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講座「『学力低下問題』を考えるー日本語力の低下との関連でー」のお知らせが新聞に載っていたので、参加してきました。
講師の方は現在「文章表現力の育成」をご専門とされている大学教授の方でしたが、これまでに、高校長や北海道教育委員会に勤められたりしていたとのことで、北海道の教育事情に関して大変詳しい方でした。
先生は今回の講座にあたって大変詳細なレジメを用意され、これに沿って話が進められましたから、とてもわかりやすい内容の講座だったと感じます。その中から特に印象に残った部分を書き記しておきます。
●学力低下問題は、いつの時代でもあった…?
「学力低下問題の歴史的推移」(先生のレジメより、※は私の加筆)
1、戦前…教科カリキュラム中心
2、昭和20年代…経験カリキュラム中心(問題解決能力重視)
24年頃…新聞に「学力低下」と報道
3、昭和30年代…教科カリキュラム中心(系統的・体験的知識を重視)
40年代前半…教育内容の現代化、理数で最先端の知識
40年代後半…詰め込み教育、偏差値教育。「落ちこぼれ」が多数
4、昭和50年代…ゆとりと充実(基礎・基本と個性の尊重) ※現在もこの流れ
60年代…自己教育力(学習意欲や学び方)
5、平成14年…学習内容の3割削減、生きる力(問題解決能力重視)
教科カリキュラム+総合的な学習 が柱
6、現在…「学力低下」が社会問題化
ゆとり教育に反発、学習内容の3割削減と学校週5日制に批判
※戦後に似てきている?
●学力とは何かー
先生は、外国での「学力」の意味と、日本での「学力」の意味の違いを指摘されていました。
英語でそれは“アカデミック・アチーブメント”であり、「学業達成度」、教えたことを生徒がどれだけ身につけたかと見るものということでとてもわかりやすいのですが、日本では、いわゆる学力と、「学ぶことに対する意欲、関心、動機、心構え」の二つの面があり、わかりにくくなっているとのことでした。
また日本では、「測定された学力」の基準も曖昧であり、その時代時代によって採点基準を変えたりもされます。
「学力」と「学力観」は違うのですが、日本では「学力測定値」があいまいなこともあって、「学力観」の方を「学力」として捉えられるケースが多いとのことでした。
これまでの問題点として、先生は以下のようにまとめておられました。
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1、学力低下論が生産的でないこと
対案が示されない、学力の全体像が示されない
2、木を見て森を見ず
教科を見ているが、全体の教育課程を見ていない
持ち時間、施設・設備は二の次のはず、求める生徒像の議論が不足
3、学力を数値化することで、量で見ている
知識・技能の偏重、学業成績(学力検査、学力調査の結果)を重視
大切なものは目に見えないものが多い
※学力測定値が明確ならくだ教材
らくだ教材では、小5−25のプリント(分数・加減のまとめ)が基礎学力が備わっているかどうかの目安となっています。これに合格できた子は中学数学にも困らない力が身についています。
らくだ教材には一枚ごとに目安時間があり、このプリントは15分、ミスが3つまででできれば合格(クリア)です。
目安時間の基準は、「鉛筆の手が止まらないでスラスラできる」と到達できる時間です。この時間は誰がやっても繰り返したら到達できる時間であり、特に急いでやるのではなく、「普通に」やってできる時間なので、誰がやってもあまり変わりません。
ただ、いきなりこのプリントをやった場合、大人でも四苦八苦するケースが大半で、30分やっても半分くらいまでしかできないこともざらです。それまでのプリントの積み重ねがあるからこそ、子どもでも何枚か繰り返したら合格できるのです。
らくだ教材にはこのように、明確な「学力測定値」があり、それは文部科学省が学習指導要領を変えても変わりませんから、「基礎学力がついているかどうか判断する基準」としては最適ではないでしょうか。
学校現場では、「ゆとり教育」を実施したりそれをやめたりという中で、いったい何を基準とすればいいのか戸惑っている中、いろいろな意味でわかりやすく貴重な教材です。実際に学校現場にも多く導入されてきています。
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