめぐらされていると、ついカメラを向けてしまう。

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金谷漁港を右に見て国道127号を南下する。

今日は空気がしっとりしている。

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何気ない風景に感動するのも旅人の感傷。

トタン板を風除けにした花が目を楽しませてくれる。

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前方に明鐘岬が見えて来た。(8:47)

最初の隧道(ロックシェッド 落石除けのひさし)は側道があって歩行には問題ない。

いよいよ隧道の始まりである。この先岬をまわって三つの隧道がある。(明鐘、潮噴、元名)

鋸山の主稜が東京湾に落ちる先が明鐘岬である。
(伊能大図では明金岬)。

江戸の頃から上総と安房の国界であるこの岬は難所であった。
水戸黄門をはじめ数々の文人の紀行にも、明鐘岬の困難な様子が語られている。

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車で通過すれば何も感じずにあっという間に通り過ぎてしまう。

しかし歩行者にとっては今も難所に変わりない。


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トンネル入口上部には歩行者・自転車に注意の表示板がある。

さらに入口両サイドには徒歩・自転車でトンネル内に入るときは下の赤いボタンを押して下さいとの注意書きがある。

果たして、これを信じて歩行する人はいるのであろうか。




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トンネル入口から右に旧道に入る。やがて茶店が出てくる。(8:59 岬 珈琲)

ここから先は立ち入り禁止のロープがある。




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ロープを跨いで進むと崩落した岩のガラ場がでてくる。
(9:02)

見上げると切り立った崖に崩落の跡ががみえる。




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崖上の落石に注意しながら、なおも進むと隧道の明り取りの窓がでてくる。

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明り取りの中にトンネルを疾走する車を見ながら側道を進むと明鐘隧道の南側にでる。(9:07)

ここまでは特に問題ない。

ここにも入口に赤い歩行者用のボタンがある。ボタンを押したらトンネル内にどの様なサインが出るのであろうか。

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トンネル南側の路傍にお子供を抱いたお地蔵さんが出てくる。

(野球のボールが供えられている。何かアクシデントのあった子供の供養のように感じる)

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この地点は日本寺参拝のための有料道路の上り口である。



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かっては賑わったであろうドライブインが朽ち果てて放置されている。

ここから国道沿いに400メートルすすむと潮噴(しおふき)隧道が出てくる。

地形図では短いトンネルに見えるがロックシェッドが手前にあり、衛星写真では長く見える。

側道があるが行き止まりになっている。(9:15)



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ここには歩行者用の押しボタンは無い。(もともと歩行者や自転車の通行は考えていないのかもしれない。ではあの押しボタンはクレーム対策用か?)

この先にさらに元名隧道と続くが歩行者用のボタンがあるのであろうか。

ともあれトンネル内は歩いて通過しないほうがよい。カーブしているので急に人影が出てきてもドライバーはよけきれない。

水戸黄門の「甲寅紀行」には「鋸山の出崎の小なる路を、岸に沿いて通る。・・・明金の内に八町許り難所あり。荷付馬通る事ならざる間、一町半あり。」とあり、難儀した様子が記されている。

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行き止まりのところから磯に下りる踏み跡がある。

ロープをつたって磯に下ると釣り人に会った。

今回もカミサン同行である。

単独で歩くつもりであったが、計画を告げると「わたしも行けるかしら」と言ってきたので「山登りでないので平気」ということで同行となった。






磯づたいにトンネル下を通過する。(9:20)
潮高は1メートル。(海上保安庁潮汐情報)




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この磯づたいルートは旧道ではない。旧道は崖上にあると思うが入口が分からない。

現在の隧道が出来る前にも古い隧道があったようだ。衛星写真を見ると痕跡らしきものが見える。また踏み跡らしきものも見える。

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振り返ると崖に張り出すように潮噴隧道が見える。

強風や天候が悪いときは磯歩きは止めた方がいい。









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元名トンネル下で崖上を見上げていたとき、突然足を踏み外してごらんのとおりのアクシデント。
意外と出血が多い。

(このようなとき、海辺の住人は「上げ潮だから」と納得する。人の誕生や死のタイミングも潮の満ち干に関連付ける風習がある)


