さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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 今週木曜日、知人の小学校教員の方からの依頼で、3年生2クラス約40人の子どもたち対象の、演奏交流会(演奏&ダンス&ドラム体験)を行ってきました。札幌市内の公園に隣接する、とても環境のいいところにその小学校はありました。

 メンバーは私と連れ合いに加えて、2名の女性が平日日中にも関わらず都合をつけてくれたので、音の厚みも出て踊りも存分に楽しむことができました。

●絵本『アフリカの音』の読み聞かせのバックにタイコの音を入れるところから始めました。私たちは、子どもたち対象の演奏交流の場では、まず最初にこれをやりたいと思っています。

 この絵本の作者の沢田としきさんは、私のタイコの師と同じ方からタイコを学び、私同様ダンスもいっしょに学んできました。彼が長きに渡ってジンベ&ダンスを学び続けた結晶が、この絵本『アフリカの音』になったのだと、私は勝手に思っています。それほど、ジンベ&ダンスの神髄?をあますところなく伝えている絵本です。彼独特のタッチで描く和やかな雰囲気の絵本の世界に触れる中で、子どもたちに自然に楽しみながら「アフリカの音」の世界観が伝わっていきます。

 絵本に出てくるものとまったく同じタイコで、まさに絵本に出てくるアフリカのリズムをバックにした読み聞かせは、他でなかなか体験できるものではないでしょう。これをするだけで、私たちが伝えたいことの大半が伝わるのですから、私たちとしても願ったり叶ったりなのです。

 読み聞かせが始まり、タイコの音がバックに静かに入り出すと、子どもたちがより一層物語りの世界に入り込んでいく様子を感じ取ることができました。

 「問題のある子」がいると先生からお聞きしていましたが(たぶんじっと静かにしていられないような子ども)、みんな固唾をのんで物語に入り込んでいるように私は思えました。もっとも、じっとして聞かなければいけないものだとも思っていませんでしたが。

●その後、「ファンガ」というリズムをやりました。
 このリズムには、「みなさんようこそいらっしゃいました」という歓迎の意味があるそうです。ここではコーラス部分をみんなに歌ってもらうのですが、子どもたちが元気いっぱいに「アーシェーアシェー」と歌ってくれる大きな声が部屋中に響き渡るのがとても心地よく、感動ものでした。この歌声を聞けるだけで私は、「やってよかった、来てよかった」と思えます。私にとっては癒される歌声、コーラスです。ちょっとしたダンスの振りも楽しんでくれたようでした。

●その次に、今日のメインとなるアフリカンダンス体験です。
 今回は、農業の神様に捧げるリズムとダンス「カキランベ」です。スローテンポのダンスを2種類、そしてアップテンポのダンスを2種類練習してからタイコの演奏をバックに踊るのですが、リズムのメリハリがあって、特に子どもたちとやるととても楽しいものとなります。

 今回は女性メンバーがダンスのリードを取って、動きの説明をしながら練習してからやりました。練習は練習、いざタイコの演奏をバックにして踊る時には、細かいことなんて気にしなくていいんです。リズムに乗って思う存分自由に踊って身体を動かしてもらうだけでもオッケーなのです。でもそのための導き役としてトラディショナルダンスがあり、今までやったことがない動きをする中で、いろいろ感じてもらえるといいと思っています。「やったことがないこと、すぐにはできないこと」にトライすることが大事だと思っていますから。

●ノリノリで汗をかいた後、先生がまだ時間があるということで、最後にもう一曲、喜びを表すダンスでとてもうれしいときに踊る「ウォロセドン」をやりました。もう一人の女性メンバーがダンスのリードを取り、いきなりタイコのリズムに乗ってやり始めました。これも2種類のダンスです。
 
●午後1時半から始めて2時10分程になり、最後は持参した10台程のタイコをぐるっと円形に置いてのタイコ体験です。これだけのジンベドラム(一本の木をくりぬきヤギの皮を張った手で叩くタイコ)を用意できる人はなかなかいませんから、これも他ではなかなか体験できないものでしょう。

 ジンベの特徴は、3つの音を叩き分けることにあります。基本の叩き方を教えますが、実際にタイコを叩いてすぐにこれらの音を出すのは至難の技です。もともと、何年も地道な練習を続けることによって始めて満足な音を出すことができるものですから。

