旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

伊能図を歩く−房総半島−

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1
木更津の房総往還がその南の端で大きく右に折れ曲がる角に八剣八幡神社がある。
ここは大神輿(1.5トン 関東三大神輿の一つ)と狩野派の絵師が描いた天井絵で有名である。

イメージ 2
社会保険事務所に用事があって姉ヶ崎からきたという老婦人と立ち話をした。
木更津のさびれかたに驚いた様子であった。たしかにシャッターを下ろしている店舗が多い。ここまで東京湾沿岸の街道を歩いてきたが、往時の栄華を極めた宿場や湊町もシャッター通りと化している。鉄道、道路など交通手段の変容、海岸の埋立て、大型店舗の出現、コンビニエンスストアなど社会を大きく変えている。

イメージ 3
伊能図では丁度この付近から富士を狙った方位線が伸びている。
奇しくもこの付近の町名は富士見町。東京湾千葉沿岸に4ヶ所ある富士見の地名の一つである。(浦安市、千葉市中央区、木更津市、館山市)
3Dソフトで木更津から見た富士山を描いてみた。東京湾をへだてて西に秀麗な富士が望める。検見川浜からみた大山は富士の左裾にあったが、木更津では右裾に大きく移動している。それだけ南下したわけだ。

イメージ 4
房総往還から外れて木更津港に出てみる。
木更津自慢の日本一の歩道橋(中の島大橋)を渡りたく行ってみた。
風が強い。地上25メートル。少しは風に揺れるかと思っていたがしっかりしている。
公園の中には木更津甚句記念碑があった。子供の頃はラジオから盛んに民謡が流れていたものだが今はすっかり聞けなくなった。

イメージ 5
往還にもどる。貝渕(かいふち)を過ぎると桜井である。
往還はバス停桜井の先で三叉路になり内陸をとおって佐貫に至る道と海側をたどって佐貫で合流する道に分かれる。
直進する。崖が左に迫ってくる。(小浜付近)

イメージ 6
畑沢に入って左側の山の上に浅間神社がある。往還から左の道に入る。

イメージ 7
最初から急な階段。参道の石塔にも急な階段が表現されて面白い。
鬱蒼とした木立の中の急な階段を何本も登り、海抜40mの社殿に着く。
展望を期待してきたが望めない。裏手には住宅が迫って車なら簡単に登れる。

イメージ 8
浅間神社のある畑沢を過ぎると君津市にはいる。
旧道をたどるべく野球場入口(坂田 さかだ)のところを左に登っていく。(これが正しいか不明) 左に学校を見ながら大和田に入る。旧道の雰囲気のある道を東に進む。途中クリーニング店で人見神社の登り口を尋ねる。

イメージ 9
伊能忠敬の測量日記には 「六月二十四日 朝より晴れ….人見村、此村に妙見あり、登山所々測る。」 とある。妙見とは妙見堂のこと。妙見菩薩が祀られていた。
ここは小糸川河口近くにあり標高67.5mの小山。
急な階段が複数続き300段ちかくを登り頂上に着く。かなり足にこたえる。

イメージ 10
ここには神馬(おめし)奉納の350年続く祭礼がある。
実際に信じられない急勾配の階段である。
ここを神馬が上がるという。ことしは7月22日が祭礼。

イメージ 11
頂上に人見神社の社殿がある。
西に開けて眺望がよい。

イメージ 12

頂上には二等三角点がある。(帰宅してから、この三角錐を拡大してみると菱形基線測点とプレートに刻まれていた。三角点は別にあるらしい。ことによるとマンホールの蓋のようなものがあったが、あの中にあったのかもしれない。*菱形基線測点とは地形のひずみなどを測量するための測点で房総ではこの他に鋸山、小糸、大坪山があり相互の距離の経年変化を調べ地震予知などに供されるとある)

富津岬が東京湾に突き出ているのが見える。

伊能忠敬はここまで測量してきた江戸湾の沿岸とこれから行く富津岬さらに江戸湾を隔てて既に測量を終わった三浦半島を俯瞰したに違いない。
どのような思いで周囲を見わたしたのであろうか。
ところで妙見とは北極星の仏教用語。北極星を観測しながら蝦夷まで歩き、正確な子午線一度の距離を測った。ここに妙見があり、国土地理院の二等三角点があるのも何か伊能忠敬との因縁を感じる。(少し思い入れすぎか)

