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『経済成長という病ー退化に生きる、我ら』(平川克美、講談社現代新書)を読んでー
第3章 経済成長という病が作り出した風景 から
[教育をビジネスの言葉で語るな]【等価交換が成り立たない世界】より
《教育の現場に、ビジネスの等価交換的な価値観を導入してゆけば、利につながらない学問は必ず貶められることになる。教育投資は、国際競争の場で勝ち抜くという形で回収されねばならないと考えるようになり、教育を受けるものもそれがキャリアパスにとって有益であり、かつ立身出世の武器になるものだけを選択するようになるだろう。
しかし、これを繰り返していれば、いずれ等価交換的な価値観でしかものを考えることのできない生徒を大量に再生産してゆくことになる。教育というものの恐ろしさは、先生が生徒に授ける知識と同時に、その授け方、方法、プロセスのすべてがそのまま生徒に授けられてしまうということである。私が教育を語る言葉づかいを問題にする理由はここに存している。
もし、現在教育の現場に問題があるとすれば、それは教育を語るにふさわしい言葉づかいを喪失しているということであり、投資して回収するといったモデルで回復できるような問題ではないのである。》
●なるほどなぁ…と思うしだいです。
[テレビが映し出した異常な世界の断片]【異常だと思えなくなっている異常】より
《笑いに高級も低俗もへったくれもないという見方もあるが、自分たちの笑いを下支えしている集団的価値観にはいつも無批判でよいというわけではない。いや、こんな小難しい話をしたかったわけではなかった。私が考え込んだ理由はその先にある。
番組が終わり、そのコマーシャルを見ていたら、まずアコム、続いてプロミス、そしてアイフルと続いたのである。私は思わず苦笑してしまった。これらの消費者金融は、無批判な笑いの場に集まってくる若者を掬い取ろうと手ぐすねを引いているように見えたからだ。
ソフィスティケートされた貧困ビジネスである。苦笑しながらも、なんだか嫌な気持ちになった。貧困ビジネスのプロ達は、どこにターゲットがいるかよくわかっているのだ。大笑いして、すっきりしたところで金を借りてパーッと行こうじゃないかと言っているように見える。おまけに「借りすぎに注意」の煙草を吸いながら思ったのである。なんだか、異常な世界だが、誰もこれを異常だと思えなくなっている異常に私たちは囲まれている。
金融バブルが崩壊し、世界的な不景気にあえぐことになった2008年とは、まさに異常を、誰も異常と感じられなくなった時代の決算を強いられた年だったのではないだろうか。》
●これまた、なるほどなぁと思うしだいですが、そのようなコマーシャルがお笑い番組の後に放映されたからといって、私は決して消費者金融へは行かないと思いますが、お気楽に行ってしまうような若者が増えているから、このようなことを平川さんは伝えているのでしょうね。
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