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【競争を強化しても学力はあがらない】より
《日本の子どもたちの学力低下は、大学進学率の上昇と、グローバル化の進行とほぼ同期しています。これはある意味当然です。競争が激化し、単一の度量衡による全員の格付けが行き渡るようになれば、「どうやって競争相手の学力を下げるか」という戦略の方に知的リソースの分配が偏るのは当然だからです。
自分の学力を上げる努力が自分ひとりにしか関係しませんが、他人の学力を下げる努力は(例えば私語をして教師を怒らせると)クラス全員の学力を妨害することができます。費用対効果から見れば、「ライバルたちの学力を下げる」方が圧倒的に経済的です。何でも「創造するのは困難だが、破壊するのは簡単」なのです。
重ねて申し上げますと、‘競争を強化しても学力は上がりません’。少なくとも、今の日本のように閉じられた状況、限られたメンバーの間での「ラット・レース」で優劣を決めている限り、学力は上がりません。下がり続けます。
学力を上げるためには、自分たちのいる場所とは違う場所、「外」とのかかわりが必須です。『荒野の七人』では山賊が、『大脱走』ではドイツう軍の看守が、主人公たちの活動を阻んでいます。だからこそ、「自分にできないこと」の検出に真剣になるのです。
その欠陥を埋めておかないと、「外」を相手にしたプロジェクト(山賊退治、捕虜収容所からの脱走)は成功しないからです。ですから、当然、「自分にできないこと」を「自分に代わって引き受けてくれる仲間」に対しては深い敬意が示され、できる限りの支援を行うことが必須になります。
本来、子どもたちに最初に教えるべきなのは、「このこと」のはずです。どうやって助け合うか、どうやって支援し合うか、どうやって一人では決して達成できないような大きな仕事を共同的に成し遂げるか。そのために必要な人間的能力を育てることに教育資源はまず集中されるべきでしょう。
しかし、今の日本ではそうなっていない。
むしろ、どうやって仲間の足を引っ張るか、どうやって仲間の邪魔をするか、どうやって一人だけ他人を出し抜いて「いい思い」をするか、そういう「えげつない」作法を子どもの頃から教え込まれている。「競争に勝て」というのは要するにそういうことだからです。親や教師があからさまにそういう言葉づかいをしなくても、子どもにはわかります。そうやってきた結果、「こういうふう」になった。
だったら、もう「そういうこと」はやめる潮時でしょう。》
●全く同感…。私は、学校での主要教科の時間および内容は、最低限基礎的なものに習熟することに大半を割き、後は内田さんが上記に記したような「このこと」に費やすことができれば言うことなしと思いました。
すでに「教育」においても親の収入により格差が生じているのが現状です。それを踏まえた上で何を為すべきかを議論していくことが大切なのではないでしょうか。
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本当に教育の現場で子供たちが「こんな事」をしてるなんて、悲しいですね。うるさくして、友の学習効率を下げるなんて考えなきゃいけないなんて。。。そんな子供たちばかりじゃないと信じたいです。我が子たちが行ってる朝鮮学校は、校舎は古く設備は整ってませんが、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」を合言葉にクラスの友と助け合い、勉強でわからないことがあれば教え合いながら勉強しています。
2009/4/9(木) 午後 5:48
成績評価自体が相対評価ではなく絶対評価なので、他人を蹴落とす必要性はなく「みんなでよい点数を〜」となってるようです。競争力は足らないかもですが、アットホームな学校です。先生方も薄給の中がんばっておられるので、みんなが支えてる学校だからこそ子供たちは、助け合っているように思えます。
2009/4/9(木) 午後 5:58
なるほどー。
内田さんは朝鮮学校のことをよく知っているかどうか知りませんが、
朝鮮学校こそ内田さんの考えを実現していると言えるかもしれませんね。
日本の学校の実態はこのようなものになり、
同じ歴史を重ねた朝鮮学校の実態はそのようなものになり…
教育の舵取りを誤った結果だと思うのですがー。
2009/4/9(木) 午後 6:26 [ tomoto ]
ありがとうございます
天然素材の装飾品です
2009/4/17(金) 午後 4:49 [ 木皮のぬくもり ]