 でも、この「やってみて初めてわかる難しさ」というのを実際に体験してもらうことこそ大事なことだと私は思っています。なるべくひとり一人に近づいて、いっしょに叩いて本物のタイコの音を体感してもらいます。
 
 でも最後には、みんなで思いきり好きなように叩いて発散してもらい、満足して?帰ってもらうようにしています。今回40人くらいの子どもたちがいましたら、1グループ10人くらいで5分前後、4周りしました。

●今回ぐらいの規模(30〜40人)が、子どもたちと交流するにはちょうどいいかもしれません。タイコをみんなに叩いてもらうにも限界ですし。また、小学校中学年くらいがちょうどいいかもしれません。低学年から幼児でももちろん楽しめますが、ダンスをそれなりに覚えてもらって動きの楽しさを感じてもらうにはこのくらいの年齢がいいでしょう。高学年になると女子を中心に‘照れ’が入ってくるので、まともにやろうとしない子が多くなってきます。

 校長室へご挨拶にうかがい、校長先生と少しお話しをしましたが、この小学校ではダンスを習っている女の先生が「ダンスクラブ」を作って、希望する子どもたちとダンスを楽しむ機会を作っているのだそうです。パソコンが得意な先生はパソコンクラブと、先生たちの得意なものがあれば学校現場でそれを活かすことができるということを聞いて、学校もずいぶん柔軟になったものだと私は思いました。

 今回の演奏交流会は学校の視聴覚室でやりました。隣接した多目的室とともに木造で気持ちがよく、規模もちょうどいい部屋なのですが、3階の端っこに位置していたため、十数台のタイコを4人で運ぶのは一苦労でした。最近の学校はなぜかこのような造りになっている校舎が多く、エレベーターがないため、演奏よりも準備で疲れてしまいますー。子どもたちの笑顔で疲れも吹っ飛ぶ…と言いたいところですが、寄る年波にはなかなか勝てず・・・。

 それでもやっぱりこのような機会が持てたことに感謝ですし、同行してくれるメンバーがいてこその出前演奏交流会ですから、感謝です。一期一会、子どもたちにとって小学校時代の楽しい思い出となってくれればそれで十分です。

 平日の真っ昼間の講座に果たしてどれくらい来ていただけるのか・・・と思いつつ、とにかく自分が体験したいと思ってやることにした講座でしたが、なんと申し込みは定員の10名いっぱい、家の前が車で溢れる状況で行われることになってしまい、私にとってはうれしい悲鳴となりました。自宅でやったので、子どもたちが2階で存分に遊びながら講座をすることができたのもよかったです。

●講師の井上さんから「黒猫タロウの屋台屋本舗」のゲームの説明を受け、参加者はペアになり、ゲームを進めていきました。

 アルバイトの人数や、ラーメン、団子、ソフトクリームとそれぞれ値段の異なる商品の仕入れ数をペアで相談して決めた後、サイコロが振られます。そして出た目の数によって販売数が決まるので、その結果によってそれぞれの仕入数から売り上げが違ってきます。これを10回繰り返して赤字になるか黒字になるか、売り上げが上がるかそこそこで終わるかの結果を出します。

 それぞれのペアの特色が出て楽しめます。そして、自分のやり方を振り返っていろいろな思いを巡らせます。

 サイコロの目によって、売上額が違ってきます。いい目が出ると、その商品を多く仕入れていたペアは売り上げが増大します。でも、悪い目が出ると、多く仕入れていた分だけ損が出ます。

 アルバイトを多くすると売り上げが倍になる設定なのですが、売り上げが少ないときはアルバイトへの報酬がかさむので、どんなタイミングでアルバイトを増やすのか考えます。

●サイコロの目が振られる度に、一喜一憂でした。
 本当の商売だともっといろいろな要素が入ってきます。でも、参加していた個人事業をやられている方は、「そんなもんですよ(商売はサイコロの目を振るようにある程度運不運に左右されるもの)」ともおっしゃっていました。

 運不運に左右されることが前提でも、最後まで「倒産」せずに経営し、さらに売り上げを伸ばすこともできるようです。この体験は、ゲームとはいえ貴重です。ゲームだからこそシミュレーションして楽しめるとも言えるでしょう。

 誰とでもでき、いろいろな思いを共有できるので、いろいろな年齢、さまざまな分野の方々と繰り返しやれればいいと思いました。家族でするのも一興です。「人生ゲーム」に似ているといえば似ているかもしれません。