磯づたいの歩行には軍手とバンドエイドが必須である。(鋭角の岩がある)
もちろん服装はロングパンツと長袖がよい。それに靴も滑りにくいハイキング用が必須である。崖から滲みだしてくる水が岩の上に滑り易い苔をつくっているところもある。(カミサンは滑って腰を打った)

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可憐な磯菊(イソギク)に緊張がほぐれる。

傷を応急処置して、やっと難所を抜け、元名の砂浜にでた。
(10:04)







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振り返ると前回登った鋸山主稜のパノラマが目に入ってくる。

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(その2へ続く)

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無人駅
今朝(10/12)早朝自宅を出て前回終着としたJR内房線竹岡駅に8:17に着いた。
ここは無人駅。無人駅で乗車して無人駅で下車したら料金はどうなるのであろうかなど心配してしまう。

今日は3連休の中日で釣り人も多い。今回はカミサンも同行である。

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黄金井戸
竹岡駅から国道に出て直ぐ左手に黄金井戸の案内板がでてくる。

これは古い海蝕洞窟が隆起してできたもので、中に水溜りがあり菜の花の咲く時季に黄金色のヒカリ藻が浮き上がるという。(国指定文化財)

水戸黄門の「甲寅紀行」に「黄金花」と記されているから相当古くから知られているようだ。

地元の人の話では2月ごろ見られるという(菜の花の咲く時季が早い)

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萩生新町

国道から萩生新町の集落に入って磯に出てみた。

街道歩きでは国道から離れて集落の中の道をあるくのがお勧めである。

曲がり角にお地蔵さんがある。
台座に拾弐番と彫られているから巡拝道かもしれない。

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浜からは対岸の久里浜が指呼の間にある。

たまたま浜に出てきた人に富士山の位置を尋ねると、東電久里浜火力の煙突の左上に見えるという。

こんなに良い天気なのに今日も見えない。天候を選んで沿岸を歩いていても富士を望むことは意外と少ない。

この住人は魚をさばいた俎板を海水で洗ってまた家に入っていった。

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危険な家

羨ましいような、怖いような光景が現われる。

ベランダから磯に直接でられるのが家主の建築コンセプトに違いない。

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隧道

竹岡から金谷への国道には短いトンネルが五つある。
その内三つの隧道には迂回路がない。
トンネル歩行は恐ろしいので専用の歩道が無いときは迂回したいと考えていた。

そのため事前に明治初期の地形図をチェックしておいた。これによると往時の西房総往還にはトンネルがないことが分かった。ということはトンネルを迂回した踏み跡があって、そこを通過することが出来るかもしれない(と期待した)。

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実際に行ってみると打越隧道、丑山隧道にはトンネル内に歩道があった。

しかし洞口隧道には無かった。

期待していた踏み跡もわからない。車の途切れをぬって駆け抜ける。

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磯にはみ出した道路

房総半島も上総湊を過ぎると山が海岸近くまでせまり平地が少なくなってくる。

ここ館山自動車道富津金谷IC入口の道路も磯にはみだして造られている。

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金谷漁港

竹岡から約4キロ歩いて金谷に到着した。孫を背負った年寄りが浜辺を歩いてゴミを片付けている。

ウミネコが波に体をまかせて浮かんでいる。のどかで平和な光景である。

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ロープウエイで

伊能忠敬の測量日記には元名から村役人の案内で鋸山に登山して測量したとある。

そこで忠敬さんも眺めた鋸山からの光景を見たく鋸山を往復してみた。

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浦賀水道

ロープウエイ山頂駅の屋上展望台から眼下に浦賀水道が見える。

手前の港は金谷漁港。久里浜と金谷を結ぶ東京湾フェリーも波止場に見える。

伊能忠敬はどこまで登ったのであろうか。日本寺以外の詳しい記載はない。


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百尺観音

今回の旅の目的の一つに三角点探訪を計画していた。

ロープウエイを下りれば山頂の三角点への案内があると思っていた。ところが案内板も無くルートが分からない。

日本寺入り口の管理所で尋ねると鋸山の登山道は富津市の管轄などと要領が得ない。
なおも食い下がるとやっとルートが分かった。

入山料600円を払い一旦百尺観音に出て北入り口で再度聞くとルート図をくれた。
これによると一旦外に出て、下ったところで金谷から登ってくる登山道と鋸山三角点への分岐があることが分かった。

