さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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 私が沢田さんにお会いしたのは、1990年代前半のこと。私が東京でウォーク・トークに出会ってダンスクラスに通い始め、その後ジンベクラスに参加して数年経った頃だったと思います。ダンスクラスで沢田さんが一所懸命ジンベを叩き続けていました。

 沢田さんはイラストレーターであり絵本作家として活躍されている方だということも知りました。そのような方が毎回のようにダンスクラスでタイコを叩き続けているのはどうしてなのだろうーとフト思ったことがあります。

 その沢田さんがウォーク・トークに参加して数年後、1冊の絵本を著されました。『アフリカの音』です。私はこれを見せてもらって驚きました。西アフリカに伝わるタイコとダンスの世界を、沢田さん独特のタッチによる鮮やかな絵によって、見事に描いていると感じたからです。また、簡潔で楽しい言葉により、子どもたちにもおもしろさとワクワク感がストレートに伝わるように感じました。

 沢田さんは、ジンベ&ダンスに出会って自ら踊り、叩くことを通して、アフリカに伝わる文化、その世界の奥深さに触れていたのでしょう。そしていつか自分の身体で感じたこの豊かな世界を、子どもたちに伝えることができる「絵本」として描くことをずっとイメージしてきたのではないかと感じました。

 この本は、出版されて以来、ジンベ&ダンスを学び続ける仲間たちの「バイブル」的なものとなったような気がします。私としても、ジンベ&ダンスに携わるすべての人に見てもらいたいですし、一般的な絵本としても最良のものの部類に入るのではないかと思っていますから、多くの方に見てもらえればと思っています。そう感じる方が多かったのか、出版されてすぐ、何かの「絵本大賞」を獲得してもいました。

●ウォーク・トークによる『アフリカの音』の読み聞かせと演奏

 私が初めて『アフリカの音』のバックにタイコの音を入れた「読み聞かせ」を体験したのは、北海道の常呂町でウォーク・トークが公演を行ったときだったと思います。

 1998年頃だったでしょうか、その頃私の師であり沢田さんにもジンベを教えていたウォーク・トークの砂川正和さんは、確か沢田さんのご縁で常呂町に出向き、そこに生えていた大きな一本の木から大小さまざまなタイコを作るため、年に何度か常呂町を訪れていました。

 そして、その一本の木からタイコが作られ、地元の廃校を利用した生涯教育施設にそれを寄贈するお祝いのためウォーク・トークが常呂町に行った際に、私も同行させてもらったのです。

 地元の子どもたちが砂川さんの指導で大きな木から作られたタイコを演奏し、その後ウォーク・トークのドラム&ダンスで盛り上がったことを、今でもよく覚えています。

 『アフリカの音』の読み聞かせは、その施設とは違う町の大きな会場だったと思います。大きなスクリーンに映写された絵本のバックで奏でられるジンベの音は、その内容とマッチして、これ以上のものはないという出来?だったように記憶しています。

 余談ですが、私は単にウォーク・トークに同行させてもらっただけなのにも関わらず、夜の宴会場の番屋で、採れたてのカキ(常呂名産!)をたらふくいただいたことが忘れられません。一斗缶に山盛り出されてきたカキなど、そのとき以外目にしたことがありません・・・。

 年度末の3月は、退会および休会する生徒が多くなります。受験のために進学塾へ行くことにシフトするご家庭もあれば、らくだ学習を継続してきたことによってある程度力がついたので、家庭学習は一般教材をやらせることにしたいというご家庭もいらっしゃいます。

 私としては、らくだ学習をより一層進めることが、これを続けてきた子どもにとって一番の「受験準備」であり、らくだ教材をすべて終わらせてしまってから「進学塾」を考えるのがいいと思っていますが、なかなかそこまでは伝わりません。

 また、らくだ学習によってある程度力をつけてきた子どもさんは、らくだ学習に代わる家庭学習教材はなかなか見つからないことが多いです。らくだ学習の場合、その子にとって「ちょうどいい」、すなわち、「ちょっとがんばらなければできないくらいの大変さ」のプリントを常にすることになります。