●今回、3人の方が都合により12時で帰りました。ゲームを5回まで終えました。 
 残りの8人でゲームを10回繰り返したところで終了予定時間の13時になりました。
その後残ることができたのは、私と井上さんを含めて4人でした。

 このようなワークショップ形式の講座は、終了後にそれぞれ感じたことを交換し合うひとときを持つことができればより深まるのですが、それを含めるとトータルで4時間から5時間の講座になってしまいます。あらかじめそのような時間設定での講座を行うことができればベストなのですが、それだけの時間の都合をつけられる方はなかなかいらっしゃらないだろうことから、「短縮バージョン」でやることが多くなります。

 私は井上さんに以下のような質問をしてみました。

「今回のようなワークショップを2〜3時間でするとなると、2つのやり方が考えられますね。1つは、ゲームを5回で終えて、振り返り、意見交換の時間を確保しておくやり方。もう1つは、振り返り、意見交換の時間が最低限になることを覚悟の上で(?)ゲームをとにかく規定の?10回終えることを優先するやり方。いったいどちらがいいのでしょう?」

 これに対して井上さんは、「それはいつもジレンマなんです」とおっしゃってくださいました。私はその返答に納得です。

 ゲームが5回だとゲーム自体を深められないですから、振り返りの時間をたくさん取ったとしてもあまり深まらないかもしれません。ゲームを10回だとこのゲーム自体をひととおり味わって試行錯誤ができますので、ゲームを満喫した上で感じることが多くあると思いますが、それを交換する時間は取れなくなるので、個々で感じたことを持ち帰ることになります。

 どちらを取るかはその時の状況によるのでしょうが、基本的にはそのゲームの全体像をつかまないことには得るものが少ないでしょうから、交換の時間が減ったとしてもゲームをなるべく遂行することの方が大事になるのでしょう。

 ゲームを終えた後、各自で感じたことをB6カードに書く作業はしていただきましたから、これを参加人数分コピーして後で送付することが大切になってきます(本当はその場でコピーして持ち帰っていただくのがいいのですが)。これを後で見ることによって、それぞれが感じたことを知ることができ、自然と学びを深めることができます。

●何度もやると、いろんなものが見えてきそうです。
 要望があれば私も出前講座をやっていきたいと思っていますので、関心のある方はご連絡ください。中高生あたりの金銭教育にもとてもいいような気がします。楽しんで学べますので。

 今回日置さんといっしょにいらした冬月荘コーディネーター・高橋信也さんの経歴を私は初めて知って驚きました。以下、自己紹介文よりー
                          *
「ここにたどり着くまで、ホテルのフロントマン、看板製作、鉄工所での塗装、溶接など、福祉とは関係のないさまざまな職業を経験。
 2007年の夏、求職中にハローワークで見つけた求人で「地域福祉コーディネーター」を偶然見つけ、応募し、これまた偶然に採用が決まる。
 現場に入ってから試行錯誤を繰り返し、「地域福祉コーディネーターとは何か?」と問い続ける。」
                          *
 私は講座の最後の質問タイムに、日置さんに一つお聞きしました。その内容は以下のようなものです。
「求人をする際に、友人知人のつながりから採用することもできたと思うんですが、敢えてハローワークを通した理由はあるのでしょうか? これまでの福祉の考えに染まっていないようなまっさらな人材をと考えたのでしょうか?」

 日置さんはこれに対して、丁寧に答えてくださいました。
「いっしょに考えて新たな場を作り出していってくれるような、これまでの福祉の概念に染まっていないような方」が必要だったこと、失業率の高い釧路で仕事を求めている方々に少しでも雇用の場を創出したかったこと、などの理由で、敢えてハローワークを通して求人したとのことでした。それに応募して採用されたのが、高橋さんだったのです。

 私が想像した、いや、それ以上の?お考えから、ハローワークで求人したことを知ることができました。

 なぜ私がこのことを知りたかったかというと、私自身、もともと、学校の先生になるとか、塾を開くとかいうことを考えもしなかった人間だったからです。

 しかし、「教えない教育」と言われるらくだメソッドに東京で出会った後、父親の介護のために北海道へUターンし、介護の手が離れた後は全くの未定だった私は、結婚して子どもを持つことを機に、「自分の子どもにらくだメソッドをやらせたい」という気持ちから、北海道ではまだ誰もやっていなかった「らくだの教室」を開塾することを決めました。それが7〜8年前のことです。

