さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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 いつも行っている社会福祉センターの情報資料室に、椎名誠の新刊があったので、思わず手にしました。その本のサイズと装丁は、ずっと以前に読んだ『岳物語』と同じだったので、とても懐かしく思ったことが手に取る要因でした。

 椎名誠の本とは学生時代に出会って、貪るように読んでいた時期があります。読書のこと、食べ物のこと、旅(冒険?)のこと、「生き方」のことー等など、今思えば彼に影響された部分がずいぶんあったなぁと思いました。

 「無人島で焚き火を囲んで大胆に調理したものを仲間と食べる」に代表される?彼の行動に私は憧れ、無人島にこそ行く機会はなかったものの、それに近いようなことを仲間とやってきました。もしかしたら、そのようなことができる仲間を作ることができたことこそが、自分にとって最上の歓びだったのかもしれません。

 そして、彼の本の中でも、自分の息子との日々の関わりを書いた『岳物語』をおもしろく読んだ記憶があるのですが、今自分自身が息子を持つ身になって、あらためて『岳物語』の中の椎名親子に影響を受けている自分がいるようにも感じます。

 岳くんはその後成長して19歳の時にアメリカへ渡り、そのまま住み着いたということはなんとなく知っていましたが、娘さんもアメリカに住んでいると知ってびっくりでした。

 『続・大きな約束』の中に、岳くんが中学生になって初めて『岳物語』を読んで、父親に猛反発し、その後親子の間に大きな断絶があったことが書かれていました。

 なるほどなぁ、と思いました。そして椎名氏は、その後一切子どものことを書くことをやめたそうです。成長途上には、「硬直し、閉塞感にみちた学校という社会と、自由な伸びざかりの子供たちとの間に横たわるどうしようもない精神的な空洞」が見られ、「大小の事件」が起き、「書きたいことだらけの日々」だったそうですがー。

 もしかしたら、これからそれらのことを書いてくれるかもしれません。岳くんの中学、高校時代、そしてアメリカに渡るに至った経緯など、知りたいことは山ほどありますので…野次馬読者ですかね。

 でもそう思えるのは、この本の中で、後に岳くんが「とうちゃんは作家だから、オレのことを題材として書くのも当然だと思うようになった」と手紙に記してあったとあるからです。

 この親子の長きに渡る物語を考えると、自分がこれから直面していくであろう息子とのあれこれに思いを馳せてしまいます。また、自分の親との諍いや和解などのことも思い出します。

 人間というのは、生まれてこのかたこのようなことを、ぐるぐるぐるぐると繰り返して来たのだなぁ、それが自立につながり、生きていく力の源になっているのかなぁ、と思うこの頃です。

 椎名誠も還暦を過ぎ、最近どのようなことを思っているのか、また彼の本を読みたくなりました。
 以下、『続・大きな約束』からの抜粋ですー

                          *

小学校五年あたりだったろうか。息子がその幼虫の観察日記をつけていた。ほうっておくと野鳥に食べられてしまう、という話を聞いてあるとき息子はわたしに相談にきた。
 どうしたらいいだろう?

 アゲハの幼虫を昆虫用の虫籠にいれて飼育することにした。わたしは息子と自転車で町までそれを買いにいった。息子はアゲハの幼虫を丁寧に虫籠に移し、それから毎日新鮮な柚子の葉をあげていたようだ。
 そうしてある日、アゲハチョウは一斉に孵って、小さな虫籠から次々に羽ばたいて空に翔んでいくところをわたしは見た。それは思いがけないほど感動的な風景で、息子や娘たちがやがて成長し、わたしの元を離れて飛翔していくイメージにつながった。

 わたしはその頃、息子との日常を自分流の私小説として雑誌に連載していた。だからその月の小説のタイトルは「アゲハチョウ」になった。やがてそれらの連作短編は『岳物語』という題名の本になって、はからずもベストセラーになってしまった。小学生時代の息子は自分が実名で書かれているそれを読むこともなかったが、中学三年頃になってから友人らにしきりに言われたようで、初めてそれを読んだらしい。

