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今年も終わろうとしている。
見事に何もない一年だった。
この年齢になると「何事もなし」、というのはよい一年だったということかもしれない。
愚痴になってしまうが、何かをやろうとする意欲がわかない。
本はけっこう読んだし、映画も観たが、なにかものたりない。
感性が鈍っているのか、理解力がたりないのか、心が動かされない。
その中で、よかったと思った映画、
「夜空は最高密度の青色だ」
本は、
黒川創の「岩場の上から」
山崎ナオコーラの「母ではなくて親になる」
来年はもう少しきちんと観たり読んだりして、感想を書きたいと思っている、
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新・日常
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両親をみおくってから、ひとの最期について考えている。
「文藝春秋」の特集を読んで、日本でも安楽死について、とりあげられるようになったのだと思った。
安楽死についてアンケートを実施、回答のあった著名人60人の結果
安楽死に賛成 33人
尊厳死に限り賛成 20人
安楽死、尊厳死に反対 4人
選ばず 3人
安楽死に賛成の人が意外と多いという印象。
賛成の理由として最も多かったのが、
「人には、自分の死を選ぶ権利がある」という主張。
それに対して、上野千鶴子さんは、
「安楽死、尊厳死に反対」
「生まれる時も生まれ方も選べないのに、死に時と死に方を選ぶのは人間の傲慢。
『生きるに値しない生命』を選別する根拠にもなる。
尊厳死と安楽死とのあいだはグレーゾーンで境界がつけられない。
本人も周囲も最期の最期まで迷い、悩みぬけばよい」
私自身は、「安楽死」には賛成できない。
本人が望まない「延命治療」はしないということは、あっていいと思っている。
僧侶の釈徹宗さんは次のように書いている。
「『人に迷惑をかけたくないから』という理由で老病死をデザインしようとする心に潜んでいる傲慢にも目を向けたいと思います」
「上手に迷惑をかけることは、自分自身のテーマになってきました」
「積極的安楽死を望むなら、いっそ自ら食を断って、餓死や衰弱死をすれば、少なくとも他人の命を終わらせる行為を要求される人はいなくなるかもしれませんね」
「自分の死は自分で選ぶ」という傲慢、「人に迷惑をかけたくない」というのも傲慢?
そして、医師などに「他人の命を終わらせる」という負担を負わせるのも、傲慢かもしれない。
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正月三が日、おだやかな晴天だった。
例年通り、どこへも出かけないで過ごした。
上野千鶴子さんの「おひとりさまの最期」の中に、こんな記述があった。
ある社会学者が社会的孤立の測定尺度として、こんな質問を思いついた。
「あなたは正月三が日をひとりで過ごしましたか?」
「はい」と答える私も「孤立している高齢者」なのだと ちょっとまいった。
確かに人間ひとりで生きてはいけない。
が、他者と距離をおいて楽になっているということもあるのである。 TVドラマ「嫌われる勇気」を見ていたら、心理学者アドラーの言葉としてこんなことを言っていた。
「すべての悩みは『人間関係の悩み』である」
ドラマがこのあとどういう展開になるのか、
私自身は、ひとりで生きる道を探すのだろうな。
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