 これを毎日繰り返すことは、それぞれの子どもの能力を伸ばすにはとても効果がある学習となることは、以前紹介した茂木健一郎さんの著書にもありました。

 なかなかそのような「効果的」で、時間をそれほど費やすわけでもないので「効率的な」学習を、一般的に売られている問題集などでできるものではありません。

 「毎日一枚自分に最適な学習ができる」ということは、そのような意味において、とてもスゴイことなのだと私は感じています。

●3月に退会(休会)した生徒さんのお母さまから先日連絡があり、お子さんが6月かららくだ学習を再開することとなりました。小6の生徒で、それまで算数、国語、英語のプリントを、毎日一枚ずつきっちりとやってきた子どもさんでした。

 私は、今ここでらくだ学習をやめてしまうのはとてももったいないことだとお伝えしましたが、一度他の学習教材をやらせてみたいというお母さまの要望が強かったのです。

 お母さまによると、約3カ月らくだ学習を休んで一般の教材をやらせてみたものの、やっぱりその子にとってちょうどいい学習をさせるのは至難の技であり、また、自分で学習を進めて行けるような教材も見つからなかったとのことでした。

 「一度やめてみてあらためて、らくだ学習が子どもに合っていて、この子の力を伸ばしてきたことがわかりましたし、子どももらくだを再開したいと言ってたので、またよろしくお願いします」とのことでした。

 一度やめてみないとわからないことがわかってよかったと私は思いました。口で言ってもなかなか伝わらないというのは、らくだ学習だけではないでしょう。

 私は、またこの子と会えるようになること自体うれしいことです。もう4〜5年ずっとおつき合いして来た?お子さんですし、この子の成長を見守っていけることは私にとってとてもありがたいことです。

 北海道最北の市である稚内での小学校公演の依頼が私たちジンベクラブにありました。

 北海道文学館での「わくわく子どもランド」の催しの一環で、「絵本の読み聞かせ&アフリカンドラム」をここ10年ほど夏にやらせてもらっており、その関係で私たちのことを知った稚内の担当の方が、「小学校創立50周年の催しで、ぜひアフリカンドラムとダンスを子どもたちに観てもらいたい」と熱心にお誘いいただいたのです。

 稚内ではなかなか文化的催しを体験する機会がなく、音楽にしろ踊りにしろなかなか最北の地?までいらしてくれる方々が少ないとのことでした。担当の方は私たちの公演の様子をネット等で観た上で、ぜひ子どもたちに見せたい、体験させたいと思われたそうで、私にとってはとてもうれしいことでした。

 私は、私たちのやっていることは特に子どもたちに体験してもらいたいので、願ってもない話だと感じました。通常は、その場に来てもらった子どもたちと顔の見える距離で、いっしょに踊っていっしょに叩いてということを行っており、それが一番「伝わる」やり方だと思っていますが、今回ばかりはそういうわけにもいきません。

 480人を対象にした学校公演など初めてのことですが、そのご依頼に応えるべく私たちにできる限りのことを行うだけだと感じましたし、私たちジンベクラブだからこそできること、みんなに楽しんでもらうことがあるともあらためて思いました。

 稚内まで馳せ参じるにはメンバーのみんなに仕事を休んでもらうことになるでしょうし、大規模公演なのでなるべく多くのメンバーに参加してもらわないといけないので、参加メンバ−がある程度確定できるかどうかで実現できるかどうかが決まってきます。

 私は依頼を受けた内容をそのままメンバーに伝え、仕事の休みを取ってまでも参加したいというメンバーがどれだけいるか確認したところ、現在共に活動しているほぼ全メンバー(最大9名)が「ぜひ行きたい」との意思を示してくれました。

 このことは、私にとってもとてもうれしいことでした。ここ数年共に練習をし、共にさまざまなイベントをやってきた仲間たちと、たぶん一生の思い出となるであろう今回の公演を共にすることができるのですから。

 これから、その日9月6日(月)に向けて、公演内容を練り上げ、練習を積み上げていきたいと思っています。

 ちなみに私は道北の北見枝幸で1歳から11歳まで過ごしたので、子ども時代の思い出の大部分は枝幸にあり、私の「故郷」と言えます。枝幸にいた時、稚内はとても身近な場所で、家族で宗谷岬へ言ったり利尻礼文へ行った思い出もあります…。

 昨日ご紹介した内田さんの文章は、私にとってこれからも指針となるような、とても心に響くものだったのですが、みなさんはいかがお感じになったでしょうか?

