さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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 この本には、ランディさんの介護体験が書かれていました。
 父親はアルコール依存症で、そのため家族は常に暴力暴言破壊行動などに脅かされてきました。兄は最後まで父親を憎しみ続けた末に自ら命を絶ち、母親も他界した後、唯一の肉親として父親の面倒をみることになったランディさんでした。

 彼女もずっと父親を憎み続け、そこから離れたいと願い、それを実現して自分の家族を持ち平穏な日々を過ごしていたのですが、再び父親に振りまわされる生活になってしまいます。

 病の果てに痴ほう行動を繰り返したりする父親をホスピスに入所させ、まだ幼い娘とともにホスピスで共に過ごすことを選択し、最後まで看取ることになったそのプロセスは、ランディさんの心の葛藤が伝わってきます。

 ランディさんは、父親ががんとわかったものの転院する病院が見つからず、切羽詰まった末に、旧知の仲である「浦河べてるの家」のソーシャルワーカーである向谷地生良さんと、精神科医の川村敏明先生に電話をかけて泣きついたことがあるそうです。そして、「アルコール依存症にかけてはプロ中のプロである二人の助言は、ずっと私の心の支えだった」とのことでした。以下、本文より(p.200)ー

《向谷地さんが「田口ランディを作ったお父さんに会ってみたい」と言ってくれた時は、正直、大泣きした。この温かい励ましの言葉は今も心に残る。父と私の40年にも及ぶ葛藤をすべてひっくり返し、春の日の光で照らしてくれるような、そんな言葉だと思った。》

●私はランディさんにとても共感しながらこの本を読み進めました。私の境遇に共通している部分が大きかったからです。

 私の父親はアルコール依存症というわけではありませんでしたから、ランディさんのお父様のような振る舞いで家族をめちゃくちゃにしたわけではありませんが、さまざまな理由から私は父親のことを憎んでいました。たぶん中学生くらいの頃からでしょう。

 父親のもとを早く離れてしまいたくて、北海道から出ることを選択しました。しかし、父親は定年を迎える頃には痴ほうの症状を見せ始め、「問題行動」が頻出するようになってからは、私がUターンして面倒をみることなしに父親は暮らせないような状況になりました。母親はすでに離婚し、弟は結婚して家庭を持ち多忙な仕事に追われていたので、独り身だった私が見なければどうしようもなかったのです。

 せっかく父親のもとを離れて東京暮らしを謳歌していたのに、結局は自分が父親の介護を引き受けなければいけないという人生の不条理?を恨めしく思いましたが、別れた母親を恨む気持ちには不思議となりませんでした。別れる後押しをしたのは当の私であり私たち兄弟だったのですから。

 悩んだ末にUターンして介護生活に入り、さまざまな葛藤を経て父親を特別養護老人ホームへ入所させ、その後父親は逝きました。父親が逝った後私はご縁のあった女性といっしょになり、子どもに恵まれ、仕事に恵まれ、今を生きています。

 あれだけ憎み、嫌悪し、「父親のように生きることだけはしたくない」という思いを胸に生きて来た私でした。でも今は、そんな父親がいとおしいとさえ思えます。すべてを嫌っていた父親なのですがー。

 「父親への反発心が私をここまで育ててくれた」ことは、まぎれもない事実なのだと、ランディさんの本を読んであらためて思いました。まさに、「私を作ったお父さん」なのです。

 どんな父親でもいいのだな、と思います。そのようにしか生きられないんですから。ボケて醜態を晒し続けた父親は、やはり偉大なのです。よくぞもがき苦しみながらも生き続けてくれたことと思います。

 子どもはどんな親からだって、育ちたいように育つものなのでしょう。それぞれの環境により、ひとり一人別の存在としての個性が備わるのだと感じます。

第6章 アナクロな教室 から
p.98 メディア学 より

《偏差値といい市販テストといい学業成績に応じた就職配分先といい、そもそも教科書といい授業内容といい、この百二十年間で日本の先生は徹底的に「受け身」になってしまったのではないか。常に指摘されてきた「画一化」という問題よりも、この教え手の「受け身」化のほうが実は深刻な危機を内包している。現実世界の急激な変容にもかかわらず、毎年毎年、同じような教科書で同じような内容を教え続けるという営みは、確かに特殊な職能であると認めないわけにはいかない。しかしだからといって、受験という歯車に勢いよく乗るあまり、児童生徒たちの知のあり方までも徹底的に受け身化させてよい、という話にはならないはずである。
 