 らくだメソッドの開発者である平井雷太さんは、「学校の先生はどうしても‘教えたがる’。だから、既存の教育に染まっていない人の方が、らくだの指導者には向いているんです」とおっしゃいました。私はこの言葉に勇気を得ました。そして、「どんな子どもにも学力、そして社会を生き抜いていく力をつけられる」らくだメソッドをここ北海道でも必要としている子どもがいるに違いないとも思ったことが、開塾したもう一つの大きな理由です。

●高橋さんは、「当事者」として皆が関わる冬月荘において、自分は「当事者」ではないのではないかと悩んだ時期があったそうですが、「本当はみんなが地域の当事者=生活当事者」という言葉を聞き、気持ちがふっ切れたそうです。
 これを聞いて私はなるほどと思いました。私自身、いろいろな場において「当事者」になることができると思うと、勇気を得ます。

 また、「地域福祉コーディネーターという横文字に引かれて(?…高橋さん談)」就職したはいいが、どのような仕事をすればいいか明確にはわからないでいた高橋さんは、「現場に入ってから試行錯誤を繰り返し、『地域福祉コーディネーターとは何か?』を問い続けている」とのことです。

 私は、その場にいる誰もが「自分がコーディネーター」だという意識を持てば、みんながコーディネーターになるのだと思っています。コーディネーターにとって一番大切なのは、「聞くこと(その場にいる人の話に耳を傾けること)」だとも思います。そのような意識を持つ人が多くいる場こそ、みんなが過ごしやすい場になるのではないでしょうか。

 高橋さんは、「地域福祉コーディネーター」という求人に応募して採用されたのですから、すでにその時点でコーディネーターであり、その場にいながら日々考えて行動していけば、高橋さんなりのコーディネーターができ上がるのだと思います。

 「“まじくるフェスタ”を札幌でー」

 先週末日置さんとお仲間たちが釧路で開催した「まじくるフェスタ」は、さまざまな分野の方々が一同に会して融合するような集まりとして、とても意義深いものになったと聞きました。私は残念ながら参加することができず残念だったのですが、「次は札幌で!」という声が上がっていると日置さんがおっしゃっていたので、私もその実現に向けて何らかの協力をすることができればと思いました。

 一週間ぶりのブログとなります。先週は実に内容の濃い、実り多い一週間となりました。その分ブログを発信する時間がなかったのですがー。

 3日(水)の夜、井上さんとお会いして講座の打ち合わせをし、4日(木)は朝から準備をして10時半から13時まで井上さんの講座、夜は石狩で日置さんをお招きした講座に参加、6(土)はかでる2.7で朝から夕方まで日置さんが司会進行、井上さんが講師という「地域貢献活動支援事業」の「ファシリテーションワークショップ」で、夜はその交流会でした。

 多くのことを学ぶと同時にいい出会いがありました。これからボチボチそれらに参加して感じたことなどを書いていきたいと思います。

 石狩の講座に参加した後、主催者の方から通信に載せる原稿を書いてほしいと言われたので、二つ返事で引き受けました。私はいずれにしろブログに載せる文章を書きますから、通信に載せていただくことを念頭に書けばいいだけですので。今回はその文章を載せたいと思います。

                         *

         石狩市民講座「萌木」 思春期の子どもと向き合う講座 特別企画
        “人とつながるって面白い〜「冬月荘」の取り組みから〜” に参加してー

  お話:日置 真世 さん 
       北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター
       札幌市スクールソーシャルワーカー
       NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事・事務局顧問
     高橋 信也 さん 冬月荘コーディネーター

                         *

  「つながりの輪はつづくー」               

 私は手稲区曙で小さな塾を営んでいます。私のところでは、幼児から大人まで、そして、進学希望の子から不登校、学習障害の子どもまで、さまざまな人たちがそれぞれのペースで学んでいます。

 今回私が石狩の講座に参加したのは、さっぽろ自由学校「遊」主催の「子どもの貧困」講座に参加した際に、同じ講座に参加されていたKさんから、「石狩で日置真世さんをお招きした講座をやりますよ」と伝えられたからでした。

 日置さんは、「子どもの貧困」講座の第2回目にお話をしてくださいました。私は日置さんのお話を聞くのはそのときが初めてでしたが、その話の内容は驚くことばかりでしたし、かた苦しくなく気負いのない話しぶりはその場を楽しい雰囲気にさせてくれるものでした。