人見神社上空から西の方角を Google Earth で描いたバードビューをご紹介する。

イメージ 13

イメージ 14
旧往還に戻り、房総線を地下道でくぐり小糸川を渡って川沿いに海岸通りに行く。
角に神明神社があり、その中に道しるべがあるというので探してみた。駐車場の隅にあった。
正面に地蔵の陽刻と三界万霊皆応供養 大堀邑 念仏講中とある。右面に「ふうつ 一り」、「きさらづ 二り」、「寛政十一年三月」(1799)と彫られている。左面には「中道 さぬき 二り」、「かのうさん」とある。

イメージ 15
神明神社から600m行くと今日の終点JR青堀駅入口である。青堀という地名はこの付近にはない。不思議に思って地元の人に聞くと大堀とこの先の青木の地名をとって青堀駅としたとのこと。(納得)

駅の袴線橋から夕陽の中に人見神社が見える。
今日はかなり膝にきた。中の島歩道橋、浅間神社、人見神社の登りがきいた。
GPSログでは29.5キロであった。(次回は少しセーブしないとまずい)

スタート(4/21)から現在までの軌跡を示す。
最初は散歩の延長で歩き始めてみたのだが...。
千葉県に住んでいて千葉を知らないことがあらためてわかる。
知らない街を歩き地元の人と会話するのは楽しい。

このまま房総半島南端の野島崎を目指してみようと思う。
イメージ 16

開く トラックバック(1)

イメージ 1
梅雨の合間(6/24)の晴天を使ってJR内房線巌根駅(いわね)から伊能測量隊の測線を追ってJR青堀駅まで歩いた。
図中の地名はすべて伊能図のなかに出てくる村名で現在も残っている。
出発地点の地名は岩根だが駅名は巌根でとまどう。

イメージ 2
前回終点としたJR巌根駅を9:00スタート。

駅近くのコンビニで昼食と日焼け止めを買う。
前回は日焼け防止のため長袖を着用したが、やはり暑い。
そこで今回は腕に日焼け止めを塗って半袖としその効果を試してみた。(効果あり。次回からも実行する)

イメージ 3
駅前から左にカーブし航空自衛隊木更津駐屯地の縁をたどるように進む。
衛星写真からも見えた小型のジェット機が2機置いてある。
自衛隊員が敷地の中をランニングしているのがみえる。

イメージ 4
前回は小櫃川河口右岸を歩いた。今日はその対岸に行ってそこから測量隊のルートを追うことにする。
広い青田がひろがり気持ちよい。

イメージ 5
田圃の中に久津間、高洲の集落が散在する。
屋敷の周りは風除けの木で覆われている。
ウグイス、オオヨシキリの囀りが初夏を思わせる。ときおり鈍くウシガエルの鳴き声も聞こえる。子供の頃よく見た日本の原風景である。




イメージ 6
小櫃川の堰堤に近づいてふと前方の空を見ると雪の残る富士山が雲の上に見えた。きのう大雨を降らせた低気圧が東に移動し今朝は透明度がたかい。デジカメで撮ってはみたが空に溶け込んで山の稜線がはっきりしない。

ここは久津間船留り。
同じ車種の軽トラがボートの数だけならんでいる。

イメージ 7
何十という軽トラがあるのに人影はまったくない。
もう漁は終わって休んでいるのかもしれない。

イメージ 8
昨日の大雨で小櫃川は濁っている。
対岸に以前ニュースを賑わした黄金風呂を盗まれたホテルが見える。

イメージ 9
河口を後にして南に進路をとる。
やがて陸上自衛隊木更津駐屯地がでてくる。
伊能測量隊の側線はこの中を進んでいる。もちろん江戸時代のことである。

敷地にそってあるく。途中敷地の外周に何箇所か墓地(ぼち)があった。○○飛工兵、整備兵などと記銘された墓碑(ぼひ)に基地との係わりがかんじられる。

大型ヘリの離発着が頻繁で周囲に爆音をとどろかせている。

イメージ 10
自衛隊の敷地をがとぎれると吾妻である。
左に旧道を入っていく角に吾妻神社が出てくる。
ここにも富士塚があった。しかしあれだけ強い分布を見せた出羽三山の石碑は小櫃川を越えると見えなくなった。

イメージ 11
吾妻神社境内に道しるべがある。
この道しるべは延宝8年(1680)に建てられ君津地方では一番古いらしい。
笠石付の庚申塔に三猿が浮き彫りされ正面に道しるべが刻まれている。「従是東者 里村 江戸かいどう」と読める

イメージ 12
吾妻神社から100m行った左角に道しるべが出てきた。
これはノーマークであった。
江戸道と吾妻神社を案内している指差しマークが分かりやすい。

長浦から巌根へ(2)