 彼とわたしの日常のやりとりをそのまま書いていたのだが、書かれた当人は自分の子供の頃のことが全部書かれているのだから、青年前期の感情としては要するに若者言葉でいう「うざったい」ことであり、許せなかったのだろう。その感覚はわたしにもわかるような気がした。せめて別の名前にしてやるべきだった、と思ったがベストセラーになるとは思いもよらなかったし、もう遅かった

 ある日彼はわたしの部屋に飛び込んできて、その本を床に叩きつけ「こんなことを二度と書くな。今すぐ日本中の本屋からこの本を無くしてくれ」と叫んだ。目に涙があった。
 そのときわたしは何も答えなかった。愛情をもって彼との親子のつきあいを書いてきただけなのだが、今の年齢の彼にはその感情は理解できないだろう、と思ったからだ。

 以来そのシリーズを書くのはやめた。中学から高校にいく時期というのは、作家のわたしからみると、硬直し、閉塞感にみちた学校という社会と、自由な伸びざかりの子供たちとの間に横たわるどうしようもない精神的な空洞が見えていた。わたしはそれに気づき、もどかしく思っていたけれど、個人の力ではどうしようもなかった。

 さまざまに理不尽な構図による興味深い大小の事件が続発し、ぎこちのない不格好な成長物語としていいこと、悲しいことのエピソードにはこと欠かなかった。書きたいことだらけの日々だったのだが、彼との約束を守り、わたしはそれ以来何も書いたりしなかった。
 息子とわたしのあいだには齟齬が生まれ、それは彼が高校を卒業して単身アメリカにわたるまで変わることはなかった。

 サンフランシスコで暮らしている間に彼は同じ歳の娘と結婚した。インド人の血がまじっているようなエキゾチックな美人だった。二人を祝福するパーティーは彼らの仲間がサンフランシスコでやり、わたしも妻もそれには出席しなかった。
 それからすこしたって、めずらしく息子から手紙が届いた。今の自分らの日常のことが書いてあり、唐突に「とうちゃんは作家だから、オレのことを題材として書くのも当然だと思うようになった」と書いてあった。

 まったくそこだけ唐突な一文になっていてわたしはややめんくらい、しばらくしてから可笑しくなった。
 そしてまた数年たって彼に最初の子供が生まれた。生まれたところは二度ほど引っ越して以前より少しは安全と思われたサンフランシスコの海の見える場所だった。
 男の子だった。
「サンフランシスコは風の街なので“風太”という名前にしたいんだけどどうかなあ」
と彼は電話で聞いてきた。
「いい名前だよ」
 私は言った。

ー以上、椎名誠『続・大きな約束』より

 先日、朝の仕事をしているとき、右足ふくらはぎの内側から足首にかけてのあたりに鈍い痛みのようなものを感じました。歩こうと地面を踏む際、なんだか痺れるような感じになるのです。このような感覚は初めてだったので、なんだか嫌な感じがしました。

 一カ月ほど前、玄関から外へ出るとき、足を踏み外して挫いてしまいました。ちょっとひねると痛みが出る状態がしばらく続いていたので、知らず知らずのうちに足をかばっていた影響が今になって出てきたのかな、とも思いました。でも、筋肉というより神経の方に力が入らない感じだったので、ちょっと違うんじゃないかとも思っていました。

●そんな嫌な感覚が二日ほど続いた後、ジンベ(西アフリカのタイコ)の練習日となりました。
 この痛みのまましっかり叩くことができるだろうか、あるいは、叩いて悪化しないだろうかという危惧はあったのですが、久しぶりの練習日だったこともあり、とにかく行くことにしました。
 しかし、タイコを車に積もうと二階から階段で運ぶのにも慎重にならないと痛んでしまうので、今日はどうなるだろうという気持ちのまま、会場に向かいました。

 会場に着いてタイコメンバーにこのことを話したところ、数ヶ月前に腰痛を患い、しばらくリハビリを続けてようやく回復途上にあるT氏から、「気をつけた方がいいですよ。自分も足に力が入らない痺れるような妙な感覚の後に、腰にきましたから。早めに病院に行って診てもらった方がいいかもしれません」ーというようなことを言われました。

