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【「妥協しない生き方」の落とし穴】より
《鷲田:一方でクレーマーがいれば、他方で自己責任で責める人がいるけれど、これも同じようなものでしょう。自己責任とか自立とかいう言葉が出てきてから、なんか居心地が悪いなあと感じています(笑)。
そんなに自立できる人なんているはずがないじゃないですか。集団生活ってインターディペンデント(相互依存的)にしかあり得ないんです。
自立しているというのは決してインディペンデント(独立的)なのではない。インターディペンデントな仕組みをどう運用できるか、その作法を身につけることが本当の意味で自立なんじゃないかな。
内田:相互依存ということをネガティヴな意味でとらえてますね。このあいだ、若い人に「折り合いをつけることの大切さ」を説いていたら、「それは妥協ということでしょう」と言われた。妥協したくないんだそうです。「妥協」と「和解」は違うよと言ったんですけれど、意味がわからないらしい。「交渉する」ということがいけないことだと思っている人がたくさんいますね。
内田:学生の就職活動の様子を見ていても、世の中には自分だけにしかできない「唯一無二の」適職がどこかにある、という幻想を刷り込まれていますね。これは恋愛幻想と同じ構造になっている。
仕事をする前に自分の適性や適職なんかわかるはずないのに、そういうものがあらかじめ自分の中に初期設定で組み込まれていると思っている。だから、就職してすぐに「これが果たして私の天職なのだろうか」と悩んだ末に辞めてしまう。
飽きっぽいんじゃなくて、純粋なんです。唯一無二のオリジナルな人間として自分だけにしかできない人生を生きなければならないと信じ込まされているから。だから、何かを始める前に、「本当の自分らしさって何だろう?」と自問したままその場に凍りついている。
でも、個性というのは、まさにインターディペンデントな関係の中で、その人が何らかの役割や業績を果たしたときに、「あなたはこういう能力があり、こういうことに適性があった」ということを周囲から承認されるというかたちで知るわけですよね。
個性というのは自分で名乗るものではなくて、他者から与えられるものでしょう。そういうことがわからないらしい。》
●「唯一無二のオリジナルな人間として自分だけにしかできない人生を生きなければならない」
・・・実は私もず〜っとそう思っていました。だから、30歳過ぎまで東京でアルバイト暮らしをしていたのでしょうね。今になって当時の自分を客観的に見ることができる感じです。まさに「純粋」だった…。
その後、「父親の介護」が避けて通れない状況になり、「出会い」によって「結婚」をし、「子ども」を授かった結果、「見えないものが見えてきた」という実感があります。
人生、いわゆる「普通に」生きてきたって、誰一人同じ人生はない。何もしていなくたって、困難はどんどんやってくるし、予想していないことが起きてくる。
そんなことがわかっていれば、「個性的に」なんて無理しなくたっていい、する必要がない。実はみんながそもそも「個性的」なんだから。
ただただそれぞれの道を歩んでいれば、それでいい。そのことに気づくには、時間がかかる。だから気づくまで、たんたんと、歩んでいればいい・・・。
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