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鎌倉より 建長寺 3
山門の脇の茅葺の鐘堂がいいですね。 鐘は国宝です。
建長寺派管長吉田正道老大師の教えは一言で言えば「無我」です。 老大師は坐禅、托鉢、作務など種々の修行があるけれど、やはり禅者たるもの坐禅を 修行の眼目としなければならない。そして、雲水という言葉があるように、やはり禅を修めるものは、流れゆく川や雲のようでなければならないとのことを話されています。 これは、人間全部にあてはまることですね。
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以下 大分しつこい仏教のお話ですので、ご興味のない方はスルーしてくださいね。
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無我とは一体どのように受け止めたらよいのでしょうか
まず「我」ですね
仏教の「我」という字は、元々は古代のインドで使われていた言葉のサンスクリット語のアートマン(ātman)という言葉を中国の偉いお坊さんが中国語に訳した時に当てられたものです。
このアートマンという言葉の意味は「永遠不滅の実体」とされます。
仏教の「我」は仏教が生まれる前にインドで信仰されていたバラモン教・ヒンドゥー教にあった考え方です。
このバラモン教・ヒンドゥー教では、魂は不滅で人が死んで肉体が消滅しても、魂という「永遠不滅の実体」はあるのだと考えました。
そしてその魂は、人が死んだ後(肉体という箱が無くなった後)も生き続け、次の箱に入っていくと考えます。
これがいわゆる輪廻転生というものです。
生前に善いこと悪いこと何をしたのかで次の魂が入る箱が良いものか悪いものかが変わるというのです。(業報輪廻転生とも言われます)
この不変の存在である魂をインドではアートマンと呼び、仏教に取り入れられて中国僧の手により「我」と訳され日本に伝わります。
さて、仏教の教えを説いたお釈迦様はこの魂も含む「我(アートマン)」というものは存在しませんと言いました。
それを「無我」と漢字で表記するようになります。
無我の意味 無我の意味は先ほど簡単に解説しましたが、 この世には永遠不変の存在というものはない
→実体があるものはこの世にはない これは具体的な例を出すと、あなたや私たちの体というものや、この文章を読んで理解しようとしている頭の働き・意識というものすら実体がないものですという意味を持ちます。
色即是空空即是色の世界です
この世界観をより良く理解すると、自分というものへのこだわりがなくなりますね。それより、全部一緒なんだという感覚の方が強くなりますよね。すると、他人を傷つけることは自分を傷つけることであり、他人に与えることは自分に与えていることになると意識できます。こうして、人に迷惑をかけてはいけない、人を悲しませてはいけない、人に奉仕しなければならない、といった心情が生まれます。これが所謂、慈悲です。 無我という、仏教の中の最も大事な教えの一つがわかれば、その後にたくさんある仏教の一見難解な教えも全部理解しやすくなりましょう。
「不二」「霊的無分別」という言葉で説いている先覚もおられます・
無我は仏教の最も大事な教えの一つに上げられます。
お釈迦様の教えは膨大なお経に納められていて、たくさん存在していますが、突き詰めると3つほどに集約されるのではないでしょうか。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
この世に永遠のものはなく、すべては変化していく そして
縁起の法 です
すべての存在はすべて関わりあっているということでしょうか
ほんの少しだけ仏教のお話をえらそうにお話してしまいました。 仏教を学ぶと宇宙全体がわかりますね。 |
鎌倉
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鎌倉より 建長寺 2
画像は建長寺法堂の天上画です
双龍図です 京都県建仁寺と同じく小林淳作の力作です 龍は仏教を守護する八部衆でもあり「龍神」ともいわれます。そのため禅寺の本山の多くでは法堂(はっとう)の天井に龍が描かれています。法堂は仏法を大衆に説く場所であり、龍が法の雨(仏法の教え)を降らすといわれ、また龍神は水をつかさどることから「火災から守る」という意味も込められています。巨大な絵はいずれも迫力満点です。 龍神は地球を守る強力なる守護神です。雲となって空にその形を見せることがあるという人も居ます。 松下幸之助氏はこの龍神を信仰していたそうです。 龍神は誰をも守るというわけではないようです。 「世の為 人の為 自分の為」 に生きる人を守護するそうです。 関東では、箱根の九頭竜神社が有名ですね 龍神の加護をいただきましょう 必ず この奇跡の星 地球を守ってくれましょう |
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鎌倉より 円覚寺 2
円覚寺では土日に座禅会があり、法話もあります。
横田南嶺管長も月1回法話をします...
法話会から少しだけ 参加者のFBからです
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誰も予想できない大切なものをなくしたときどうしていいのかわからなくなります。気仙沼のご住職は毎日運び込まれ安置される棺(ひつぎ)を前に、唯一うかぶ(お経の中で最も短いお経と言われる)延命十句観音経をただひたすら唱え続けたと聞いています。素っ裸の人間になって唱え続けたとのことです。
鐘楼には「祈ってください あなたの心に」「亡くした方の心をあなたの手でつつみ祈ってください」と書かれていました。 坂村真民先生の詩には 「何もかも無くしたとき 何もかもありがたく 何もかも光輝いていた」 とあります。 禅の教えを表した名言とおもいます。何もかも無くした時に一番大切なものが見えてくるのでしょう。震災にあわれた人が詠んだ句に
「水求め5時間並ぶ雪の空 見知らぬどうし傘をかけつつ」
とあります。 日本人の心の素晴らしさをうたった名句と思います。雪のちらつき冷え込む中、知らないとなりどうしが声をかけあいながらお互い助け合う情景が目にうかびます。
仏様の耐え忍び、慈悲をいつくしむ心を教えてくれています。生けるものすべてに仏心が宿っているとお釈迦様はおっしゃっています。人には耐え忍ぶ心がある。そして相手を思いやる心を持っているとも教えています。
中国の僧で大変厳しい修行で知られる名僧ホウオン(龐蘊?)は入門を請う若い僧侶たちに毎水をかけ、それに耐えたものだけを弟子にして、修行とは耐え忍ぶことと教えたようです。ある若い僧が失敗し、お寺を追い出されましたが、毎日お寺の前で托鉢をして耐え忍んでおりました。あるとき、その僧が外出した際、門前に立つその姿をみて、若い僧侶たちを集めて、追い出された僧を呼び込み、私の後継者だと紹介をしました。どんな状況においても逃げないことなのです。耐え忍ぶことなのです。
※ 画像は昨年円覚寺参拝の折
雲水さんの背中を撮らせていただいたものです |
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鎌倉より 円覚寺 1
私たちは仏心という広い海に浮かぶ泡の如き存在である。
生まれたからといって仏心の大海は増えず、
死んだからといって、仏心の大海は減らず、私どもは皆仏心の一滴である。
仏心には罪や汚れも届かないから、仏心はいつも清らかであり、
いつも安らかである。これが私たちの心の大本である。
仏心に生き死にははない。いつも生き通しである。
人は仏心の中に生まれ
仏心の中に生き
仏心の中に息を引き取る。
生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、
仏心とは一秒時も離れていない。
【朝比奈宗源老師(臨済宗円覚寺派第10代管長)のおことばより】
※ 画像は山門です 円覚寺では、毎日曜日に坐禅会があり、毎回100人以上の参加があります。 椅子席でも参加できる坐禅です。 |