急な石段を下ると分岐がでてきた。石切り場の跡を見ながらアップダウンを繰返す。


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石切り場跡
江戸の頃から房州石(金谷石)をここで切り出し小さな荷車にのせてブレーキをかけながら金谷に下ろしたという。(この重労働を女性が従事したとある。)

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ほととぎす

野生のほととぎすを初めて見た。

路傍にたくさん咲いている。
(ホトトギスの胴の斑点に似ていることから、この名がついた)

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東京湾が見える展望台

急な岩肌を穿った階段を手すりの助けをかりて腕力で登る。
それにしても石段の蹴上高さがすごい。

登りきると稜線にでる。そこから一登りで新展望台に到達する。

パノラマ盤が伊豆大島を指している。

写真ではみえないが水平線の青ににじむように島影が見える。

地形図で見るとこの展望台の真下を館山自動車道のトンネルが貫通している。


洲崎(すのさき)遠望

これから歩く野島崎までの海岸線がハッキリと遠望できる。美しい。

目的地が視界に入るところまで来たのである。

こうやって眺めると日本武尊や源頼朝の安房上陸、捕鯨の基地安房勝山(江戸のころから浮島周辺に回遊してきた鯨を捕った)、伊能忠敬の沿岸測量など、また別の視点で歴史を俯瞰することができる。
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一等三角点

新展望台からは千葉テレビの中継所を経て少しのアップダウンで一等三角点(鋸山 329.4m)に到達する。

人見神社で見た菱形基準測点がここにもあった。

展望は北側のみで周囲は照葉樹で覆われている。

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GPS

今回鋸山に登ったのは一等三角点を訪ねるのも目的のひとつであった。

持参のGPSで測位して2万5千地形図で位置を確認した。

(N35-09-25、E139-50-38)

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測位データから定規を使って地形図上に現在位置を確認できるのは愉快である。

★この測位データは日本測地系で表示したものである。
現在は世界測地系が標準となっている。

このGPSは測地系を切替えできない。
したがって地形図にグリッドを引くのも日本測地系で引いている。

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鋸山が西にずれている

ところで帰宅していつも使っているデジタルマップ(プロアトラスW2)を見ていると鋸山の位置が実際より西に13秒ずれていることに気がついた。

国土地理院の地形図で確認しても同じようにずれている。

このデジタルマップは何年も前に購入したものだから最新版は修正されているかもしれない。

このような誤りもあることを念頭にいれて利用することが肝要である。

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東洋一の大仏(高さ31m)

同じ道を戻り百尺観音のある日本寺北入口に登り返し、千五百羅漢、大仏を見学してまたロープウエイの山頂駅にもどる。

もうこの頃になると膝の腱が緊張して痛みすら出てきた。

実際に歩いてみて鋸山の一等三角点と日本寺大仏、千五百羅漢をめぐるのはロープウエイを利用してもシニアにはかなりハードであることがわかった。

一等三角点を訪ねるなら金谷から観月台を経て石切り場の景観を眺めながら東京湾が見える展望台に寄って三角点に到達し林道口を経て保田に下るルートが良いかもしれない。

またロープウエイを利用するなら三角点を外して日本寺の中の大仏や千五百羅漢、十州一覧台を探索するのが膝にこないと思う。

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房州石
金谷の町には石垣の家が多い。

鋸山から切り出された房州石なのであろうか。

海風に晒されたテクスチャが良い。

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鋸山を形どった駅名

計画では安房勝山まで行く予定であったが石切り場のアップダウンで体力を使い果たし、あえなく浜金谷で終る。

次回は浜金谷〜那古まで歩きたい。

JR浜金谷発16:40の特急にて千葉に帰る。
・・・伊能測量隊は享和元年(1801)六月二十五日 低くたれこめた曇り空のなかを富津村を出立する。程なく雨。前夜は晴天で天測が出来ただけに少し意外な感じ受けながら江戸湾に突き出た富津岬に向けてもくもくと測量の足を伸ばす。前夜富津村の村役人から聞いていた地点まで測量し、その先に砂州が点々として沖に延びるのを確認してから踵をかえして川名村に向う。すでに測量が終った対岸の州崎村(三浦半島)の方角は煙って見えない。・・・