 学校を巡るさまざまなメディアに対して能動的なリテラシーを涵養する、というのは、二つの側面がある。一つは、外部メディア(テレビ、新聞、映像、音楽など)の単なる受け手ではなく、作り手に身を擬し、メディアの情報に振り回される事態がいかに愚かなことかを学ぶ。活字と同様、映像でも「読み書き」を教えないのは理不尽であった。パソコンを駆使する教育も、むろんこの視点の延長線上にある。

 もう一つの側面は、学校の内部メディア(校内放送や壁新聞もそうだが、それより教室や図書館や授業や試験を「学校メディア」と把握することのほうがずっと肝要だ)のリテラシーを研鑽する。つまり、教室の中で級友をどう説得するか、いかに自分を表現するか、どのように調べものをし、情報整理をすればよいのか、そしてまた試験で点数をアップするためにも試験をいうメディアを徹底的に解剖する必要もあるだろう。
 
 こうしたメディア・リテラシーを学校がほとんど放棄してきたゆえに、教師と生徒の受動化が加速されてきたのではなかったか。日本の教室がアナクロである最大の理由は、施設の貧困ゆえではなく、世間とのズレゆえでさえなく、いまだ「読む」「書き写す」「計算する」「覚える」「聞く」という受信法にのみ拘泥されて、「話す」「調べる」「表現する」という発信法を欠落させてきたためではなかったか。》

●らくだメソッドの基本は「教えないこと」にあります。それを可能にした教材があるからこそなのですが、なぜ「教えない」を重視しているかというと、「自ら学ぶ」子どもを育てたいからです。

 教えられることに慣れ、言われたことだけをやっていた子どもは、らくだ教材でまだやったことがないところに進むと、「学校で教えられていないからできない」と言ってきます。

 らくだ教材を就学前からやってきた子どもは、そのようなことはありません。常に「教えられていないこと」をやり続けているのですから。

 人生は初体験の連続、教えられていないことをいかに自らの力でやり遂げるか、ということにこそ醍醐味があると私は思っていますが、今の世の中、社会に出て壁にぶつかると、その先に進めなくなる若者が増大しています。

 養老孟司さんも、「教えないことが大事、だから自分は教えない」と書かれていたのを読んだことがあります。
 受け身で言われたことをただするのではなく、自ら学ぶことによってその可能性を最大限に発揮できるような子どもを育てるにはどうしたらいいのか、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

 「話す」「調べる」「表現する」という発信法が必要という考えも、その通りだと思います。

●理数系ができない学生をAO入試で入学させる工業大学ー

 私の知人の子どもさんは、理数系がほとんどできないのにも関わらず、(なぜか?)本人の希望もあって、AO入試により工業系の大学にこの春入ったそうです。

 そして入学してすぐ、算数理科などの高校教材的なものをドッと渡され、「これを学習してくるように」と大学側から言われたそうです。でも本人はこれをやる気にはなかなかなっていないそうです…。

 私はこの話を聞いて目が点になりました‥。こんなことが現実に大学で行われていいのだろうかーと。大学側はとにかく定員を少しでも埋めればいいのでしょうか。学生側は何ら勉強もせず(かどうかは定かではありませんが)、とにかく大学に入ってしまえばいいのでしょうか。

 大学側は、入学当初にとにかく高校までの基礎的な学習をやり直させて、その上でしっかりした教育を施していこうと考えているのだろう、と受け取りたいとは思いますが、大学に入学して解放された気分でいる今の日本の若者が、これに応えていけるようには思えません…。

●らくだ教材を教養課程に導入し、それを単位としている大学ー

 就職試験の計算問題もままならない学生を何とかしたいということから始められたようですが、小学校の算数の計算からやり直すことによって、学生の「学ぶ力」を引き出して「学ぶ楽しさ」を感じてもらえるような授業を行っていることが、その授業を受け持っているらくだの指導者の話から伝わってきています。

