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今回寺脇さんは、北大の山口二郎教授の主催する連続講座の最終回のゲストとして招かれました。場所は時計台ホール。私は時計台の中に入るのは初めてでした。木造の昔ながらのたたずまいを残したこの場所は、いろいろな音楽会などが開かれていることは知っていました。音の響きがよさそうで、ここでタイコを叩けたら気持ちよさそうです。
寺脇さんも、「時計台ホールというから、てっきり時計台の近くにあるビルかどこかの場所」だと思っていたそうで、時計台の中がホールになっていて、そこで講演をするのだと知った時には驚かれたそうです。
椅子も木製でベンチのようなものでした。一番前の席にのみテーブルがあったので、私は一番前の席につきました。
●お互いを知ることは、「潤う」ことー韓国の日本文化解禁
今回の話は、「教育」がテーマではありませんでした。「東北アジアの平和と分断と、世代的分断」という固い?テーマです。どのような話になるのかと思っていたら、結果的にはどんなテーマであっても、教育へとつながるものだと思いました。
寺脇さんの韓国への造詣の深さは、ものすごいものでした。ちょうど文化庁の事務次官になられた時に、韓国では映画監督のイ・チャンドン氏が文化担当大臣のようなポストに就き、2004年に日本文化の全面的な解禁措置が取られたそうです。
それと同時に、日本では河合隼雄さんが文化庁長官になられて、寺脇さんは彼に仕えることとなったそうです。それこそ四六時中共に行動するようになった河合さんは、「これからは映画だ!映画ほど国際理解につながるものはない」と言われていたのですから、韓国と日本の文化の融合が始まっていくことになるのは道理でしょう。
そしてその頃から(2003年秋から)寺脇さんは韓国映画を見始めたそうですが、それまでは日本映画だけを見ていたそうです。後で詳しく教えていただいたのですが、役所に勤めていた06年までは年間約150本、07年以降は300本以上も見ているのだそうですから驚きです。そして06年から中国映画、07年からはアメリカなど他の国々の映画も見ているとのことです。
イ・チャンドン氏は、「日本文化を解禁してしまったら、韓国の文化は浸食されてしまう」という世論に対し、「日本文化が韓国に入るということは、韓国文化が日本にも入るということ。韓国の文化は日本で十分受け入れられるものだから、韓国文化だけ浸食されてダメになってしまうようなことは決してない」と主張し、それを通したのだそうです。
結果的に彼の主張が当たっていたことは明らかでしょう。それにしても、日本でこれほど韓国の文化が受容されるとは、私も思っていませんでした。
寺脇さんは、「お互いを知ることは、潤うこと」とおっしゃいました。「潤う」というのは、「肌で知る」というようなことでしょうか。お互いを肌で知ること以上に理解し合えることはなかなかないのではないかと感じます。
私は、1986年末から丸9年間東京に暮らした時、当時あまり観ることのできなかった韓国の映画が上映されると知ると、必ず観に行っていました。また、韓国人留学生とルームシェアリングしたり、韓国語を習ったり、在日朝鮮の方々の文化を伝える活動をしている場に赴いて、いっしょに歌ったり踊ったりしました。
それにより、韓国の映画や音楽のすばらしさを知り、個人的つながりができることにより「情」を知り、私にとって韓国朝鮮の人たちは、まさに隣人としてとても親しみを感じる存在となっていきました。
当時、もっと広く韓国朝鮮の文化や人について知ってもらいたいと思い、話を聞く会や音楽体験や料理作り、日本のコリアンタウン巡り、等などを地道に行っていました。それが近年一挙に「韓流」と言われるブームにまでなり、韓国を身近な国として感じる日本人がごく普通にいるようにまでなるとは、時代の変化とはいえ、驚くべきものがありました。
その一翼を、寺脇さんが担っていたことを、今回あらためて知ることができました。
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一時の「韓流」ブームは落ち着きましたが、それをきっかけに韓国へのいい面の関心が高まったのはうれしい限りです。お互いを知ることが第一歩ですよね。両方の長短を知るわたしたちに何ができるか考えたいですo(^-^)o
2009/6/4(木) 午後 9:14