 以上は伊能測量日記と現地を歩いた体験からのわたしの創作である。

「測量日記を歩く」 伊能図と測量日記を読み、そして現地を歩く。想像力をかきたてられる旅だ。

伊能測量隊はこの後、篠部、大和田、岩瀬、小久保、大坪、八幡、笹毛の各村を経て湊村に到着し、五郎右衛門宅に止宿している。

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今回(9/24)は、前回終着としたJR大貫駅からJR竹岡まで歩いた。(地図上17キロ)

伊能図の測線はほぼ海岸線をなぞっているので私も海岸線を辿ることにする。今回のコースの難所は磯根崎である。前回地元の人に尋ねたときには通過できると言われた。念のために上総湊にいる友人に再度磯根崎の様子を聞いてみた。
どうも先端が崖になっていて磯づたいに行けるかどうか頭をかしげている。たしかにグーグルアースの衛星写真を拡大してみてもその周辺だけ砂浜が無いようにみえる。

そこで潮まわりを調べて引き潮のときに磯根崎を通過するように考えた。もっとも現地に行って無理であれば引き返して崖上を通過することも考えた。伊能測量日記にはこの辺の測量事情については記されていない。

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JR内房線と東京湾観音の後姿

8:17分JR大貫駅に着き、すぐ歩き出す。途中踏切から東京湾観音の姿が遠望できた。

大陸の移動性高気圧が進んできて今日は見通しが良い。

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磯根崎

前夜までは念のため磯根崎の崖上を迂回して山道をたどるルートについてインターネットで情報を集めていた。
しかし、実際に来てみると崖下の隠顕岩が現われている。だめであったら引返すつもりで様子を見にいった。

岬の先端の岩の上に打ちつける荒波をものともせずに海鵜(ウミウ)が羽を休めている。



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潮汐表

事前に海上保安庁のサイトにアクセスし久里浜の潮汐表をプリントアウトしておいた。
9時の潮高は44cmでこれからあげて来る。

急がなくてはならない!!

何とか無事先端を通過できた。(9:00)

たしかに満潮時は通過できないと思われる。切り立った崖が覆いかぶさるようにそそりたつ。
これから先は2.5キロにわたって砂浜が続く。


スズキ

遠くから砂浜を独りの釣り人が近づいてくる。釣果を尋ねると60センチの鱸(スズキ)をルアーで釣り上げたという。
写真に撮らせてくれと頼むと快くビニールの袋を広げて見せてくれた。すでに内蔵は取り出されていたが立派なスズキだ。
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誰もいない渚を波打ち際すれすれに歩く。硬く砂がしまって歩き易い。
潮騒がここちよい。三浦半島も手に取るように見える。

こんな日は伊能忠敬も楽しんで測量を続けたにちがいない。

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流木

真正面からの直射日光でだんだん暑くなってくる。
途中流木の上に座って休憩。サンオイルを塗る。

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東京湾観音

左の崖上から、ひょっこりと観音像が現われる。磯根崎から1.5キロの地点である。

足元の砂浜に大きな影が通過する。上空をトンビが旋回しているのだ。

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染川迂回

2.5キロ続いた砂浜歩きもいったん染川河口で中断する。
以前は下流に橋があったそうだが流失して、現在は上流を大きく迂回しなくてはならない。(1.7キロ迂回)

しかし、これはこれで集落の中の道をたどるのも楽しい。彼岸花が畔に咲いている。お年寄りから近道の迂回路を教えてもらう。

ここは富津市大坪。最寄り駅はJR佐貫で東京湾観音の登り口である。

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迂回路を廻ってまた浜にでる。(染川の河口左岸)

浜に沿って人家も多くなる。(富津市八幡)