 その後私は、日置さんの著書を読んだり、ブログを拝見したりする中で、日置さんの歩んできた道や今行っていることをより深く知ることになりました。そして、知れば知る程、これまでの常識にとらわれない発想やその柔軟な行動力に感嘆し、また共感するところ大でした。

 石狩の講座でも、日置さんのこれまでの歩みから、「コミュニティハウス冬月荘」に至るまでの流れを中心に話され、冬月荘でコーディネーターをされている高橋信也さんもいらしていたので、現場の生の声?も届けてもらうことができました。

 「冬月荘」での取り組みは、一言では言い表せません。スライドでは、「2つのコンセプトと3つの機能」といういことで、「対象者を限定しない。必要な人が誰でも使える」「利用する人が一方的に助けられるだけではなく、活躍できる場」、「集い」「仕事づくり」「居住」とありました。

 10代から50代の方が入居されていたり、「親子ランチ」の場を設けていたり、これからもニーズに沿ってどんどん発展・変容していく場のように感じましたが、現段階でやはり特筆すべきは、「Zっと!Scrum」(ずっとすくらむ)にあると思います。

 これは、「中学3年生対象の無料学習支援」ですが、「塾でも学校でもない、講師も先生もいない。大人も子どももありのまま向き合う学習会」とあります。

 中学生は基本的に学習をしに来るわけですが、そこに強制はなく、みな自主的にそれぞれにとって必要な学習をします。そして、必要であればその場にいる大人が「チューター」として子どもに対応します。それは、勉強を教えるというよりも、共に学び合う場に近いように私は感じました。ですから、そこには「教える専門」の方たちがいるわけではありません。冬月荘の居住者もいれば、他からやって来る方々もいれば、冬月荘の場で学んだ子どもたちが高校生になってから今度は自分がチューターとして来たりもしています。

 この「Zっと!Scrum」でどんなことが行われ、どんなことが起こっていたかということは、口で説明するよりもその場に関わっている人たちの生の声を実際に聞いてもらう方がいいだろうと、子どもたちや「チューター」の方へインタビューした映像を流してくださいました。

 「冬月荘へ来る前と来た後で変わったこと」「あなたにとって冬月荘とは?」という問いかけにより、中学生たちはそれぞれの気持ちをカメラに向かって(インタビューした日置さんたちに向かって?)話していました。

 「前よりずっと明るくなった」「大人と目も合わせられなかったのが、話すことができるようになった」「冬月荘は自分にとっての居場所」「ここがなかったら家に引きこもっていたままになっていた」「自分に自信がついた」などの話が、子どもたちの口から生き生きと語られていました。子どもたちの言葉と表情が、冬月荘という場で何が起きていたのかを、何よりリアルに物語っていたのではないかと私は感じましたし、その場に参加されていたみなさんもそう思われていたのではないでしょうか。

 それと、子どもたちから「おんじ」と呼ばれている60歳位の男性へのインタビューもあったのですが、この方の話はグッと胸に迫るものがありました。

 この男性は、長年身内の方の介護をされた後職に就こうとしたのですが、なかなか仕事が見つからず、その時点では生活保護を受ける身となっていました。この男性が冬月荘を紹介されて行ってみると、茶髪にマニキュアやピアスをしたような中学生たちと初めて接し、「度肝を抜かれた」とのことですが、いざ接してみると気持ちの優しい子どもたちばかりだったのでじきに馴染んで、普通に対応するようになっていったそうです。

 今では、せっかくチューターとしていくのだから中学生の勉強がわからなかったらシャクだと自ら勉強もするそうですし、なにより自分の居場所として行く場があるだけで日々の生活に張りが出て、身だしなみにも気を配ることができるようになったとのことでした。もしもこの場を知らなかったら、それこそ家に引きこもったままになっていたかもしれないとも話されていました。「おんじ」の思いがとても伝わってくるインタビュー映像でした。

 私は、「子どもは成長したいと思っている」「心の底では学びたいと思っている」と信じています。だから、「大人が対等に接して見守ってくれる場=安心できる場」さえあれば、子どもはそれぞれ自分にとって必要なことをすると思っています。

 私が冬月荘で行われていることを知って驚いたのは、私が自分の小さな塾でやっていることと共通するような実践が、もっと多くの人たちを巻き込んで冬月荘という場で行われていることにありました。
 そしてそれは、どこかにモデルがあるわけではなく、これまでの日置さんが行動しながら積み上げて来たものの集大成としてそこに現出したことを知り、私はさらに驚いたのでした。

