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余市には、アフリカ人のMさんもいらしてました。余市在住の私の友人が彼女と出会い、今回のイベントにお誘いしてくれたのでした。
私は1985年にUターンした後、北海道各地のイベントに呼ばれてタイコを叩く機会がありました。ジンベがまだまだ物珍しかった時期です。そんな折にMさんと出会いました。当時彼女は北海道中央部のT市に暮らしていたので、余市に暮らしていることを知り、びっくりしました。
どうして余市に暮らしているのか聞いてみると、T市に暮らしていた家の周囲が農家で、季節になるとあちこちで農薬を大量に散布されていたのが影響し、彼女もお子さんも化学物質過敏症になってしまったからだと聞いて驚きました。
あらゆる治療法や食事法を試み、住む場所を変え・・・と、大変困難な時期を過ごし、人づてに余市の海に近い場所に家を借りて過ごすことにより、ようやく症状が落ちついてきたとのことでした。でもまだ札幌などの都会に出るのは避けていると言います。札幌には排気ガスを始めとして、行く先々に症状を悪化させるような化学物質が漂っているからでしょう。
余市も、海側の場所だからいいのだそうです。山側の畑地では、どうしても農薬を使われる場所が多いからです。それに海は、心身を癒したり、悪いものを浄化する効用があるのではないかと私もなんとなく感じます。
Mさんは西アフリカの遊牧民族に生まれ育ったと聞きました。まだ若くして日本人と結婚して日本に暮らし、もうかれこれ20年位になるのではないでしょうか。アフリカで化学物質や農薬などにほとんど無縁の状態で育ったであろう彼女が、日本に来てこのようなことになるなんて、予想だにしないことだったでしょう・・・。
一時期は、ほんの少しの化学物質ー例えば化粧品や消臭剤ーにも反応してしまうため、住む家にも事欠くような状態だったそうです。その家の玄関に一歩入っただけで、その家に染み着いている化学物質に体が反応し、その家に住むことができるか否かがわかるそうです。
それで一時、アフリカに子どもを連れて帰ろうかと思ったそうです。しかし、アフリカに渡航する飛行機の中で過ごすことができません。化学物質に溢れているからです。飛行機の中で十数時間過ごすためには、酸素マスク等が必要だと医者から言われたそうです。
そして例え酸素マスクを備えて母国アフリカに帰ったとしても、また新たな問題が起こる可能性を言われたそうです。それは、子どもさんのアレルギーに関してです。
もしもアレルギー物質を口にして‘アナフィラキシー’のような重度の発作を起こした場合、30分以内に病院に運んで治療しなければならないようなケースがあります。それは、アフリカに住んでいたらまず無理なことだと言われたそうです。
帰国するとそのような危険に常に怯えながら生活しなければならないことを考え、彼女は母国に帰ることを諦めたそうです。日本に暮らすのも大変な状態で、母国にも帰ることができないなんて、精神的にとても大変なことだったろうと思います。
でも今は、縁があった余市に暮らす中で症状が徐々によくなってきているとのことで、そのうち札幌にも行けるようになると思うと言ってました。
私は彼女と知り合いだったとはいえ、親しく話をしたことなどなかったので、今回いろいろ話すことができてとてもいい機会になりました。また、余市や近隣の町に住んでいる私の仲間たちとつながることができたのもよかったと思いました。人は最終的に、人とのつながりがあることが、生きて行く力になると思うからです。
化学物質過敏症のことは、ドキュメンタリー番組等で見知っていましたが、身近にこのように大変な思いをした方はいませんでした。
人にはそれぞれ‘許容量’があります。その許容量を超えた化学物質を浴びる生活を続けてしまうと、その後はほんの微量のものでも体が拒絶反応を起こしてしまうのです。そうなってしまったら大変です。今は巷にそのような化学物質が溢れていますから、誰でも気をつけるにこしたことはないでしょう。
それにしても、都市部以外の方が危険な場合も少なくないのですから、暮らしにくい世の中になったものです。無農薬、減農薬へ時代は流れてきているとは思いますが、まだまだそのことに無理解で、自分(たち)さえよければという考えが多数をしめているのでしょうかー。
もともと日本はその方向で‘発展’してきたのですから、個々の考え云々ではないかもしれませんね。でももう、シフトしていかないと、大変な思いをする方が増える一方のように感じます。
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その昔りんご栽培を始めた頃高価な農薬が買えない為防虫効果の有る新聞紙で袋を作り果実1個毎にその袋を掛けて害虫から守る事を考え増産増益に大変貢献しました、ただ残念な事に資金に余裕ができた事で短時間に広大な果樹園に大量の農薬を散布出来るスピードスプレャーをいち早く導入したのも余市や仁木のりんご農家で一時期は風向きによっては市街地の住宅の窓ガラスが白く曇るほどでした、
農薬を大量に消費する事に地元の人間は誰も疑問を感じ無く果樹栽培には必要と思っているのが現状でした、
しかしある時この事を疑問に思うある農家が無農薬のりんご栽培を始めた処周りの農家からの抵抗が起こり裁判沙汰にまで発展しました、本人は村八分状態になり相当の苦労が有った様ですが今は徐々にですが農家の中にも理解者も現れ又世の中の流れが有機栽培・減農薬へとなり以前みたいに住宅の窓ガラスが白く曇る事は無くなりました、
Mさんの為にもこれから多分果樹園に方々は努力をする事と思います実は先日有る農家でMさんの事が話題になりその農家の後継者がMさんの期待を裏切らない様にしたいと話していた事をお伝えします
2010/5/14(金) 午後 6:33 [ kei*i2*78 ]
「余市」でヒットして私のブログを訪ねてくださったのでしょうか。
貴重なお話しをありがとうございました。
人にはそれぞれいろいろな事情があり、
いろいろな人がいると思いますが、
「Mさんの期待を裏切らない様にしたい」と言ってくださる農家の方がいらっしゃるなんて、うれしいことですね。
余市の海風に吹かれて、
Mさん親子はいつかきっと全回復?する日が来ることと思っています。
2010/5/14(金) 午後 10:22 [ tomoto ]
こんにちは。
以前(もう6、7年前?)に2、3度ジンベクラスに参加した者です。
その時の先生ですよね?
今はもうジンベの教室はされていないのですか?
久しぶりに叩きたくなりましてまた教えて頂きたいと思っています。
2010/5/17(月) 午後 3:56 [ sno**no ]
それはそれは、コメントありがとうございました。
今は「教室」というかたちではなく、
メンバーみんなとの「練習会」というかたちで続けています。
参加費は会場費折半のみですから、
500円前後といったところでしょうかー。
今中心になってやってくれているメンバーが、
ブログで練習日程や場所などをお知らせしてくれているので、
そちらをご覧になって、
ぜひまたご参加くださいね。
http://djembe-club.seesaa.net/
2010/5/17(月) 午後 10:36 [ tomoto ]