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第2部 べてるの家はスローのふるさと から |
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《向:強制徴用は、明治から終戦直後まで続いたんじゃないでしょうか。私は大学生のころ、鎖塚の発掘運動をしていた北見の高校の先生で、民間の歴史学者だった小池喜孝さんの話を聞いたことがあります。小池喜孝さんの呼びかけで、発掘のために全国から若い人たちが集まり、北海道の開拓の歴史の裏面にふれました。 |
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私は10年程前まで、ジンベクラスと称した西アフリカのタイコの教室を、北海道のあちこちでやっていました。一番多かった時には、小樽、帯広、釧路、浦河、旭川、滝川で月に2回くらいずつやった上、札幌では手稲区、北区、白石区、厚別区、等などいろんなところへ行ってましたから、家には寝に帰るだけのような生活でした。 |
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月曜日、コロッケを作りました。 |
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●お通夜の席で、川村先生や向谷地さんは、ランディさんのお父さまのことを大絶賛してくれたそうです。 |