イメージ 1
奈良輪の町から北西に向きを変えて田園のひろがる道を進む。

埋立地のコンビナートが切れて、初めて東京湾が現われる。牛込高須である。
今までは埋立地の旧海岸線を歩いてきた。海風が気持ちよい。

イメージ 2
ここは牛込高須港、だんだんアクアラインが近づいてくる。
船外機に燃料を給油していた初老の漁師に景気をきいてみた。
アサリはクモが入って全くダメ。アオヤギはまあまあだが油代にもならないと嘆く。
クモとは最近小櫃川河口付近でアサリなどの貝の中に寄生して貝の成長を止めるカイヤドリウミグモのこと。全長6ミリくらいの蜘蛛に似た気味の悪い生き物である。

イメージ 3
海岸に沿って一本の道が続く。集落の外れに小屋がある。
覗いてみると二基のしっかりした地蔵尊。台座には、ここも「三界万霊」と彫られている。




イメージ 4
津波注意のラベル。周りは見渡すかぎりの田園地帯。どう注意すればよいのか。
ふと岩手・宮城大地震のことが頭をよぎる。

イメージ 5
中島高須港手前の舟溜まり。
舟の上には貝取りの漁具が見える。
漁は牛込と中島で交替で行っているという。

イメージ 6
東京湾アクアラインの橋下を通過する。
ツーリングで来ていた若者とデジカメで互いに撮りあう。
ここは中島高須。伊能測量隊はここから内陸に少し入った中島で止宿したものと思われる。
日記には予定の木更津に着くことが出来ず、木更津に触れを出したことが記されている。

イメージ 7
瓜倉高須の街並み。
路地の間からアクアラインを通行する車が見える。

イメージ 8
小櫃川河口に通じる小道。
路傍に傾いた江戸期の石碑。

イメージ 9
小櫃川河口。周囲は葦原。
伊能測量隊はこの付近から舟で対岸の久津間新田に渡ったのかもしれない。
河口の流路は何回も変わった。(明治初期の地図は現代と大きく変わっている)

イメージ 10
これは小櫃川河口の衛星写真。マニアに人気のある Google Earth のビューである。
宇宙から見ると海がめの首にみえる。海亀とアクアラインの海ほたる。童話のタイトルになりそう。
目玉状の池は浸透実験池(新日鉄が工業用水確保のために造ったが失敗に終わった)

イメージ 11
小櫃川に架かる金木橋を渡ってJR巌根駅にいそぐ。

今日の歩行距離はGPSログで24キロであった。

次回は東京湾に突き出た富津岬近くまで行けたらと思う。

長浦から巌根へ(1)

イメージ 1

梅雨前線が南下して良い天気がつづいている。
今回(6/14)は前回の終点JR長浦駅から道しるべを探しながら奈良輪まで行く。そこから北西に牛込海岸に向う。それから海岸沿いに小櫃川河口まで行き金木橋を経て内房線JR岩根駅まで歩くことにする。
ほぼ伊能測量隊のルートを歩くことになる。

イメージ 2
昔は丘陵が舌状に海にのびてデジカメを撮っている先まできていたらしい。往還はそこを巻くように通っていた。そして丘陵上には蔵波城址(砦)があったという。現在は突き出た丘陵がカットされ往還も内房線も直線となっている。
たしかに2万5千の地図にはその名残のような特徴がみえる。

イメージ 3
削られた往還にあった道しるべが密蔵院の境内に移設されていると知り訪ねる。
お寺の隣の八幡神社の清掃をしていた氏子の人に所在を尋ねる。親切にも住職を呼んでくれる。ところが道しるべについてはご存知なかった。そして住職は、もしかしたらあれかといって倒れて半分土に埋まった石塔を指さした。あわれ。

イメージ 4
長浦駅北口から旧海岸線をたどる。途中公園内に石碑がみえたので行って見る。八幡神社の一の鳥居跡と説明があった。稲毛と同じように渚に鳥居があり祭りの神輿が浜に出たらしい。海に依存して暮らしていた人々の海へのかかわりがわかる。

イメージ 5
しばらく行くとクルーザーが陸にあがっている光景を不思議におもい向いの人に聞いてみた。その人の持ち物でどう処分するか決めかねていると言う。むかしは海運をしていたという。この辺のことを良く知っている。

