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先日、雨宮処凛さんの参加するシンポジウムのお知らせを載せましたが、彼女の本を久
しぶりに読んでみました。気になる箇所を抜粋しましたので、以下に記します。
シンポジウムは期待通りの内容でした。その報告は後日記します。
また、今日の深夜の「朝まで生テレビ」は、「新しい貧困」がテーマで、雨宮さんも
出演するようです。早く寝て、何とか見てみたいと思います。
【なぜ生きづらいと思うのか】
《自分の問題で生きづらいなら、自分は一度死んだと思うのもいい。私の場合は中学時代
のいじめで一度死んだと思っている。死にかけた人間は強い。なぜなら今生きているのは
余生でありオマケみたいなものだからだ。余生では楽しいことしかしたくない。だいたい
のことは余生を生きる者からするとどうでもいいことだ。
そしてすべての悩みに対して言いたいのは、今、自分がいる世界の常識や価値観にとら
われて苦しくなっているなら、勇気を出して捨ててほしいということだ。
自分を苦しめているものに、自分が縛られている必要なんてまったくない。ダメな自分
でもいいじゃないか。ダメは「味」だ。自分なりの「ダメ」を極めればそれは深みとなっ
てあなたのオリジナリティになる。ダメを積極的に有効利用しよう》
(以下飯田)
「余生」というところに大いに共感する私です。
なぜかといえば、私は1995年末に東京暮らしを引き払って札幌にUターンしましたが、
それはボケた(もちろん‘認知症’のことです)父親と共に暮らさなければいけなくなった
からです。
とにかく父親が大キライで、二度と彼のもとに帰ることなんてないだろうと思って飛び
出したこの私が、よりによって父親の世話、それもボケてしまった父親の介護を、まだ年
若い32〜33歳の時にしなければいけない状態になったんです。それを決意するまでに
は随分と苦しみました。
今となっては、そんなことでもないとUターンしなかったでしょうから、Uターンする
きっかけを与えてくれた父親には感謝しているのですがー。
いろいろな人に助けられながらやるだけのことをやって、特別養護老人ホームへと送り
出したわけですが、そのためにUターンしてきた私にとって、それからの暮らしは、いわ
ば「余生」なのです。
10年くらいは「介護生活」をするだろうと思っていたら、1年半程で本当に「運良く」
ホームへ入所することができたのです。それから何をやってどう暮らしていくかなど何も
考えていなかった私でしたから、とにかく「食べて生きていければ幸せ」だと感じて今に
至っています。
その後人生を共にする人ができ、おまけに子どもも授かったのですから、他に何をか言
わんやーです。
今が「余生」だと思えるような体験を経ることができた人間は、それだけで幸せなのか
もしれません。
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辛いなら一度死んだと思えば良い。今生きているのは余生というオマケ。
良い考え方ですね…。辛い自分は死んだから、これからは新しい自分で生きる…。
何か、少し前向きになれそうな言葉です。
2008/4/25(金) 午後 11:22 [ Mei ]
そう感じていただけるとうれしいですねー。
2008/4/26(土) 午前 9:54 [ tomoto ]