 長い文章なので、なかなか全部読み込むことができない方もいらっしゃるのではないかと思います。
 特に印象に残った部分を抜粋して再びご紹介したいと思います。自分自身が何度も反芻しておきたいので、私のコメント(唸り声?)とともにー。

                        *

《 社会制度というのは、「誰でもできる」という条件で制度設計してある。》

ーなーるほど。

《 そのような「平凡な人間」が営む場合の方が「むしろうまくゆく」ように作られている。》

ー深いなぁ。

《 たいていの場合、にこにこ笑いながら、遊び半分でやっている仕事の方がクオリティが高いのである。
家族も基本的には「ちゃらちゃら」やる方がうまくゆくように設計されている。》

ー常識を覆すような考え方、「そうかもしれない」と感じていたことを、「やっぱりそれでよかったんだ!」と思わせてくれる考え方。勇気づけられるなぁ。

《 それでもそこそこ仲良く暮らしているのだから、それで「OK」ということにしてはいただけないであろうか。》

ーそうだよね、そうそう。

《 「ものわかりのよい父親」は実は「悪い父親」なのである。
否定しにくいから。
「愛情深い父親」もあまりよい父親ではない。
その人のもとを去りがたいから。》

ーこれも深いなぁ。この考え方の背景には、すべての人はそのままでOKというような「自己肯定(全肯定?)」の考えがあるような気がする。

《(父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのことである)》

ーカッコに括られ、目立たなくされていますが(?)、このことも世の父親を勇気づけてくれる言葉です…。

《 「イニシエーションの年齢に達したら、子どもを家から出して、新たな家族を作るように仕向けること」、それだけが親の仕事である。
自余のことは副次的なことにすぎない。》

ーここまで断言されると、ありがたや・・・。

●年齢を重ねれば重ねる程、私は自分の父親への感謝の気持ちが深くなってきています。

 人との付き合いがヘタで、仕事においても自分の信条に基づいての活動においても中途半端で、連れ合いに去っていかれ、子どもたちにも愛想を尽かされ、自分の子ども(私)に対して「自分みたいになるな」と自己卑下をして、あげくの果てにボケて死んでいってしまった…そんな父親への感謝の気持ちです。

 心身ボロボロに成り果てるほどのことがあったのだ、ということは、父親と同じくらいの年になっていかないと、なかなか実感としてわからないものです。

 そんな父親だったからこそ、私は大海へと飛び出していったのです。

 とにかく、この世に私を生み出して、小さな頃の楽しい思い出を残して、そして育ててくれてありがとう、という言葉しか、今私の胸にはありません。

 この日の内田樹さんのブログは、いわゆる「家族論」でした。内田さんの考えは、他の識者の方の考えと一味も二味も違うと思います。

 内田さんの言うシンプルな「家族とは?」、そして「父親母親の役割とは?」に関しての考えに、私はとても共感します。このことを知ると、「安心」して「家族」ができたり「父親母親の役割」ができたりする人が多くなるのではないでしょうか。

 以下に紹介します。

                         *

2010.05.19  父親のかなしみ

小学館の取材で「家族」についてお話しをする。
もう何度も書いていることだが、親族制度というのは言語や経済活動と同じだけ古く、それを営むことができるという事実が人間の人間性を基礎づけている。

と書くと「ああ、そうですか」と退屈そうなリアクションをする人がいそうだが、人間とサルを分岐するのがその点であるということは、見方を逆にすれば「およそ人間であれば、誰でもできる」ということを意味している。

そこのところを当今の家族論は見落としているのではないか。
家族について論じている言説に触れて、つねに感じることは「そんなむずかしいことが『ふつうの人間』にできるわけないでしょ」ということである。

かつて「アダルト・チルドレン」という言葉がはやったことがあった(死語になってくれたようでうれしい)。
機能不全な家族で育った子どもがその後社会的能力が劣化する現象をいうのだが、そのとき列挙されていた機能不全家族の条件を見ると、この世に機能不全でない家族など一つもないようなものばかりであった。

