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今回は、十三編「怨望論ー怨望の人間に害あるを論ず」を読みました。
教育人間塾は、毎回私にとって大きな気づきとなる貴重な‘学び’があります。
それは、テキストにある福澤諭吉の言葉だったり、講師の村山先生の講義からだったり、参加された方の発言からだったりするのですが、今回は福澤からまた一つ、大切にしていきたい言葉をいただいたという思いがあります。
【人類天然の働き】
上記の言葉は、独特のニオイが漂ってくるような、福澤らしい言い回しのように感じます。ここの部分を抜粋します。
《怨望の人間交際に害あることかくの如し。今その源因を尋ぬるに、ただ窮の一事に在り。但しその窮とは困窮貧窮の窮に非ず、人の言路を塞ぎ人の業作を妨ぐる等の如く、人類天然の働きを窮せしむることなり》
ここにある「窮」という言葉もキーワードなのですが、ここの文章に関連する部分が三編に収められているということで、紹介してくださいました。
《人を束縛して独り心配を求むるより、人を放ちて共に苦楽を与(とも)にするに若かざるなり》
私は福澤のこれらの言葉は今に通じるものであり、子育てや教育のみならず、人との対応全般において、もっと意識し重要視するべきものだと感じました。
私の言葉にすると、「まず‘聞くこと’を尊重し、いつも心をオープンにすることを心がけると、いい縁が巡って来て幸福な人生を送ることにつながってきますー」、といったところでしょうか。
それにしても、「人との付き合いにおいては“人類天然の働き”を押さえつけるな!」と言っているのですから、福澤という人にますます興味が湧いてきました。
●怨望は‘衆悪の母’であり、その根っ子には“窮”があるー
怨望論と言いつつ、結局は人間交際や人の道という、いわば「当たり前」のことを、その当時福澤は敢えて説いていたのは、「庶民を啓蒙」するためだったのかと先生にうかがったところ、そういうことだったとのことでした。
私はついつい、時代劇のドラマにあるような、江戸の長屋の物語のようなものを思い起こしましたが、そのようなことをイメージするのも、福澤が敢えてこれらの説を説く理由を感じ取る一助になるかもしれません。
それぞれの人にとって、今何が「窮」であるかを考えてみるのも、今と具体的につなげて考える方法だとも思います。
その後の質疑応答の際には、村山先生は「窮」をひとつのキーワードとして、みなさんからの意見に返答していました。
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