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●私が神戸を訪れたわけー
1995年1月、私は東京でアルバイト生活を始めてから9度目の正月を迎えていました。もう7年近く外資系証券会社のメールルームスタッフとして働いていましたが、札幌に一人暮らす父親の認知症の症状が進んで、もう一人では暮らしていけないことを知り、その年の暮れにはUターンをすることを決めていました。
そんな年明けの頃、1月17日の朝に発生した阪神淡路大震災…私は拡大する災害を報道するテレビ画面を食い入るように見ていました。そして、自分に何ができるだろうか、何かできないだろうか、という自問自答を繰り返していました。
今思うと、7年近く勤めていた会社を1月いっぱいでやめることが決まっており、その後は友人の経営する小さなレストランのリニューアルスタッフとして年末まで働くことになっていたので、その当時の会社をすぐに休んでも差し支えない状態の自分が現地に赴かないでどうする!という気持ちがあったのでしょう。
それと、Uターンすることを決めてはいたものの、素晴らしい出会いの繰り返しと、自ら学びたいことを思う存分に追求できた東京での暮らしを切り上げて、ほとんど誰も知り合いのいない北海道へ13年ぶりに帰ることに対しての気持ちの踏ん切りがつかない自分自身が、なんらかの心の整理をつけるために現地に行くべきだ、と直感したからだったのでしょう。
●友人知人のネットワークを通して全国から10人のメンバーが集結ー
3日間ほどテレビに釘付けになっていた私のところに電話がかかってきました。G氏でした。彼が、神戸に行く方法を探ろうと思っていると話しだした時、私の心は決まりました。「なんとかして行く方法、そして行く場所を探し出そう!」と一致して、お互い情報を集めることにしました。彼も私同様、いてもたってもいられなくなったのです。
すると、彼の友人で神戸市北区に暮らすL氏のもとに、「何かできないだろうか?」という声が集まっているので、L氏が街中を駆け回り、「何ができるか」を具体的に考えてくれている、という話が入ってきました。その話が入る前は、わりと大きなNGOがボランティアを募集しているということを知り、それに参画しようかと話していたのですが、できるなら、「自分たちの手で何が必要か確認した上で」現地に入りたいと思っていた私たちは、L氏からの返事を待ちました。
そして2日ほど経った頃でしょうか。L氏からついに、「準備OK」の連絡が入ったので、私たちは友人知人に声をかけ、震災一週間後、東京駅から新幹線に乗り、大阪へと向かいました。大阪南港から神戸港への船が出ているという情報が入っていたからです。当時の陸路は、鉄道も道路も寸断されており、また、緊急援助車両優先でした。
緊張の中で着いた神戸の港は、至るところひび割れ、震災の傷跡を残していました。私たちは一路北へ向かって歩きました。雪が舞い落ち、底冷えのする神戸の街を歩いて目にするのは、至る所の瓦礫の山です。ほとんど人と出会わなかったのではないでしょうか。テレビ画面で目にしてはいたものの、実際に目の当たりにした瓦礫の山、崩れ落ちた家、傾いたビルや電信柱…その光景は、想像を絶するものでした。
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現場に行ったことは、財産ですね。先日、私は、TV「かみさまのいじわる」を見ました。これもよかったです。
阪神大震災支援の風ゆめ基金のCD持っています。小室等作曲、永六輔、谷川俊太郎作詞で1つ1000円です。収益金は、すべて支援にまわされます。これを販売することが当面私自身の支援方法です。よかったら買ってください。
2010/1/20(水) 午後 7:32 [ onngaku ]