家族全員が平等で、お互いを理解し合い、愛し合い、あらゆることを相談し合い、決して秘密を持たず、互いの欲望を受け容れ合う。
そんな家族でなければなりませんと本には書いてあった。

それは違うだろうと私は思う。
社会制度というのは、「誰でもできる」という条件で制度設計してある。
例外的強者以外には簡単に実現できないような制度に基づいて社会は組み立てられてない(というか、それではそもそも社会が始まらない)。

家族は社会組織の基礎である。
それゆえ、例外的強者でなくても、例外的に知性的でなくても、例外的に倫理的でなくても営むことができる。
そのような「平凡な人間」が営む場合の方が「むしろうまくゆく」ように作られている。
私が人類史最初に「家族」を制度設計する係であったら、当然そうする。

家族構成員全員が市民的に成熟している人間的に立派な人でなければ機能しないようなものをデフォルトにするはずがない。
そこのところを当今の家族論は見間違えているのではないか。

新聞の「家庭欄」というのを書いているのはエリート新聞記者たちだが、彼らは「たいへんな努力をしないと実現できないもの」にしか価値がないと思いがちである。
だから、家族を論じるときも必ず「たいへんな努力をしないと実現できない家族」こそがすばらしい家族であるというふうについ考えてしまう。

「適当にちゃらちゃらやっている方がうまく機能するように家族は制度設計されている」というようなアイディアは彼らの頭にはまず浮かばない。
それはメディアが学校教育を論じるときも、医療を論じるときも、統治システムを論じるときも変わらない。

眉間に皺寄せて、脂汗をかきながらやる仕事だけに価値があるという信憑をメディアは流布しているが、それは真実ではない。
たいていの場合、にこにこ笑いながら、遊び半分でやっている仕事の方がクオリティが高いのである。

家族も基本的には「ちゃらちゃら」やる方がうまくゆくように設計されている。
それは私の年来の主張を繰り返せば、「家族を理解と共感の上には基礎づけない」ということである。

家族とはいえ他人である。
何を考えているかなんか、わかるはずがない。

とりあえず私には母の考えていることも兄の考えていることも正直言うとよくわからない。娘の考えはさらにわからず、妻の思考内容に至ってはほとんど人外魔境である。

これが「わからない」と家族として機能不全であると言われてしまうと、私には立つ瀬がない。
それでもそこそこ仲良く暮らしているのだから、それで「OK」ということにしてはいただけないであろうか。

父子家庭で娘を育てた経験からわかったことは「父親」と「母親」の仕事は別のものであり、それぞれ非常にシンプルな役割演技によって構築されているということであった。

「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと(ご飯をきちんと食べさせる、着心地のよい服を着せる、さっぱりした暖かい布団に寝かせるなど)、子どもの非言語的「アラーム」をいちはやく受信すること、どんな場合でも子どもの味方をすること、この三点くらいである。

「父親」の仕事はもっと簡単。
「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。

この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。

だから、「よい父親」というのがいわゆる「よい父親」ではないことが導かれる。
「ものわかりのよい父親」は実は「悪い父親」なのである。
否定しにくいから。

「愛情深い父親」もあまりよい父親ではない。
その人のもとを去りがたいから。

「頭のよい父親」はさらに悪い。
子どもと論争したときに、理路整然博引旁証で子どもを論破してしまうような父親はいない方がよほどましである。

それよりはやはり「あんなバカな父親のところにいたら、自分までバカになってしまう」というようなすっきりした気分にして子どもで家から出してやりたい(それについて文句を言ってはいけない。自分だって、そう言って親の家から出たのである。父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのことである)。

言い遅れたが、人類学的な意味での親の仕事とは、適当な時期が来たら子どもが「こんな家にはもういたくない」と言って新しい家族を探しに家を去るように仕向けることである。

これが「制度設計」の根幹部分である。
それができれば親としての仕事は完了。

なまじ親のものわかりがよく、愛情深く、理解も行き届いているせいで、子どもがいつまでも家から出たがらない状態はむしろ人類学的には「機能不全」なのである。

当今の家族論は、家族の存立のそもそもの目的を見誤っているのではないか。
「イニシエーションの年齢に達したら、子どもを家から出して、新たな家族を作るように仕向けること」、それだけが親の仕事である。
自余のことは副次的なことにすぎない。


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