 私は、「やっぱりか〜、この感覚は何か変だと思っていたんだ」と思いました。「重症化する前に病院に行った方がいいだろう、週明けにでも行かないとなー」という気持ちのまま、タイコの練習に入りました。
 座って両の手のひらで叩くジンベドラムと、立ってバチを持って叩くジュンジュンを、約1時間半、4人のメンバーで練習しました。

●みっちりと練習をして、イスから立ち上がったとき、「あれ?右足の痛みがない??」・・・
 そうです、タイコの練習が終わって気がついたら、足の痛みがすっかり消えてしまっていました。引きずり気味で歩いていたのが、普通に歩けるではありませんかー。私もびっくりですが、みんなも驚いていました。

 私は、「タイコは、右腕も左腕もバランスよく一定に叩き続け、腕の振りの軌道は丹田につながるのが理想的であり基本。タイコをしっかり叩くことができれば、それは気功に通じる」という思いを、長年(すでに約20年!)の経験から持っていました。だから基本の叩き方を習得できれば、それは必然的に心身の健康につながると信じていました。なかなか理解されないことなんですがー。

 今回、もしかしたらそれが証明されたのかなと、フト思いました。基本の叩きと無心に叩く境地が身体を整えてくれた、心身の気の巡りをよくしてくれたのかなぁ、とー。

●それと、痛みが出てから連れ合いに状況を話して、症状に応じたホメオパシーのレメディを服用していたことも、いい方向に進んだ要因だったのではないかと思います。レメディ摂取とタイコの練習が、タイミングよく重なり合って、足の痛みを取り除いてくれたのだと思っています。

 実は、タイコの練習で「痛みが消えた!」と思って帰宅した後しばらくしてから、痛みが再発しました。そしてその痛みはタイコの練習前よりもひどかったのです。そこでまたレメディを摂取してから寝ると、翌朝再び痛みは消えていました。

 以来一週間ほど経ちますが、痛みはすっかり消え、普通に歩いたり走ったりできるので、朝の仕事にも全く支障が出ていません。とはいっても挫いた後はちょっとした拍子でまた挫いてしまいやすいので、気をつけてはいます。

●今回の体験を総合して考えると?、一つのことを継続して来たのが功を奏したと言えるのでしょう。
 私にとってのタイコ、そしてそれに伴うダンスは、言わば「健康のバロメーター」です。不調なときも、快調なときも、自分自身をニュートラルに保つ効力があるように思えます。

 きっと、他の方にとっては、ヨガであったり、水泳であったり、武道であったりするのでしょう。
 そこでやっぱり大事なのは、「基本」を身につけること。だから、天才肌の人は別として、自己流でやっているとそれは難しいのではないかと思います。返って身体を痛めたり、長く続けることができなかったり。よき師に巡り合うことができた私は幸せものだ、とあらためて思いました。

 ひとつの職業に、自分の人生をあずけない より

《上野:私は、近代社会で生まれたプロフェッショナライゼーションこと職業の専門特化がよいとは思えない。専門職って、それだけをシングルインカムソース(収入源)にして食えるということでしょう。自分の能力をたったひとつに特化して、そこに命をかける。それが近代の職業倫理のひとつだった。それなのに、技術革新とともにどんな能力もスクラップになってしまったりする。

 だから私は労働の柔軟化をちっとも悪いことだと思っていない。あなたが言うように、「よい柔軟化」は歓迎。たったひとつの職業や職場に、自分の人生をあずけない。どんな職業でも、それだけで24時間や一生を埋めつくさない。たとえば、ひとつの仕事を週に三日だけして、それで10万円は確保する。あとはほかから収入をもってくるというふうに、バランスがとれたらいい。そのなかに、もうかる仕事、もうからない仕事、無償でやる仕事がいろいろ混じっていればいい。どんなに介護職が好きでも、一日10時間週五日を捧げなくてもいいと思う。