埋め立て前この沖の海中に清水の湧き出る井戸があって干潮時などには清水を飲んだことがあると話してくれた。水戸光圀の紀行日記にも書かれているという。掘り起こして再現したいが埋め立てられた所在が不明という。何かロマンを感じる。豊な海岸の情景が目にうかぶ。

イメージ 6
話がはずんで昔海岸にあった金毘羅様の灯篭が今でもあると案内してくれる。
堂々とした灯篭である。灯をともして海上からの目印ともなったらしい。

イメージ 7
袖ヶ浦市今井は国道16号線とJR内房線の間に挟まれた細長い地区である。
曲がりくねった細い道が街歩きを誘う。

イメージ 8
クランクした稲荷神社や城のような民家を見ながら突き当たると道しるべが出てきた。
正面に「三界万霊」左面に「きさらす道」裏面に「是より右江戸道」とある。










イメージ 9
今井の端に16号線の陸橋が横断している。奈良輪高架橋である。
この高架橋と往還と交わった下に道しるべがある。
二基のかわいい地蔵である。

イメージ 10
地元では疣(いぼ)取り地蔵と言われ、願いがなんでも叶うと往時は人気があったらしい。かさもり道、うしく道、江戸道を案内している。

地蔵をあとに奈良輪神社に向っているとカミサンから岩手・宮城の内陸で大地震が発生したとのメールが入る。携帯ラジオでニュースを聴く。

イメージ 11
道しるべから900メートル行ったところから左に登る坂道が出てくる。
急な階段を登ると福王神社(奈良輪神社)である。ここにも出羽三山のモニュメント。しかも3メートルにもおよぶ大きな石碑である。昭和4年に建立された。






桜の木陰で休憩する。遠くに東京湾アクアラインが見える。
今日はあの下を通過するのだ。JR内房総線からもだいぶ離れている。
イメージ 12

五井から長浦へ(2)

イメージ 1
緑地運動公園と埋立地(コンビナート)の間には水路が走っている。かっての海岸線である。塩田などもあったという。

イメージ 2
前川にかかる青柳橋を渡る。
この川は養老川の廿五里橋(ついへいじばし)の上の堰から農業用水を供給しながらここまで下っている。
丁度干潮時間で川舟とボートが干上がっていた。
川鵜がみんな同じ方向を向いて羽を乾かしているのも面白い。

イメージ 3
地図で今津朝山の集落を見たとき是非訪ねたいと思った。心地よく曲がった道が魅力的。地名も良い。今津村と朝山村が合併したらしい。大昔も町村合併はあった。
狭い道を曲がると突然お地蔵さんが現われる。その先では店先でテーブルの修理に余念がないご主人。時間が止まったような家並み。

イメージ 4
鷲神社近くで庭木の剪定をしている地元の人とおしゃべり。出羽三山講について詳しい。三山詣での留守を守る女達の集る集会所があると言う。
ここで気になっていた田中地蔵尊への道順を教えてもらう。

イメージ 5
田中とは人の名前でなく田圃の中というらしい。よく手入れが行き届いている。一見すると民家のような造り。

イメージ 6
うす暗い中を覗くと一斉にお地蔵さんから見つめられて思わずたじろぐ。
地元の人だけでなく千葉などからもお参りにくるという。

イメージ 7
今津川のほとりに道しるべ。正面に「寛政八丙辰年 馬頭尊 十二月吉日」とあり、わきに「房州道 木更津 たかくら道江戸 ちは寺道」 裏に「作場道…」とある。

イメージ 8
姉崎の街並み。かっては往還の継場として賑わった。
今はコンビナートの後方ベッドタウンとして人口も多い。

イメージ 9
姉崎を過ぎると椎津(しいづ)。
椎津川に架かる橋を越えた先の魚屋さんで椎津城址の登り口を尋ねる。しかし私有地になっていて少し難しそうなので諦める。
目の前の歴史と格式のある八坂神社におまいりする。


イメージ 11

歩道も休む場所もない単調な道が長浦まで3.5キロ続く。
わきを通過する車はみな避けてくれてありがたい。


イメージ 10
もうタチアオイが咲いている。単調な道にアクセント。ホットする。

イメージ 12
久保田笠上の交差点を左折すると伊能図にも出てくる代宿がある。

イメージ 13
JR内房線と平行して走る房総往還。
かって鉄路の際は渚であった。
長浦までの道すがら何回も快速電車が追い抜いて行く。

イメージ 14
今日の終点JR長浦駅。
待ち時間なく上りの快速で千葉に帰る。

五井からここまで区間歩行距離は約17キロ。

お疲れ様でした。

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事