リタイヤした夫婦の釣り人が沖に糸を延ばしている。釣果を尋ねるとゼロと返ってきたが、それでも楽しそうである。

新舞子海岸を進む。振り返ると東京湾観音の立ち姿も大分後方になった。
上総湊も近い。
新舞子海岸が終るころ崖が張り出してくる。


不二三十六景

広重の不二三十六景の中に上総天神山海岸がある。
しかし天神山とは上総国海良(かいら)村で湊川の南岸である。だから位置は違うと思うが崖の姿が似ている。

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友人の出迎え

このへんを写したものかと考えながら進むと前方から高校の友人が手を振って迎えに出て来てくれた。前の晩電話で連絡しておいたのだ。

彼は上総湊の住人。リタイヤ後は釣り三昧のシニアスタイル。

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上総湊漁港

彼が良く乗る釣り船や釣りのスポットなど漁港を案内してもらう。

昼食に美味しい魚の煮付けを食べたいというと湊川沿いの食堂(宮島)を教えてくれた。友人とは別れ湊川にかかる中橋を渡る。

今日の定食は金目の煮付けと豚の生姜焼と葡萄がついて945円。組合せはみょうであったが美味かった。

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薬王寺(やこうじ)

昼食後湊川沿いに河口にでる。この付近は地図によると十宮(とみや)という地名である。薬王寺といい十宮といい読みが面白い。

左手に薬王寺の紅いのぼりが見えてくる。ここには県の天然記念物に指定されているハツキイチョウがある。案内板の説明だけではどの様なものか分からない。

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ハツキイチョウ

枝には通常の銀杏がたわわについているもののハツキイチョウは見当たらない。

近所の年配者に尋ねてみると、住職さんを紹介してくれて実物を見ることができた。
住職は毎朝落ち葉掃除をしていると数は少ないが見つかるという。

六地蔵の足元においてあったハツキイチョウを持っていってもよいというので頂いたのがこの写真である。
すでに葉は変色してしまったが、銀杏の葉が双葉に分かれてその間に通常の銀杏よりもかなり小ぶりの実がついている。

親切にも住職を紹介してくれた人は、近くにある住吉神社とここ薬王寺の総代をつとめているとのことである。この寺は住吉神社の別当であった。

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水準点

親切な十宮の住人とわかれ旧道をたどって国道(127号)に合流する。合流する手前の住吉神社近くの路傍に水準点があった。(17.0メートル)

話は変わるが最近 NHKの趣味悠々という番組に「地形図片手に日帰り旅」が放映されている。

国土地理院のプロが解説していて地形図の見方など大変参考になる。

前回は桜田門近くの憲政記念館内にある日本水準原点について紹介していた。それを見た直後であったので水準点の出現に思わず写真を撮ってしまった。


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怪人

右の崖下に磯に打ちつける波を見ながら真西に国道をたどる。
陽をまともに受けて暑い。

十柵のバス停から400メートルくらい行ったところにボートを押す怪人が現われる。疲れた身体を和ませてくれる光景だ。

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城山

計画では竹岡漁港の西から流れ出る白狐川を渡って城山を越して矢坪に降りる予定でいた。朱塗りの橋の手前で住民に登山口を尋ねてみると今は手入れが無く登れないという。

登り口だけでも確認してみようと行ってみるが、確かに踏み後も定かで無く、篠竹や潅木で薄暗い。あげくの果てに黄色スズメバチがこちらの気配を感じて飛んでくる。

あえなく退却、国道を辿ることにする。
この城山は昔は造海(つくろみ)城、その後百首(ひゃくしゅ)城といって重要な海城であったところ。今はこのような地名も無い。

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造海(つくろみ)

ところが城山トンネル手前国道沿いに造海(つくろみ)興業という企業名があったのには嬉しくなった。

伊能図に記されている百首(ひゃくしゅ)村とは竹岡のこと。明治初期の地図では竹ヶ岡村になっている。百首のまえは造海(つくろみ)といった。

この古い地名を企業名に冠したのはよほど思い入れがある社長さんにちがいない。

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城山トンネル

国道127号を城山トンネルで抜ける。

歩道専用の側道がありがたい。

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JR竹岡駅

今日の終着竹岡に到着する。(15.:40)
秋分の日もすぎ三時過ぎだというのに影が長い。

今回の歩行距離はGPSログで23キロであった。

内房線もこのへんにくると上りは早朝を除いて一時間に一本となる。
早朝5時が3本と一番多い。(千葉方面への通勤か) 事前に時刻表をチェックしておくことが大切である。

15:50分発の千葉行きに乗車する。
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白露の声を聞くと季節もだいぶ秋の気配が感じられる。歩くには快適な季節だ。