 辻元:70パーセントはこの仕事、20パーセントは別のバイトをして、あとの10パーセントはもうちょっと違うことをやりたいとか…そのためにも均等待遇と「同一価値労働同一賃金」、そして個人単位の社会保障を実現していかなければならない。

 上野:ほんとにそうね。前にピースボートの専従の給料を聞いたら、月収10万円くらいと言っていたでしょう。「専従」というのは変な言葉で、「専ら従事する」と書いてある。ひとつの仕事に「専ら従事」すれば他のことはできない。それなら「専ら従事する」ひとつの仕事だけで、暮らせるだけの収入が必要になってくる。悪循環ね。好きなことを仕事にしたんなら、それで食えなくてもいい。だから他の仕事もできる余裕があればいい。

 「好きなことを仕事にする」という考えは、『13歳のハローワーク』(幻冬舎、2003年)で村上龍さんが広めたけれど、とても困ったイデオロギー。好きなことって、カネになるかもしれないし、ならないかもしれない。たとえカネにならなくてもやるからこそ、「好きなこと」。

就職面接で、「好きなことなら集中できます」と答えた学生が落とされたというけど、あたりまえ。好きでないこともやるのが仕事だから。好きなことがカネにならなかったら、あまり自分が好きでないこともやるのが仕事だから。好きなことがカネにならなかったら、あまり自分が好きではなくても、他人さまの役に立つ技術のひとつやふたつは身につけておくべき。たとえばパソコンのスキルや語学力、ケアやマッサージなどね。

 辻元:そういう働き方が可能になる社会をめざすということ。》


●上野さんの言っていることに賛同する私です。
 「好きでないこともやるのが仕事」であり、仕事というのは世の中で必要とされているから仕事となっているわけです。
 好きでできることがあるならば、好きでない仕事もして「稼ぎ」とすればいいし、自分の身近で手助けの必要な人がいたら、「無償の仕事(ボランティア)」だってすればいい。
 要は、自分はどんな生き方をしたいか、そこをとことん詰めて考えることをしたかどうか、ということになるのだと私は思っています。 

 生活の地域完結性 より

《上野:仕事を選ぶときにも、短距離移動で通勤できるような職場を探すようになる。もともとパート労働の女性の仕事の選び方がそう。だって賃金が安いのに、移動コストをかけてまで職場に通うメリットがないから。

 だからといって、地方志向は農業志向と同じではない。農業が職業として自立するのは一部の帰農者とか、ビジネスマインドのある一部の農業経営者たちに限られる。

将来ありうる暮らし方は、多角経営のマルチプルインカム。もはやシングルインカムでも、ダブルインカムでもなく、マルチプルインカムの持ち寄り家計。その一部に公的年金や公的給付があり、暮らしの下支えはするが、それだけでは十分ではない。

パートや有償ボランティアをしたり、パソコン教室の講師をやったりして、小銭をかき集めて、そこそこ年収300万の生活水準を維持すればよいと思う。それに家庭菜園をやって夏のあいだは野菜を買わずにすむとか、米は実家から送ってくるとかいう、現物経済と贈与経済が含まれる。

 これって、非常に多くの日本人が、わずか半世紀前にやっていたこと。現物経済と贈与経済、つまりモノとサービスのやりとり。これが、けっこうバカにならない。たとえば、自分の口に入るもののうちの何割が買ったもので、何割がもらったものかと考えたら…。

 辻元:もうすでに実践で、地域通貨が始まっているよね。

 上野:地域通貨もあるけど、もっと泥臭い助け合い。もらって生きる。それも含めたマルチプルインカムで、そこそこ・ぼちぼちライフを維持していく人々が生まれてくるとしたら、それこそ地方の方が都市よりはるかに強いし、QOL(生活の質)も高いと思う。》


●「多角経営のマルチプルインカム」は、まさにわが家に当てはまります。
 私も連れ合いも、常に仕事を2〜3かけ持ちしてきました。それで何とか家族4人の生活が成り立っています。家庭菜園をやる時間的余裕や土地もないのですが、これができればもっといいだろうなとも思います。でも考えてみれば、野菜や米などは時々親族や友人知人からいただいています。ここに「子ども手当」が加われば、もっとラクになりますが…。

