さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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 【第四章 ネガティブなことに大きな価値がある】より
 [人生には大なり小なり「ヘン」がある]

《多くのネガティブなことによって、私は導かれてきました。しかし、私はいま、その数々のネガティブなことに、心から感謝しています。

 私が人生のテーマに定めた、人はいつ元気になるのか、いつ輝くのか、どうやったら自分をかけがえのない自分と思えるのか、といった問いは、他人事ではなく、私自身がそのことが分からなければ生きていけないという、せっぱ詰まった自分自身の問いでした。それは、明らかに「暗い」世界からの問いであり、ネガティブな体験があってこその問いでした。そしてその問いに導かれて、私は何とか歩んできたのでした。

 いま私の半生を書き記してきて、私は自分の人生が相当「ヘン」なものだということをあらためて実感しています。これはどう考えても、他の人にお勧めするような代物ではありません。

 しかし、どうなのでしょうか。それを言い出せば、ほとんどの人の人生は、大なり小なり「ヘン」なところがあるのではないでしょうか。表面上はみんな整った人生に見えるかもしれません。しかし水面下には他の人が知らない、いろいろな屈折や葛藤が隠されているのではないでしょうか》

《自分のかけがえのなさ、それは自分の人生を掘り起こすことから始まるのです。自然に自分のかけがえのなさが実感でき、人生の輝きを実感しているという、たいへん恵まれた人を除いて、私たちの多くは、自分への問いを発することから、自分のかけがえのなさを発見していくのです。》


●最後にある文章に特に惹かれます。
「自分への問いを発することから、自分のかけがえのなさを発見していくのです」。
 こうして本を読んで自分が感じたことを書くのも、自分への問いであり、自分の人生を掘りおこすことです。本を読んでどう感じたかを自分に問いかけながら、自分の人生を掘りおこしています。

●私が学生時代から持っていた人生のテーマは、「幸せって何なのか?」。
 大学時代の引きこもっていた時期、周りの友人たちが就職活動に励む中で徹底的に考えた末、自分が既存の会社で働いているイメージが全く湧かないことから、卒業・就職というレールから外れることを選択し、東京へ出て行く決断をしました。それが私にとって人生の一番の転機だったでしょう。

 そしてそこから、寸暇を惜しむように、本を読んだり映画を観たり講演会や講座へ行ったりコンサートへ行ったり人と会ったり海外へ行ったりーと、自ら選択した「毎日が学びの時間」となりました。それは、自分自身にさまざまな意味での「力」をつけないと、この先生き抜いていけないという危機感が常にあったからーだと今こうして言葉にできました。それはもちろん今も続いています。

 こうして書いてみて、「はー、そうだったのかぁ」と、あらためて自分で感じるのですから、文章化して整理することはおもしろいものです。

●今年は寅年、私は年男の48歳になります。
先日このことを知って少々驚きました。「今年は寅年」と言われても、自分も寅年だということを忘れて人ごとのように「今年は寅年」とただ単に知っていただけだったからです…(余談ですが、年男になると自分の年齢をはっきり認識できて便利?です。いつも46だっけ?47だっけ?と数えないとわからないでいたものでー)。

 この年齢くらいになると、自分の方向性に合った会社だってあったんだろうなぁ、何も就職拒否するだけがノウじゃなかったんだろうなぁ、とも思いますが、若いということは一途です(若気の至りとも言いますが…)。

 ただ一つ思うのは、「自分が悩んで考え抜いた末の選択に間違いはない」ということです。どっちの方向に行こうと、自ら決断した道に間違いはないのです。あとはただその道をしっかりと進んでいけば、「幸せ」はつかめるものです。自分にとっての幸せは何なのかは考えておいた方がいいと思いますけどね。

 【第二章 私たちは使い捨てじゃない】より

 すべてに人が使い捨てという寂しい社会、
 心理学でも、空気を読んでも、解決しません。
 世界の構造を見る目が必要なのです。

 [日本社会の崩壊の原因]