今回(9/13)は前回終点としたJR青堀駅から歩き始めて飯野陣屋跡、古墳群を訪ねて富津岬の先端まで行き、布引海岸を辿ってJR大貫駅まで歩いた。(地図上で20キロ)

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JR青堀駅

内房線も君津から先は一時間に2本ほどの運行本数になる。スイカ(パスモ)も使用出来ない。
ローカル駅の雰囲気がよい。

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飯野陣屋跡

最初に内裏塚古墳を訪ねるつもりで歩きだしたのだが迷ってしまった。里道は難しい。GPSで現在地を確認すると飯野陣屋に近いところに居ることがわかった。そこで順序を換えて飯野陣屋跡を最初に訪ねた。

ここは信州高遠藩の城主保科正直の三男正貞が築造したもの(1648年)
衛星写真をみても堀をめぐらせた広大な敷地がよく分かる。(約4万坪、日本三大陣屋の一つで跡地が唯一現存する)

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内裏塚古墳

次に内裏塚古墳を訪ねる。
この付近一帯は小糸川流域を中心に支配していた須恵国造一族の墳墓と推定されている飯野古墳群である。
これはその中でも最大のもの。案内板があるのでそれと分かるが近くで見ると古墳とは分からない。道路脇からすぐの踏み跡を登る。

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三角点

2万5千の地形図で古墳上に三角点があるのを見つけた。
国土地理院のサイトで調べてみると四等三角点であった。
事前に位置をを調べておいたので藪をかきわけ容易に見つけることが出来た。

それにしても薮蚊がものすごい。早々に次の目的地稲荷山古墳に向う。

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稲荷山古墳

衛生写真でみるとはっきりとした前方後円墳の墳墓であることがわかる。
長さ106メートル。6世紀後期のものとしては東日本最大という。
発掘調査で円筒埴輪列が墳丘の裾に隙間なくめぐらされていたと案内板に記されている。





飯野古墳群

富津岬付近をグーグルアースで調べているなかで古墳の存在を知った。ぜひ古墳を訪ねてみたいと思い現地を訪ねたが、実際のところ外からの景色では古墳となかなか判別しにくい。

やはり古墳は衛星写真に限る。

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里道

国道16号線とほぼ平行してジグザグに走る里道をたどった。
昔疎開していたころの田舎の道を思い出させる風景だ。

里道はいつも期待を裏切らない。

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富津漁港

里道から国道16号線に出てしばらく行くと国道465線の始点が出てくる。
さらに富津岬の方向に辿ると16号線の終点である。

ここから右折して狭い路地をすぎると富津漁港に出た。

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穴子天丼

近くの食堂で名物穴子天丼を食べる。(1,300円)

ほんとうは新聞の地方版で紹介されていた「海堡丼」を食してみたかったが8月末までの限定らしく無いということであった。
店の板さんは「海堡丼」と言っても海鮮丼と同じと内幕をばらしてくれた。

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渚の子供たち

漁港を右に見ながら富津岬の先端に向う。

今日は土曜日家族連れの観光客も多い。子供たちが水際で戯れている。

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展望台

松林の中の道が途切れて富津岬先端の展望台に到達する。

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第一、第二海堡

東京湾に突き出た岬の沖合いに第一、第二海堡が見える。

明治になって東京湾の防衛上からこの海堡が作られた(1890年完成)

当時の砲弾は飛距離が短く、そのため海堡が造られたものだが一発の砲弾を発射することなく役目は終っている。

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伊能図

伊能図では富津岬の先端の途中から測線が折返して先端はまだ先があるように描かれている。
現代図のどの辺まで測線を延ばして引き返したのであろうか。

トレーシングペーパーに伊能図の海岸線と測線を写してグーグルの衛星写真に貼り付けてみた。
海岸線は第一海堡近くまで伸びている。しかし測線の折返し地点の判別は難しい。

