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友人から手紙が届きました。年賀状のやりとりをしている大学時代の唯一の友人です。
今年届いた年賀状は、例年と違って家族の写真もなく、名義も自分一人だけになっていたので、「あれ?」と思っていました。毎年子どもたちのかわいい写真入りの年賀状だったからです。
届いた手紙には「離婚した」とありました。子どもはまだ小学校低学年、かわいい盛りです。
手紙には、「‘シュタイナー離婚’という言葉は聞いたことがあったけど、自分がそうなるとはびっくりでした」とありました。
私もビックリ仰天です。まさか彼の家庭がそんなことになっていたなんて、夢にも思わなかったからです。
「長女が小学校に入学する時に、妻がどうしても伊達にあるシュタイナースクールに入れたいということで、
単身赴任になったんだよね。(中略)その後いろいろあって、昨年離婚しちゃった」
「単身赴任と同じペースで子どもたちには会えるけど、やはりさみしいね。でも、やっとなれてきたかな」
そのような事例があると聞いたことはありましたが、「シュタイナー離婚」という言葉は初めて聞きました…。
私も一時期、「シュタイナー教育」に関心を持ち、本を読んだりしたことがありましたし、「シュタイナー」だけでなく、いろいろなオルタナティブ教育の本を読んだり講演会に出向いたりした時期がありました。
でも今は、「どこかに理想の教育がある」というのは、どこか違うように思っています。
もちろん、いい部分はたくさんありますし、もしも家から通える場所にそのような学校があり、経済的にまかなえる範囲であるなら、子どもたちを通わせることを考えるでしょう。でも、そのようなことはほとんどありえません。通わせるとしたら、「無理して」通わせることになるでしょう。
その「無理」の一つが、「家族離ればなれになる」ということです。
「家族離ればなれになってまで通わせる」価値のある場など、いったいどれくらいあるのでしょうかー。
「家族一緒に暮らしていく」ことよりも価値のある学校、教育の場など、果たしてあるのかどうか、私には疑問です。よっぽどの理由がない限り(DVなど)、「家族と同じ時を刻んでいく」ことこそ、最大最高の「教育の場」であると私は思うのですがー。
もっとも、他人の家族のことですから、彼のお連れ合いに話を聞かない限り、その真意はわかりませんし、もしかしたら、何かよっぽどの理由があるのかもしれません・・・。
私は自分の友人が、「子どもと会えなくなってさびしい」という事実に同情します。年端もいかない子どもと一緒に暮らす、その幸せを私は今享受しているからです。
私が‘らくだ教育’に惹かれた理由の一つに、「理想の教育など存在しない。それぞれの人が、今そこにいるままで最大限に可能性を引き出すことができる」という考え方に共鳴したからでもあります。
離ればなれになっている友人の子どもたちに罪はないですから、伸び伸びとその資質を伸ばしていってほしいと思いますが、友人の気持ちを考えると私もとても切なくなってきてしまいます。
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なんだか身につまされる話です。
2009/1/26(月) 午後 8:10 [ チキサニ ]