 私は断言したいと思います。私たちが抱える問題のいちばん根本にあるのは、日本社会が、社会の中での信頼というものを失ってきてしまった、そのことに原因があるのです。

 【第三章 評価が、生きることの最終目標か】より

 いい評価を得ることが人生の目的ではありません。
 問題は評価の後に何をするかです。
 自分の実力をどのように活かしていくのか、
 意識と行動の両方が大切なのです。

[評価をうまくつかうか、悪くつかうか]

《しかし、そうやって「あなたは素晴らしい」と言ってくれる本を読んで、ひとときは「私は素晴らしい」と思えるのだけれど、その「効果」が長続きせず、また別の本を読み、講演やセミナーに行き…、といったように、ぐるぐると同じところを回り続けている人も少なくありません。どうしてでしょうか?

 それは自分が求めているものが「評価」だからです。「あなたは素晴らしい人だ」、という評価が欲しい。「自分をかけがえのない人間だと思いたい」というところに目標があるからなのです。だから「あなたのかけがえのなさは、ABCの評価のAです!」と言われれば、「私は認められた!よかった!」というところですべてのプロセスが終わってしまう。しかし、言われた直後はいいのですが、その意識は長続きせず、しばらくたつとまた振り出しに戻ってしまいます。

 問題は、すべての行動が自己愛から生じていることです。
 今の社会はきわめて自己愛的になっています。自分が愛され、自分が素敵な人間だ、かけがえのない人間だと思ったら、そこで終わってしまう人が多いのです。愛されるに値する存在だ、と言われるだけで舞い上がってしまうというのは、それほどまでに自分が愛されていないと思ったり、自分で自分を愛することができない人が多いということでもあり、それが自己愛社会をもたらしています。しかし、私たちが生きている意味は、けっして自分の自己愛を満たすためだけではないのです。》


●私も若い時分はさまざまなセミナーやワークショップに参加しに出かけていました。でも、何度も参加しているうちに、「もういいや」と思えるようになりました。
 それらに参加するのは「受け身」ですよね。そうではなくて、いかに自分が動き、発信していくか、「自分が何をしていくか」が大切だと思ったのです。

 そう思い至るまでのプロセスの中で、セミナー等に参加して「自分を知る」ことは大事なことだと思っています。でも、そればかり繰り返していては、「疑似空間」の中で気持ちのいい思いをしているだけで(時には苦しい思いもあるでしょうが)、それに参加しないといられない一種の「中毒」になってしまう可能性があります。

 そこから抜け出せるかどうかが、自分を飛躍させるかどうかの一つの「カギ」のように私は感じるのですがー。

 [愛情深い親子関係から学ぶ「愛と思いやり」]

《私の友人に佐倉統(おさむ)という学者がいます。東大の教授をやっていて、『進化論という考え方』(講談社現代新書)などの著書もある彼が、ある時私との対談でこんなことを言っていました。

 小学生の学力が低下したとか言われているけれども、テストの点数に一喜一憂するよりも、もっと大切なものがあることを忘れてはいけない。小学校六年までの教育では、周りにいる人間が仲間なんだ、という意識を身につけることが決定的に重要なんだよ。人間はその仲間意識さえ持っていればそれからの人生は大丈夫なんだから、と言うのです。

 自分の周りの人間は、みんな仲間で信頼できるんだ、という感覚を小学校の六年生までに得られれば、そのあとで人生にかなりの問題が起こってきて、相当な負荷がかかっても、人間は大丈夫だ。壊れない。しかし子ども時代に信頼というものを築き上げられなかった人たちは、その後の人生でたいへんなことになる。自分が調子がいいときはいいけれども、人生がピンチになったときに、いろんな問題が噴出してくる。キレて他人に暴力的になったり、自分自身に暴力的になったり、たいへんなことになるというのです。

 学力不足が問題だと言うけれども、周りの人に対する信頼という人間の土台こそがいちばん大切なのです。その信頼の土台があったうえでいろいろな負荷がかかるのと、信頼がなくて負荷がかかるのとでは全然違う話なのだ、ということを考えなければいけません。