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明治初期の地形図

そこで明治前期の地形図(迅速図)を見てみた。

すると富津岬の先端の地形が現代図と大分違っている。砂州が点々と沖に伸びている。点在する砂州の先端は現代図では第一海堡手前付近である。

伊能隊は潮汐の干満による海岸線の変化も加味して安定した海岸線を地元の漁民から聴取してそこまで測量し、その先はスケッチで海岸線を描いたのではないかと推測する。

海岸線は東京湾の海流や大地震による海底の隆起によっても変化する。また潮の干満によっても砂州が沖まで連続して出現したり点在するようにもなる。

実際に関東大地震で海底が隆起し第一海堡まで陸続きになったという。しかし潮流の影響で現在の姿になったらしい。いまも海と陸の攻防が続いている。

伊能隊が折返した地点は明治初期の地形図から予想すれば現在の富津公園のジャンボプールの先400mあたりであろうか。

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展望台からの眺め

展望台から松林の右に長い布引海岸が見える。

しかし今日は水蒸気が多いせいか下州漁港などはハッキリしない。

今日の終点は6キロ先である。

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布引海岸

渚には打ち上げられた漂流物が多い。東京湾内のせいか外国の物はない。
打ち上げられた魚にカラスが群がっている。

歩く前方を千鳥が小走りに先導する。

振り返ると展望台はだいぶ後方にかすんできた。

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のり舟

下州漁港にはたくさんの海苔舟が並んでいた。同じメーカーの船外機である。

近くでは漁民が海苔養殖の日除けの補修に余念がない。

陸上で採苗しそれを海水温が下がるまで一旦冷蔵保存すると話してくれた。

帰ってから海苔の作り方をWEBサイトで調べてみた。
大変な工程をへて海苔がつくられていることが分かった。
海水温にも大きく影響される。
採苗設備などの陸上設備と労働集約の産業である。

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波消しブロック

2万5千の地形図の中で、大貫海水浴場から南の浜辺の沖にドットを打った記号が9個連なっているのが気になった。
記号の凡例にもない。現地で確認してみると波消しブロックであった。

後方に磯根崎と東京湾観音の後姿がうっすらと見える。次回歩くコースである。

散歩中の老人に磯根崎から新舞子海岸までを磯づたいに歩くことができるか尋ねると、可能とのことである。

次回は潮まわりを調べて干潮のときに通過するよう日程を決めることにする。


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JR大貫駅

やっと今日の終着点についた。

前回歩きすぎて持病の腰痛に苦しんだ(完治に2週間を要す)今回はセーブした積りであったがGPSログでは27キロになってしまった。

今朝スタートしたJR内房線の青堀駅の次の駅は、このJR大貫駅で富津岬を廻るとどうしてもこの位歩くことになってしまう。
腰痛が再発しないことを願うばかりだ。
出羽三山参り
先日新聞の地方版に「八千代市と出羽三山〜奥州参り〜」という博物館の企画展が紹介された。

千葉の沿岸を歩いているとしばしば出羽三山参りの石碑に出会う。特に市原市から袖ヶ浦市に多かった。地元の人にも色々話を聞く機会があったがもっと理解を深めたいと思っていた。

今回の八千代市郷土博物館の企画展示は、その絶好の機会であった。カミサンを誘って行ってみた。

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展示は
(1) 八千代の出羽三山碑
(2) 出羽三山講と宿坊
(3) 宿坊と御師(出羽三山講の成立)
(4) 出羽三山神社の由来と成り立ち
(5) 出羽三山参りでの修行
(6) 出羽三山講の行事

から成り、私の疑問にすべて応える展示であった。

この秋にも出羽三山めぐりをしてみようとカミサンに持ちかけ博物館をあとにした。

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江戸の旅から鉄道旅行へ

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「出羽三山参り」を見たあと、佐倉の国立歴史民俗博物館で開催されている「江戸の旅から鉄道旅行へ」という企画展にも廻ってみた。

見ごたえのあったのは八曲四隻の「東海道・中山道・甲州街道図屏風」であった。
江戸日本橋から京三条大橋までの全ての宿場名と河川、寺社、街道から見える山の名前や名所が詳細に絵図に示されている。
特にカミサンと完歩した中山道徒歩旅行が屏風絵の中でよみがえってきてたいへん愉快であった。

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その他、江戸時代の庶民の旅文化の豊かさが当時の木版画や道中記(コンパクトにまとめられたガイドブック)や各地の名物の茶菓にみられて面白かった。

帰路は16号線沿いの「道の駅やちよ」に寄って地元の野菜、梨を買った。

食欲と脳を刺激する良い一日であった。

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