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《ではいったい、変人とはどういう人のことを指すのでしょう。実は、これも天才と同じことがいえます。変人は変人として生まれてくるのではありません。
何かの行動に対してドーパミンが大量に放出され、それによって強化学習が成立する。このサイクルが暴走してしまい、人とは違う方向にどんどんとがってしまう。これが変人の変人たる理由なのです。
そしてトリニティカレッジの「変人であることの自由」という思想は、いうなれば「自分の好きなことをとことん追求することが許される自由」と言い換えることができます。自分の好きなことをとことん追求することを許された時、人はどういうふうに発展していくのか。現代史はさわやかな実例に満ちています。
たとえば、iPodで有名なアップルコンピュータの創始者スティーブ・ジョブズも、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツも、いわゆる“変人”であることがよく知られています。
しかし日本にはお世辞にも“変人”を許容する文化があるとはいいがたい。逆に「ほかの人と一緒でなくてはいけない」という(無言の)圧力があります。こうした友人や仲間、社会的通念などの周囲からの圧力のことを「ピアプレッシャー」といいます》
《一般的に日本の社会というのは、ちょっと変わった人がいると、それを平均値に引き下げようとする傾向があります。ところがトリニティカレッジは、その逆だったのです。「もっと変になれ、もっと変になれ」とあおられる。
この違いは何なのでしょうか。
イギリス人が、日本人よりも遺伝的に知能が高いとか、そういうことではありません。この「変な行動を奨励する」文化に大きな違いがあるのです。
もちろん、イギリスにもピアプレッシャーはあります。しかしイギリス人の発想が卓越していたのは、彼らをスポイルするのではなく、その変な人たちを集めてコミュニティを形成し、「知」として消火させるしくみを作り上げたことです。
生涯を通して学習を習慣化させるには、こうした環境に身を置くことはとても大切なことです。しかし、日本にはトリニティカレッジのようなコミュニティは数多くは存在していません。それはとても残念なことだと思っています》
●やはり数多くは存在していないんですね。でもいくつかはあるということでしょう。それはどこかな?東大京大というレベルなんでしょうか。
「ピアプレッシャー」をものともせずに歩んでいけるような力を子どもたちにつけてあげたいものです。私は教室の生徒とはプリントを介在した仲?ですから、「一日一枚のプリントを継続していくための同伴者」であることが第一ですが、なるべく勉強以外の会話をするように心がけています(それが楽しみ?)。
そもそも子どもたちは勉強するために教室に通っているのですから、それが大前提にあります。なので必要以上に勉強のことを口にすることもないでしょう。それよりも、生徒それぞれがどんなことに関心があるかなどを聞く方が話に乗って来やすいですし、そのような会話を繰り返しているうちに、私に対しての警戒感を解いていってくれます。
警戒感を解いたら、勉強に対する本音なども出てきますし、そうすればこちらの伝えたいことも伝えやすくなります。さらにそれが信頼感へつながっていけば、今後困難なことがあったとしても、それを乗り越えていきやすくなります。
子どもがどんな話をしようと、私はとにかく「聞き役」で「無条件に受け入れる」ことを根底に置いています。それは、茂木さんの言う「変人」論?に通じるかもしれません。それぞれの個性を伸ばし、それを昇華した「大人」へと育っていってほしいと思っているからです。私の予想を超えたことを話す子どもほどおもしろいものだと感じています。
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