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【理想のキャンパス空間】より
《彼らが大学に求めているのは「巻き込まれる」ことなんです。そのことが少年少女たちにも無意識的にはわかっている。彼らが大学に期待しているのは、カタログを見て買い物をするように、シラバスを読んで、「学ぶ」前からすでにその意味や有用性が知られているような「教育商品」を124単位分集めて学士号を手に入れることではないんです。》
●私の大学時代を振り返ってみても、何をするにおいても、私は「巻き込まれる」ことを渇望していたなぁ、と内田さんの文章を読んで感じました。特に新しい土地に暮らし始めた時、「これからどんなことに巻き込まれるんだろう」と心高ぶっていました。ちょうど今の季節ですね。青森県弘前で、そして東京で味わった感覚です。
【ブレークスルーとは何か】より
《「学び」というのは自分には理解できない「高み」にいる人に呼び寄せられて、その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行します。この「巻き込まれ」(involvement)が成就するためには、自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということを認めなければいけません。
自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできない。知識は増えるかもしれないし、技術も身につくかもしれない、資格も取れるかもしれない。けれども、自分のいじましい「枠組み」の中にそういうものをいくら詰め込んでも、鳥瞰的視座に「テイクオフ」することはできません。それは「領地」を水平方向に拡大しているだけです。
「学び」とは「離陸すること」です。
それまで自分を「私はこんな人間だ。こんなことができて、こんなことができない」というふうに規定していた「決めつけ」の枠組みを‘上方に離脱する’ことです。自分を超えた視座から自分を見下ろし、自分について語ることです。自分自身の無知や無能を言い表す、それまで知らなかった言語を習得することです。》
●自分の「ものさし」そして、自分に対する「決めつけ」を私自身意識して手放した時期があります。
インタビューゲームの講座や、自分自身インタビューされた経験を繰り返すと、何が本当の自分なのかに戸惑うことがありました。そんな体験を経る中で、「人は自分というものがわからなくて当然」という気持ちになりました。
「人が自分に対する感想はどれも本当で、自分で自分に対する感想は決めつけに近いこと」に気がつきました。だから、「人が自分に対してどう思おうと、その人の自由」だと今は思っています。そうなると‥生きるのが本当にラクになります。どんな自分でも自分なんですから。
そして、自分のものさしを捨てると、他人のどんな考えにも耳を傾けることから始めるようになります。そうなると、人とのコミュニケーションがラクになります。自分の考えを押し付けようとすると疲れますが、聴くことに徹しようとすると、相手の方からこちらの話に耳を傾ける時がやってきますから。
必ずしもそうならないときもありますが、それはそれで縁がなかったと思って諦めれば済むことが大半なのではないでしょうか。
ちなみに、らくだ教材を続けることは、できないことを乗り越える練習を日々続けることで、自分自身に対する「決めつけの枠組み」を取っ払うことであり、私はその援助をする役割だと思っています。
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笹木です。これを読ませていただいて、ますます「インタビューゲーム」を体験せねばという気持ちになりました。コーチングの講座を受けたときに、講師が繰り返し述べていたのが、この「自分の認識の枠組みをはずす事」でした。「学びとは離陸すること」いいフレーズですね。新たな視点で「学び」を捉え直すことができました。ご紹介ありがとうございました。
別件ですが、今週土曜日の柳田先生の講座、まだ空きはありますでしょうか。もし可能なら覗いてみたいと思っているのですが…。良ければメールで教えていただければと思います。では失礼します。
2009/4/8(水) 午後 7:52 [ sas*ki*o*chi1*20 ]