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日比谷で 駅伝を応援しました 若さをいただきました


「銀河鉄道の夜」 精読 鎌田東二 より引用します
 
その  4
 
 第4章 どこまでも行ける切符
 
 ジョバンニが手にした切符は不思議な切符である。どのようにして手に入れたのかわからないよう謎の切符である。
 
 この切符を見た車掌が言う。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想(げんそう)第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈(はず)でさあ、あなた方大したもんですね。」
 しかし、ジョバンニはそれが何のことだかわからない。
ほんとうの天上へさえ行ける切符」という意味がわからない。しかも、鳥捕りは「天上どころじゃない、どこでも勝手にあるける通行券」だというのである。
 この「どこでも勝手にあるける」という範囲は、この宇宙=天上のどこでも行けるという範囲と、それ以上に、天上を越えた世界、たとえば第4次元以上の霊的世界にも行ける、つまり次元超越切符であるということである。 
 だが、考えてみよう。「どこでも」、「どこまででも」行ける切符を与えられたということは、逆にいうと、「どこでも」、「どこまででも」行かなければならないという使命・ミッションを受けたということである。
「雨ニモ負けず」の「デクノボー」のように、東に病気の子があれば行って看病し、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を背負い、東奔西走して他者のために身をすり減らし、三界に落ち着き場所なく歩み続ける者の姿である。
 
 
                     続く
 

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「銀河鉄道の夜」 精読 鎌田東二 より引用します その3

第2章 みんなのほんたうのさいはひをさがしに行くーー菩薩への道ー
            その2
...
 ジョバンニとカンパネルラの関係について、鎌田先生は述べる。
 さそりのエピソードの前後の文章を筆者は第1次稿から引用する。
 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙(なみだ)がうかんでいました。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧(わ)くようにふうと息をしながら云いました。「あ、あすこ石炭袋(ぶくろ)だよ。そらの孔(あな)だよ。」カムパネルラが少しそっちを避(さ)けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥(おく)に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。

「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

「ああきっと行くよ。」

  カムパネルラはさうは言ってもいましたけれども、ジョバンニはどうしてもそれがほんとうに強い気持ちから出ていないやうな気がして何ともさびしいのでした。
 ジョバンニは「みんなのほんとうのさいはひをさがしに行く」と言う。しかしその「ほんとうのさいはひ」とは何かとカムパネルラに問いかけても、「わからない」という。
 この部分で、宮沢賢治は第1次稿と第2次稿以降の原稿に重要な変更を加えている。
 第1次稿では「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならばそしておまへのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」
 とジョバンニは語っているが、第2次稿以降では、
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」と変更される。
「そしておまへのさいわいのためならば」という言葉が削除されているのだ。
 この「おまへ」とは、もちろんジョバンニの友・カムパネルラのことである。カムパネルラの「さいはひのため」という部分が、第1次稿にはあった。同じ道を行こうと心に強く誓う友の「さいはひ」のために自分のからだを百ぺん灼いてもかまわないとジョバンニは誓っているのである。これはずいぶんとなまなましい言葉であり、誓いである。
 これは極め付きのエロティックな言葉である。
 ☆
 無二の親友であり、最大の理解者であると思っていた、カムパネルラとは、賢治の最大の友であった、保阪嘉内であることは痛切である。しかし、保阪とは別れることになってしまう。賢治はますます孤独になっていく。
 ☆
 ほんとうに独りであることに気づいた時、「ジョバンニはまるで鉄砲玉のやうに立ちあがり」、「誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって叫び」、「咽喉いっぱい泣き出し」たのだ。その時、「そこらがいっぺんにまっくらになった」ように思った。この「まっくら」とは、あの「そらの孔」「まっくらな孔」である。
 それこそが、ジョバンニの孤独の深さであり、その孤独の自覚ゆえに「みんなのほんとうのさいはひをさがしに行く」不可能性の探究の身を切るような切実さがこの広大な宇宙の中に響き渡るのである。
 菩薩道の孤独。それこそが、修羅の涙が菩薩心に変わるときであり、超越の雷電に打たれるときなのだ。
なんという、孤独なひとりぼっちの旅でありましょうか。しかしそのひとりぼっちが、「みんなのしあわせ」を誓う、強さになっていくのですね。あらためて、賢治のこころのなかへ、入っていくことが出来たような気がいたします。

                 続きます

※ 画像は 上野 国立博物館 のコレクションです

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「銀河鉄道の夜」 精読 鎌田東二 より引用します
その2
 みんなのほんたうのさいはひをさがしに行くーー菩薩への道ー
...
 「銀河鉄道の夜」は次のような構成になっている。
 午後の授業
 活版所
 家
 ケンタウル祭の夜
 天気輪の柱
 銀河ステーション
 北十字プリオシン海岸
 鳥を捕る人
 ジョバンニの切符
「銀河鉄道の夜」を読んで思うのは、ジョバンニの孤独の深まりと、そこから響き渡る「ほんたうのさいはひ」を探しに行くことの不可能性の探求にも似た、祈りとも叫びとも悲願ともいえる深さと重さである。いいかえると、菩薩道を求めてやまない不可能性への企投である。
「銀河鉄道の夜」の四つの原稿のすべてに次のような「蠍の火」のエピソードが出てくるが、それはある意味で、久遠(永遠)=本仏=一乗に身を投じる菩薩道の喩えとも解釈できる。
 船で遭難したという女の子の話である。
「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯(こ)う云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附(みつ)かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけどとうとういたちに押(おさ)えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺(おぼ)れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈(いの)りしたというの、 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰(おっしゃ)ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕(うで)のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。


画像は 木原豊さんのFBからお借りいたしました


銀河鉄道の夜精読 1


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銀河鉄道の夜精読 1

「銀河鉄道の夜」 精読 鎌田東二 より引用します
その1
...
 僕はほんたうにつらいなあ  −修羅の夜ー より
 「銀河鉄道の夜」の深い魅力は、少年ジョバンニの孤独な魂の旅にある。
 広大な宇宙の中で、親友カンパネラともはずれ、一人っきりになって生の真実と願いを悟る。そのいのちと存在の意味を求める旅路を辿るジョバンニは、どうしようもなく孤独である。独りぼっちである。
 なぜジョバンニはこれほど孤独なのか。この孤独がなければジョバンニの物語は始まらないし、銀河鉄道の旅も「ほんたうのさいはひ」の探求も生まれない。本当の旅は独りになることから始まるのだ。
「銀河鉄道の夜」には第1次稿から第4次稿まで4種類の草稿がる。7年余、推敲に推敲が重ねられている。
 第1次稿から第4次稿まで、一貫して載せられているジョバンニの心情を独白する重要な言葉がある。
 どうして僕はこんなにかなしいのだらう。僕はもっとこころもちをきれいに大きく持たなければいけない。あすこの岸のずうっと向ふにまるでけむるのやうな小さな青い火が見える。あれはほんとうにしづかでつめたい。僕はあれを見て、こころもちをしづめるんだ。(中略)
 ああほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろさうに話しているし僕はほんたうにつらいなあ。
 
hoshi
☆ 今日は入り口だけです。あすから毎日すこしづつまいります

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