 将来的には、「べ−シック・インカム」に私は大賛成です。年金や保険などすべてを賄うかたちでこれに集積すればいいわけですし、実現可能性を研究する学者やグループ、それに政治家が増えていっているようですから、もう夢物語ではないでしょう。あとは国民の「成熟度」に委ねられるのだと思います。

 私が札幌にUターンしてボケた父親との「介護生活」をしていたときは、父親の年金をやりくりして生活していました。その後父親が特別養護老人ホームに入所してからの数年は、ジンベクラス(アフリカンドラムの教室)で毎月道内5〜6ヶ所を回り、それこそ「小銭稼ぎ」をしていました。

 その際私は「現物支給」でクラス参加費をいただくことが大歓迎だったので、農業を営んでいる方からは野菜や果物やチーズなどをいただいたりしていました。独り身だったこともあり、それで何とか生活は成り立ちました。

 今は札幌から離れることがほとんどなくなったこともあり、現物支給でいただくことはほとんどなくなってしまいましたが、今でも現物支給があっていいのではないかと思っています。

 私は将来の夢?目標として、らくだの月謝にしろ、ジンベの参加費にしろ、それぞれの方がそれぞれに負担できる範囲でいただけばそれでOK、現物支給でもOK、というかたちにするーということがあります。
 そのためには、そうできるような基本的な生活の下地がないといけないのでしょうが、そこそこで生活していければそれでいいと思っていますし、人間的なつながりが多くある人こそが「幸福」なのだという思いがあります。

 第4章 税金、経済、社会連帯 から
 そこそこ ぼちぼち より

《上野:大国の夢を捨てきれない人々が60代、70代よね。20代の人たちは、大国の夢なんて味わったこともない。物心ついてからこのかた、ずっと不況とデフレスパイラルを味わっているから。この世代は、「まったり革命」に成功するかもしれない。イケイケでなく、分相応にいこう、と。

 2001年に大塚英志さんが『中央公論』誌上で「私たちが書く憲法前文」を公募しました。私もその審査員のひとりだったのだけれど、優秀賞をとった作品に、当時17歳の女子高校生、福岡亜也子さんの「日本国憲法前文」がある。印象的だったので、忘れられない作品です(大塚英志編『私たちが書く憲法前文』角川書店、2002年より)。

 全くもってタイシタコトのない/世界的にみてソコソコの国がいい。(略)

 世界なんていう単位で/立派で一番!になる必要はあるのか。/
 私たちから見て一番幸せになれる国。/そうなる必要は大いに/有。

 景気ばっかりよくって/高ーい車買って/宝石ジャラジャラつけたくって/そんな/
 目や手や/そんな物で感じる幸せは/ソコソコあれば十分。/タイシタコトない平凡な
 国がいい。/穏やかに過ぎる時に/心で幸せを感じられるから。(略)

 これがいまどきの10代の女の子の未来へのビジョンかと思って、驚きもしたし、感動 もしました。

 辻元:つまるところ「おひとりさま革命」というのは、「ぼちぼち革命」であり「まったり革命」ということでもある。大国主義で国際競争力重視の国より、バブルに乗っかる人ではなく身の丈に合った経済でええやんか。それも、それぞれの多様な生き方こそが大事にされるようにですね。》


●17歳の高校生がこれを書いた、ということですが、みなさんはいかがな感想を持ったでしょうか?
 私は、どうしたらこのような考えを文章にできる子どもが育つのかーと、その背景を知りたくなりました。「物で感じる幸せはソコソコあれば十分」なんて思える子どもは少数派であり、「お金も物もたくさんほしい」と考える子どもたちの方が多いだろうと思えるからです。

 でももしかしたら、真っ当に考えることのできる高校生であれば、このように思っている子は増えていっているのかな、とも思ったりします。子どもたちの声にもっと耳を傾けて日本の進むべき道を決めていく必要性があるのかな、とも思いました。


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