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【どうやって地域の力を利用するのか】より
宮台ー
《藤原さんのいう「開かれた学校」は、単に人が「外から入ってくる」のでない。藤原スーパー校長が「外に出ていって」、何が本当に必要なのか、いま何をすべきなのか、徹底的にコミュニケーションをとりつづけるという形が、現実の姿であることに注目しましょう。
もともとマーケターだった僕は、単に需要に敏感に応じる「マーケット・イン」ではなく、むしろマーケットにシーズ(種)をまく「プロダクト・アウト」の発想をそこに見ます。僕は、藤原さんは優秀なマーケターでもあられたから可能だった改革だと思います。
それは「民権化するためにこそ、民に任せるのでなく、むしろ民の民度を上げるべく国権的な注入を行え」という僕の思考図式と響きあう部分があります。単に市場化・地方分権化すればいいとするネオリベ的なお目出度い発想では「ゆとり教育」は不可能なのです。
分権化したあとに、藤原さんのような校長先生が出てきて、相当な努力をしないと、地域が空洞化したなかで学校をうまく回すことはできません。せいぜい、空洞化した地域から「あれも、これも」と押しつけられ、負担過剰化して回らなくなるのがオチですよ。》
藤原ー
《ひどく単純なことですが、外から人が来るのは、おもしろいから来るんです。おもしろくないところに人は来ません。
よく全国の校長先生にこんなことを言われます。
「藤原さんはそう言うけれど、うちも開かれた学校で、公開授業を10倍にしたんですよ。以前は年に一日しかやっていなかったけれど、いまでは年に10日にしています。でも全然保護者が来ない」
それはそうですよ、つまらないことばかりしていたら(笑)。
その意味で、[よのなか]科は釣り堀みたいなものなんです。さきほど神保さんが、この授業を受けていたら自分の人生が変わったかもしれないとおっしゃってくださったけれど、そういう感想を漏らすのは、ほとんど大人なんです。大人が「目からウロコ」状態になる。それから、議論している中学生もいいことを言うじゃないか、中学生ってこんなにまじめに意見を戦わせるんだな、と感心してくれる。》
【地域のハブとしての学校】より
藤原ー
《僕は昔の寺子屋がどんな感じだったんじゃないかと思うんです。場所が必要だからお寺を貸してもらい、論語を教えられるやつが論語を教え、算盤を教えられるやつが算盤を教え、それぞれができることをやる。この子は農家の倅だけれど優秀だから江戸に出してみようとか、そういう機能を果たしていた。いまの学校が同じ機能をとり戻していけば、かつて欧米で教会が果たしていた、技術や学問をたちどころに流通させるような役割を、学校が担えるようになると思う。宮台さんの言葉では「感染」ですね。》
宮台ー
《間違っても、空洞化した地域を、学校共同体が抱えこむんじゃありません。そうじゃなく、学校がハブになっていろんなものを繋いでいくことによって、地域を活性化し、学校が抱えこんでいる諸機能を地域に譲り渡していく。これが目標になるわけです。》
●地域の人材を活用することに力を入れる学校、つまりは校長先生がどんどん出てきてほしいものです。校長の考え一つでいくらでも学校は活性化し、先生も生徒も生き生きと過ごせる場になると思うのですがー。
昨日の夜10時25分からのNHK教育テレビに、藤原和博さんが出ていました。「仕事道」のシリーズで、勝間和代さんを案内役として、藤原さんを徹底解剖する番組のようです。これから毎週木曜日しばらく続くようなので、楽しみに見てみたいと思っています。
昨日は、「人と人をつなぐ」「教育現場では4年かかるとされたことを4か月、いや4週間、いや4日間でやる」役目としての校長の在り方を語っていました。
「土曜寺子屋」「夜スペシャル」などは賛否両論ありますが、彼の根底にある考え方を知ることは、どんな仕事にとっても参考になるのではないでしょうか。
ちなみに、「土曜寺子屋」に「らくだメソッド」を導入し、それを根づかせるために中心的に活動した平井雷太さんのご友人である衛藤さんが、現在和田中学校「地域本部」の本部長になられていることを、藤原さんはうれしそうに語っていました。
衛藤さんは商事会社に勤められ、海外赴任生活も長かったのですが、会社員生活で培われた「何事にも動じないどっしりとした性格」が3年程和田中に通ううちにみなさんに知れ渡り、本部長に推されたとのことでした。私はこのことを知らなかったので、びっくりでした。衛藤さんは現在、らくだのみならずテニスを通じても生徒たちと交流されているとのことです。
「地域本部」というシステムによって、生徒たちは先生だけではなく、大学生から地域の方々など、多種多様な方たちと触れ合うことができます。これをモデルに、「地域本部」的なシステムが、これからもっと広がっていくことは、望ましいことではないでしょうか。
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