さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

私のこと

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 私の父親は、若かりし頃に感化されて共産党で活動していました。昭和5年生まれの父親です。墨塗りの教科書で育ち戦後の混乱期に日本の将来を真面目に考えた父親のような当時の若者達は、当然のように共産党の活動に影響を受けて入党しました。

 母親は、そんな理想に燃えて活動している父親が好きになり、当然のように影響されて女性部の活動にう携わるようになりました。私の小さい頃の思い出は、「赤旗祭」に行くバスの賑やかな車内とその盛大なお祭りに毎年のように参加したことや、両親が夜に出かけて行き(共産党の活動で)、目覚めたら弟と二人だけで心細かったりしたこと、そんな理想と現実の狭間で喧嘩ばかりするようになった両親の姿です。

 その後両親は離婚し、父親は年とともに活動をしなくなり、それとともに友人知人が減っていき、仕事でも出世が見込めない中で(最初から捨てていた)、50代半ばでボケの徴候が表れ始め、定年後その症状が顕著になり、一人では暮らすことができなくなっていき、私が東京暮らしをやめてUターンすることとなりました。

 父親は共産党の活動からほとんど身を引いた頃、私に、「お前はオレのように若気の至りで共産党に入ったりするようなことをするなよ」というようなことを言ったことがありました。

 私は驚きました。父親の姿を見ていて、自分は共産党に入るようなことは決してないと思っていました。でも、父親は自分で選択した道なのですから、いろいろ大変なことはあっただろうけれど、それを悔やんでどうするんだ、自分の人生を否定してしまうようなものじゃないか、自分の人生なんだから誇りを持って生きたらいいだろ!と思ったからです。

 父親の背中が小さく、そして哀しく感じました。自分の人生を否定する人間は、ボケでもしないと生きていけないー生きていくためにボケていく、そう私は思うに至りました。


 この本を読んで、私の父親や自分の歩んできた道を振り返ってみたくなり、上記のことを書いてみました。
 家にはマルクスやレーニンの全集、『前衛』(日本共産党の機関誌)、等などの本が並び、新聞は一般紙の他に常に『赤旗』を取っていました。小学校高学年や中学時代に私は『赤旗』の配達のアルバイトもしていました。
 父親は政治番組を好んで見ていましたし、今思えば交友関係もほとんど「共産党系」に限られていたのでしょうね。

 家に本はあったものの、マルクス・レーニンなんて全く読んだこともなく読もうという気も起きず、父親から「読みなさい」と言われたこともなかったのは、幸だったのか不幸だったのか、いまになってもわかりません。

 そのように、共産党の活動にほとんど関心を示さなかった私ですが、考え方においては、知らず知らずのうちに影響を受けてはいたのでしょうね。小さい頃から日本というのはおかしな国だと感じて育ってきたようですし、自分の思想や行動を振り返るとどう考えても「左」寄りで、「右」の思想には拒否感を抱いてきました。

 ただ、雨宮さんの本を読み出して、彼女の歩みを知るにつれ、「右」的な考えを受け入れていく自分を感じています。根本的には、「左」「右」で判断するのではなく、自分なりの考えであればそれでいいと考えていますが、以前までは「拒否」と言えるくらいの気持ちだったのに、それがなくなっている自分自身に少々驚いているとも言えます。

 このことはもちろん、年を重ねて丸くなったということなのかもしれませんが、年を取るとさまざまなものを「受け入れる」度量が広がっていく、と言えるのではないかとも感じています。

 ただこれは、雨宮さんを通じてさまざまな「右」的な方の考えを「ちゃんと読む」ことをしてみると頷ける点もあるし、「おかしな日本を何とかしたい」という点では多くの共通点を持っていると思えたことも大きいです。
 

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