 今回の講座のテーマは、「人とつながるって面白い」でしたが、冬月荘ではまさに、さまざまな人たちがつながる場となり、さまざまな人がつながり合って、日々さまざまなドラマが生まれているのだと感じました。

 また、私自身、この講座の場に来たのは一人の方と出会ったつながりからでした。そして講座に参加して、私の後ろの席の方と話をしたことから、お互いの情報を交換し合い、今後につながることまでできました。

 さらに今回こうして通信の原稿を依頼されることにより、これからも「萌木」や「かめの会」等の方々とのつながりが続いていくことと思いますし、なにより日置さんたちともつながって、ここ北海道でさらに楽しくつながる(日置さん流に言うと‘POPな’)場を広げていきたいと思いました。

 私は今年1月18日からのブログに、吉椿さんとの「再会」(テレビ画面を通してですがー)から、私自身の阪神淡路大震災における活動を振り返って書き記しました。

 そのきっかけとなったのは、NHKテレビ「クローズアップ現代」に吉椿さんの活動が紹介されたからですが、先週の深夜にNHKで2010年1月17日放送のBS特集「私たちはそばにいる〜神戸発・災害ボランティア四川に挑む〜」というタイトルの番組が放送されたので録画して見てみると、吉椿さんの活動が紹介されたドキュメンタリー番組の再放送でした。

 クローズアップ現代はこれをもとに再編集されたもののようで、こちらは50分間に渡って吉椿さんの活動を克明に追っていて、クローズアップ現代では紹介しきれなかった「その後」のことまで放送されました。

 クローズアップ現代では、吉椿さんが村にとって必要な交流施設建設計画に至るまでの道のりを描いていましたが、その施設建設計画は、着工目前でストップされていたのです。それは、なんと中国共産党政府が被災に遭った各地域に政府の資金で同様の施設を作ることに決まったからだそうで、吉椿さんのいる地域だけ、日本からの援助金で施設を作るわけにはいかないということでした。

 「これまで活動して来ていろいろなことがあったけど、こんな目前での‘どんでん返し’は初めて」ーと、吉椿さんは番組の中で話しており、また、自分が村人のためにやろうとしたことができなかったことに対して、村人に悪いと思って涙まで流す姿が映っていました。

 しかし、このような施設建設を各地域にするという決定は、吉椿さんの地道な活動が、大きな政府を動かしたということではないのか、と私は思いました。彼の活動していた地域にだけ特別なものは作れないけれど、最低限必要と思われる施設が、被災されたすべての地域にできるとしたら、これは何よりのことなのではないだろうかと私は思いましたし、スゴイことなのではないでしょうか。

 番組ではより詳しく、吉椿さんが村人たちと交流する姿を描いていました。そしてやはり、私が一番グッとくるのは、タイトルに上げた彼の言葉です。このことを、阪神淡路大震災での「足湯」の活動から、彼は確信として得ていき、それがあるからこそ、これまで活動を続けてきたのでしょう。

 避難所で「足湯」の活動をして宿泊場所に帰り、仲間(足湯隊10人衆)で話したときの光景は、私の脳裏にいまだに焼き付いています。足湯をやってみたからこそ感じ取った「大切なこと」を、その場にいる10人の仲間で分かち合ったその瞬間の、何ともいえない気持ち、身震いするような感覚は、いまでも甦ります。

 そして私自身、そのときの「確信」を胸に北海道へ帰り、それを実現するために自分に縁のあった「らくだ」をやり「ジンベ」をやり、今へとつながっているのだということを、吉椿さんの番組を見て、あらためて感じました。

「特別の技能を持っていなくても、寄り添って話を聞いたり、一緒に泣いたり笑ったりするだけで、いつの間にか人の役に立っている」
・・・この「確信」を、広く多くの方々に持ってもらえると、暮らしいい世の中になるーそう信じています。

 吉椿さんは現在、CODE海外災害援助市民センターに所属して、海外の被災現場での活動を行っています。ハイチ、そしてチリと、大きな災害はどこかで必ず起こっています。個人個人の小さな寄付でも、それらが集まって大きな援助となりますので、関心のある方は、CODE海外災害援助市民センターをネット検索していただいて、何らかのご協力をしていただければと思います。


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