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第二章【離婚/学歴コンプレックス】より
《テストの点数が平均点を20点下回った。
少年が父親殺害を決意した契機は、突き詰めればその一点に尽きる。他愛もないと言えばあまりに他愛もないことだ。
だが少年にとって、それは「全身の力が抜ける」ほど絶望的なことだった。
少年はなぜ、たかが1枚の答案用紙にそこまで追い詰められたのか。
今回の事件の真相を読み解く上で、触れなければならないのが、少年が父親から受け続けた虐待に近い暴力、そして少年が置かれてきた特殊な生育環境だ。
少年は事件の日まで、あの焼け落ちた家でどう育ったのか。それを知らなければ、少年の絶望を理解することはできない》
《父親は「息子を放っていった元妻や、医者をしていたその両親への当てつけ」もあって、息子を立派な医師にすることを誓ったと言う。「もし息子が医者になれなければ、私と別れたからなれなかったんだ、と言われるのが嫌で」とも語っている。これはまさに、別れた妻の一族に対するコンプレックスの表れだろう。
少年と実母の別れについて、父親も父方祖母も「実母が少年を捨てて出て行った」という趣旨の証言をしている》
第三章【神童/飛び級と算数オリンピック】より
《小学校1年生、しかも1学期の通知表にクレームをつけることも異常だが、もう一つ見逃せないことがある。
それは父親が民香さんのみならず、担任教諭の忠告もないがしろにしたことだ。
2人とも少年のためを思って、暴力をやめるように進言した。だが父親の行動を変えることはできなかった。
繰り返しになるが、父親は今回の事件の被害者遺族でもある。その悲しみは、私など第三者の想像もつかないものだろう。
それでもあえて父親の暴力について書くのは、今回の事件から私たちは教訓を得なければならないからだ。わが子に虐待を繰り返す親のなかには、「これは躾だ」、「自分は愛情を持って叩いている」と主張し、それゆえに他者の忠告に耳を貸さない人がいる。この父親もそうだ。
民香さんをはじめ、何人かの良心ある人が、父親の暴力をやめさせようとしている。時には懇願している。父親には我が身を振り返るチャンスが何度でもあった。それでも父親は、暴力をやめなかった。それは、自身の行為が「虐待」であるという自覚に欠けていたからに他ならない。
程度の差はあれ、「愛のムチ」の名のもとに手を上げている親は、この父親の姿から何かを学び取ってほしいと私は思う》
●私自身は、「今のところ」手を上げてはいません。でも、思春期を迎えて何かと手を焼く娘に対して、‘手を上げてしまう瞬間’がきてしまうんじゃないか、という気がこのところすることもあります。
でもはたして、手を上げてしまうことによって、問題は解決の方向に向かうのだろうか?という疑問があります。だったら、つとめて冷静さを保ち、他の方法を考える(後でじっくり話し合うなど)などした方がいいのではないだろうか、と基本的には考えています。
手を上げてしまう場合、頭の中では冷静さを保ちつつやってしまう時と、「堪忍袋の緒がキレた」状態で感情的になってやってしまう場合と二通りあるように思います。
後者の場合、冷静じゃないのだから、後先考えずにやってしまうわけで、よっぽど常日ごろ「このような時にはこのような行動を取る」と自分自身でシミュレーションしておかなければ、「キレる時はキレる」ような気がしています。
こう書いてきて、「冷静さを失ってやってしまったら終わり」のような気がしてきました。いくら「愛情をもってお前のことを考えて」やってるんだと思ってやっても、そんな気持ちなど相手には伝わらず、かえって反発をくらうだけのような気がしてきました。
わかってくれるには10年20年の歳月が経ってからということになり、この先数年は冷戦状態というのも、なんだかなぁーと、憂うつになってきます。
だったら、「つとめて冷静に」して対処する方がまだいいように感じます。
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