さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

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私のこと

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《【言葉と音楽】より

 そもそも私は、言葉というものを意味においてとらえていない。言葉は意味ではなく、リズムや音といった、感覚的なものに負う部分も多い。意味だけを求めると、本質からは遠くなってしまう。

 この感覚がわかる人とは共有できるものも多いが、わかってもらえないとすごくつらい。意味に囚われている人と話していると、堅苦しく息苦しいと感じてしまうことがある。

 だから、物事を音楽として感じているか否かというところに、分水嶺がある気がしてならない。共感できるかどうかの大きな分かれ道になるのだ。》


●上記に書かれたことがら、実は私も同感なのです。上記のことを、「何を言ってるのかよくわからない」か、「そうそう、自分もそう感じていた」か、そこがそれこそ「分水嶺」なのでしょう。
 
 私は若い頃、「意味のない会話」にそれこそ意味を感じられず、「会話は意味のあることを話してこそ会話と言える」と信じて疑いませんでした。ですから例えば、「おばちゃん同士の井戸端会議」的なものを嫌っていました。

 でもその後年を重ねていろんな体験を積み重ねてくると、そのような「一見意味のなさそうな会話」をすることこそ大切なことなのだ、と思えるようになりました。

 人は誰であれ、単刀直入に本質だけを語ることはできないということに気がつくようになりました。もちろんそのような場もあるでしょうが、そのような場であっても、最初から本質に入るのではなく、「意味のない会話」をするところから始めるからこそ、本質に届いていくものだと感じます。

 茂木さんの言葉を知って、「そうか、物事を音楽として感じているかどうかということだったのかー」と思いました。だからこそ、挨拶というのも大切になってくるわけですね。

 英語圏では、“How are you?”と言われたら必ず、“I'm fine ,thank you.And you?”と返しますが、「どうして“ごきげんいかが?”と聞かれたら必ず、“元気ですよ。あなたは?”と答えなければいけないのか、元気じゃない時もあるし相手のことを聞かなくたっていいじゃないか」なんて思ったりしていました。

 その後、“Not bad”なんていう応え方があることも知りましたが、いずれにしろ、「意味」じゃないんですね、重要なのは。「リズム」でありコミュニケーションの始まりの「型」なんですね。

ーとは言いつつ、電話に出ると必ず「おつかれさま」と言う人には、「別につかれていないんだけど…」と毎回思う私です…。 

 それと疑問に思うのは、子どもたちの携帯電話でのメールのやりとりです。
「何してる?」
「別に?」
「なにも?」
「そう」
「じゃあね」
「また明日」
「おやすみ」
「ありがとう」

・・・というような、延々と一言ずつ会話を返すようなやりとりは、いくら彼らの「リズム」とはいえ、なじめません。もっともなじもうとも思っていませんが、そう感じることこそ世代間格差の象徴なのでしょうかー。

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