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人材多様性、人を育てる教育 より
《辻元:私は実は、子どものときからずーっと学校の先生になりたいと思っておりました。だから教育学部にいったの。
上野:あなたみたいなキャラでは、市町村の教育委員会の採用人事に通らないかもよ(笑)。私の友人たちで、この人には教壇に立ってほしいと思ったユニークなキャラの人たちは、採用試験にのきなみ落ちた。やっと産休代替教員や非常勤講師の職にありついても、何年やっても非常勤。いつのまにか歳をとって、採用年齢の上限を超えていた。それであきらめざるをえなかった人を、何人も知っている。
管理主義的な教育の現場では、管理主義に適合的な人材を選抜している。教師が事なかれ主義のところでは、個性のある人材なんて育たない。ゆとり教育とか総合教育とかが出てきたときに思ったものよ、人は自分が経験していないことを教えられない。総合教育の理念はよいが、教える能力のある教師はどれだけいるだろうか、って。
国策のうえでも、いまの日本の高等教育のなかから21世紀型の人的資本が育っているとは思えない。いまの教育制度がそういう人材を育てられるとも思えない。もし万が一育っているとしたら、それは本当にひたすら子どもの自助努力のおかげ。教育を受けたから、ではなく、教育を受けたにもかかわらず、自分で育った子どもたちだけが生き延びていると言うべきね。
いまの教育のもとでは、そういう個性的な子どもたちが育つ確率はすごく低い。そういう子どもたちは日本の学校を忌避して、どこかよその国へ行っているかもしれないし、あるいは不登校になっているかもしれない。人材大国をめざしても、こんな教育のもとではなれっこない。グローバルな教育産業の競争のもとで、日本の高等教育は完全に「負け組」になっている。そのうち英語圏の大学に植民地化されていくでしょうね。もうその危険は目の前に来ているという危機感がある。
社会や集団がサステイナブル(持続可能)であるということを考えると、生物多様性と同じように「人材多様性(ダイバーシティ)」が、やっぱり肝なんだ、いろいろな人がいるから、いろいろな未知の事態とか経験したことのない事態に対応できる。ひとりの人間が対応する以上に集団としてより高いフレキシビリティ(柔軟性)が維持できる。
だから、ノイズの発信力のある子ども、ノイズに対して許容度の高い人材を育てることは、とても大事。ところがいまの管理主義型の教育は、ノイズを消去する方向に働いている。ノイズを消去した子どもたちを規格品として、「できのいい子ども」と言うわけね。人材多様性というのは、これからの社会でたいへん重要なキーワードになるはずです。》
●タイトルに掲げた言葉は、いまの日本の教育制度に対してとても辛辣な言葉ですが、「子どもの育つ力」を信じているという点で、私も共感するところです。
話は少しずれるかもしれませんが、「子どもは自分の育ちたいように育つ」と思うことができれば、親も子もラクになるケースが多々あるのではないでしょうか。
そしてそこから、多様な人材が育つように感じます。
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経験から、「習った子どもはダメになる」気がします。特に高等教育に問題があるようです。たとえば、音楽の場合。多くの方が20代で引退。50過ぎまで演奏活動している方は、どこで習ったか分からない方々です。美術関係も同様との事です。作家も似ています。結局学校が才能を摘んだようです。理由は、日本の大学の在り方、具体的に言うと、「教員の養成機関=大学」が生んだ悲喜劇です。芸術は退廃や色艶を大切にしますが、教育機関はこれを、否定します。このため、艶のない若者の大量放出となりました。退廃も同様です。価値を見いだせない若者を大量に放出した結果です。
2009/12/9(水) 午後 3:39
大変参考になるとても興味深い内容のコメントを
ありがとうございました。
2009/12/10(木) 午前 11:11 [ tomoto ]