●なるほど…「信頼という人間の土台」、確かにそうですね。
 私自身、これまで困難を乗り越えられたきたのは、「信頼という人間の土台」があったからなのだと考えると合点がいきます。
 自分自身、あらためてこのことを考えて、子どもたちに接していかなければいけないな、と思いました。

《人間と社会は、愛と思いやりが支えているのです。
 そして、愛と思いやりがあればこそ、
 私たちは社会的な不正に怒りを持つのです》 ダライ・ラマ


 [人はなぜ集まりたがるのか]

《ダライ・ラマは、我々の社会の根本にあるのは、「愛と思いやり」なのだ、と断言されます。そこから全てを考え始めなければならないといいます。

 人間は、戦争をする人でも、人をだましてお金を手に入れようとする人でも、ただひとり孤独に生きている人はいません。家族とともに生きたり、友達と共に生きたり、村をつくったり町をつくったりして生きていく。それは、人間は人と一緒に生きたい動物であり、言い換えれば、人間は社会的動物であるということなのです。

 私たちはどうして集まりたがるのでしょうか。それはやはり、人間が生きていく上で、愛情とか思いやりを必要としているからです。誰も傷つけ合いたいから一緒に生きているわけではないのです。人間どうしを結びつけているのは、何よりも愛と思いやりなのだということから出発しなければいけません、とおっしゃっていました。

 言われてみれば、こんなことダライ・ラマに言われなくなってわかっているよ、と言いたくなりますが、実は意外と、私たちはこれがわかっていないのです。》


●「愛と思いやり」…なんともこそばゆい言葉です。でも、ダライ・ラマの言葉だとなれば、一気に「重く、含蓄のある言葉」に転化して受け止めてしまう私です。
 ダライ・ラマの重視するこの言葉を、自分の思索や行動の基盤に置くことを、もっと意識してもいいように思いました。

 上田紀行さんの『覚醒のネットワーク』(カタツムリ社)を読んだのは、20年前くらい前になるでしょうか。人生模索中?だった私は、これを読んで大きな影響を受けたような気がしています。「自分が感じた、信じた、その道を進めばいいのだ!」、というようなことだったと思いますがー。

 この本はいまだに本棚にあるので、あらためて読んでみたいような気もしています。上田さんはそれ以来気になる人だったんですが、ここ最近も多くの本を著し、活躍されているようです。

 今回、タイトルに惹かれて本を借りてみました。
 この本の後半には、彼の半生が書かれてあったのですが、それを読んでたまげてしまいました。ものすごい幼少時代を過ごしていたからです。裕福だったアパート経営は著名人が集う場だったとのことですが、その後父親は家を出てしまい、母ひとり子ひとりの暮らしではお手伝いさんから「虐待」を受け・・・。ぜひご一読を勧めます。

 ちなみに彼のお連れ合いはNHKのアナウンサーで、今は午後のワイド番組や特集番組の司会で活躍されている、私もとっても好きな方?です。さてどなたでしょう?
 以下、本文よりいくつか紹介していきたいと思います。


 【プロローグ 交換可能でない「私」】より

 「勝ち組・負け組」は平等な競争の結果なのか

《今の世界情勢は、経済的な勝ち組が一、負け組が何百、何千というレベルです。そして、最初から貧乏で教育も受けられない人に経済的に勝つ機会は与えられておらず、格差は拡大するばかりです。にもかかわらず、それは公正な競争の結果なのだから、と言ってしまったら、「冗談じゃない」、と誰でも言うはずです。機会を与えられていない場所に生まれ育てば、誰だって、「こんなゲームはインチキだ」、とテロリストになってしまう可能性はあるのです。

 そんな単純な理屈もわからずに、「競争は平等に行われたんだから、問題があるとすればそれは自分のほうだ」、と言って自分のほうに問題を引き取って、それは全て私に原因があります、と納得している人たちがたくさんいます。これはあまりに理不尽な状況だといえるでしょう》


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