さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

らくだ学習

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[第4講 茂木健一郎流「記憶術」]から

 【大切なのは「ものごとを記憶すること」ではなく、「記憶した知識をどのように使うか」】より

《いまや、インターネットを使って調べれば、たいていのことが分かります。かつて僕が記憶した歴史の知識も、「ウィキペディア」などを読めば事細かに書いてあります。インターネットで検索すればすぐ分かることをあえて暗記するのは、時間と労力のムダとは言えないでしょうか。
 なぜなら、これからの時代、大切なのは「ものごとを記憶すること」ではなく、記憶した知識をどのように使うかだと思うからです。

 【知識はエリート階級の独占物ではなくなった】より

《ところがいまは、勉強したいという気持ちがあるなら、大学へ行く必要などありません。そのくらい膨大な知識が、インターネット上にはあるのです。僕は、インターネットだけで勉強してノーベル賞をとる人がそのうち出てくると思っています。そういう時代ですから、遠からず出身大学が意味をなさなくなる時代が来るはずです。
 たとえば、普段、仕事先で会う人の出身大学に関心がありますか。僕はまったくといっていいほど、ありません。それどころか、「君、どこの大学なの?」なんて聞くような人はダメな人、という認識でいます》

 【勉強とは、自分という存在を輝かせ、人生の次のステージに登るためのもの】

《大卒の肩書きがあれば一生が安泰だった時代は、終わりました。いまは、大学で学ぶだけでは、一生ものの教養を身につけることはできない時代なのです》

《日本人は気がついているように思えないのですが、いま文明力において、アメリカとの差が大変に開いています。僕の感覚では、アメリカと日本の文明力は、ちょうど明治維新の時のヨーロッパと日本くらい、差がついてしまっているという印象です。

 なぜ、これほどの差がついたのか。それは学問に対する情熱というものの成り立ちが違うからです。

 たとえば、日本では文系・理系という区分をします。これはナンセンスな話だと思いませんか。たった四年間の勉強だけで人間を二種類に分類し、それで一生を定義づけてしまうのです。

 勉強とは、自らを分類するためのものではないはずです。勉強とは、自分という存在を輝かせるものであり、人生における次のステージに登るためのものなのです。そして現代は、その勉強を大学に行かなくても実現できる時代なのです。

 これに気がついた時に初めて、人々の勉強熱に火がつくのだと僕は思います。この変化にいち早く気がついた人だけが輝ける。逆にいうと、一流大学に行っていても、時代の変化に気づいて自分なりに勉強している人でないと、これからは輝けないのです》


●「文系・理系」という括りはいまだにどの高校でもやっているのだろうか?だとしたら、それは大学入試が変わっていないからということになるのでしょう。これまでの企業社会神話が崩れつつある時代、大学も表面的な改革ではなく、本質的な改革をしていってほしいものだと思います。やっているところはやっているのでしょうが。

 「勉強したいという気持ちがあるなら、大学へ行く必要などありません」という茂木さんの考えに、私もまったく同感です。私自身、現在進行形で学び続けています。私の場合、インターネットより書籍によることの方が多いですが。

 もちろん、大学へ行って学ぶ意義はあります。特定の教授について学びたい、特定の分野の研究を仲間としたい、等などです。が、それは「自発的に学ぶことを志している者」に限られるでしょう。もっとも、自発的に学ぶことができる人であれば、大学に行かなくたって学べますから、大学へ行く動機は、何らかの資格を得るためという場合も多いでしょう。

 ただ、学ぶことイコール資格を得ることではないでしょう。「勉強とは、自分という存在を輝かせるものであり、人生における次のステージに登るためのものなのです。そして現代は、その勉強を大学に行かなくても実現できる時代なのです」と茂木さんは言っています。

 私はこれまで、特定の教授や本の著者の方等から直接話を聞きたいと思ったら、直接手紙を書いたりメールで連絡をしたりして学ぶ場を作ったこともありますし、今も元教授の主催する学習サークルに通い続けていますから、必ずしも大学へ行かなくても、自分の関心のある分野を学びつづけることは十分可能なことを実感しています。

●でも、何らかの仕事もせずに「学び」ばかり続けることはできません。「学び」の前に、「生きる」ことがありますから。そういった意味では、「学び」は生きていく上である程度の「ゆとり」がないと叶わないものだとも思います。

 「仕事そのものが、学び続けていられるもの」であればどれほど幸せなことだろうかーと、私は20代の頃から思っていました。またそれを実践するにはどうしたらいいかを模索してきたと、今振り返って思います。そして今、それは実現しています。らくだの指導は、自分が学びつづけることが基本ですから。そういった意味ではこの仕事は願ってもない「天職」と言えます。

 しかし、実現しているといっても、「半分くらい」と言えます。この仕事を続けたいがために、他のアルバイトもしているからです。塾の仕事に影響のない範囲での早朝の仕事です。子どもたちが成長するにつれてかかる費用も増えていきますから、今の時期しょうがないことだと感じています。

 「やりたいことのために、やりたくないこともする」、ほとんどの人はこのような形で、日々を送っているのだと思います。いや、今の時代、もしかしたら「やりたくないことばかり」の人が多いのかもしれません。「やりたいこと」を少しでも実現できている人は幸せなのかもしれません。

 人間、仕事で自己実現しなくても生きていけるし、そんなものだとも思っています。ただ、今の時代は、「普通に生きる」ことすら、大変な世の中になっているのではないかとも思います。

 だから、いい大学を出て名のある企業に就職しなければいけないのか?でもそれはごく限られた層にしか叶わないし、そのようなところに就職できたからといって、人生安泰では決してありません。

 私としては、もっと多くの人が、地域に根差した自営的な仕事でたとえカツカツであっても、家族に囲まれた平凡で幸せな人生を送ることができる世の中にできないものかーと、感じます。それができにくくなったのが、グローバリズムの進展してしまった今の社会ですから。

 生きていく術は、何事も自分で知恵を働かせる中から身についていきますし、そのためには「自分の頭で考える」癖を身につけていくことから始まるのではないでしょうか。そして、場合によっては、「どんな仕事でも厭わずできる心身」を作り上げておくことも、人生において必要なことだと感じています。

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