●現実に即した教育を行っている大学も、実は存在しているー

 「カンブリア宮殿」で以前紹介されていた、秋田の「国際教養大学」のことを知って私はとても驚きました。
以下、ネットにまとめられていた報告からです(http://togetter.com/li/11754)。
                         *
2010年3月29日放送のテレビ東京「カンブリア宮殿」で国際教養大学がでたまとめです。

基本データ
・秋田県秋田市のど田舎にあります
・2004年に中嶋嶺雄さんと氏の知人で開学
・1年目は全員入寮
・1学年100人程度
・授業はすべて英語
・図書館は24時間
・1年の留学は必修
・2週間のインターンシップも必修
・4年で卒業出来ない人は約50%
・大手企業に就職
・就職率もほぼ100%

初めてtogetterでまとめるので読みづらいかもしれませんがご了承ください。
編集は「だれでも編集」にしておくので、気になる部分は調整してもらって構いません。

ピックアップの基準は番組を視聴した皆さんが「どう感じたか」です。
すこしでも知名度があがりますように。
                          *
 ここの大学の講師陣の半数位は外国人の方で、会議もすべて英語だそうです。
 就職率100パーセントと謳ってますが、ここの卒業生を採用したいと、企業側から説明会に出向いて来たりしていました。実際、ここの卒業生を採用したら、即戦力として任せられるくらいで、他の大学の卒業生との能力の違いが明白だったことから、毎年ここから採用したいと出向いて来ている大手企業もあるのだそうです。

 授業内容も紹介されていましたが、やはり、グループワークや自分の考えをしっかり述べることを主体としたものでした。それも英語なのですからー。

 しかし、入学して来る学生はすべて英語が得意なわけではないようでした。紹介されていた一人は、大学に入ってから英語力を伸ばすことにより、授業に対応できていました。ですから、英語ができるできないの前に、「学ぶ意欲」や「自分の考えをまとめられる力」を重視しているのではないかと感じました。

 これまでのような基礎研究や母国語でじっくりと学ぶことのできる大学はもちろん必要ですが、それと同時に、経済状況の変化にも柔軟に対応していけるような人材を輩出できる、国際教養大学のような大学も、都道府県に一つくらいずつあっていいのではないかと思います。
 そしてそれこそが、学生不足に悩む大学の本当の意味での生き残り策にもなりうるでしょう。

 ここ一週間ほど、報告書書きに専念していました。「DV被害でシェルターに避難したご家庭の子どもたちへの学習支援」についての報告書です。シェルターネット事務局の方から依頼があったのでお引き受けしました。

 私はブログ上でこのことに関して記したりしてきましたので、それらを統合して書けば私にとっても意義のあるものになると思って引き受けましたが、これまでの経緯から現在の状況、そして今後へ向けてのことなどをまとめると、さすがに結構大変な作業となりました。

 これから事務局の方に目を通していただいた上で、書きあらためていかなければいけないとは思いますが、とりあえずはホッと一息つけました。

●カンブリア宮殿

 毎週月曜日夜のテレビ番組「カンブリア宮殿」を、私は楽しみにしています。村上龍がホストで、毎週各界の著名な方をゲストに迎えてその方のやっていることを紹介し、話を聞く番組です。
 
 今週月曜の放送は、不況にも関わらず業績を伸ばしている企業の「人材教育」に関するもので、とても興味深いものでした。取り上げられた企業は、マクドナルド、餃子の王将、ニトリ、ユニクロ、日産、等でした。

 どの企業も人材教育の重要性を認識し、それに賭けていることが伝わってきます。
 マクドナルドは新入社員にグループワーク式の研修をしていました。自分の頭で考え、それを伝え、よりよい方策を導きだすことを主眼に置いていたように思います。

 ユニクロの柳内社長の考えは強烈でした。「これからの企業社員は、ひとり一人が‘自営業者’だという認識でいてもらわないといけない」と言ってのけたのですから。これには私もびっくりでした。そこまで考えているのか…と。

 ‘自営業者’たれ、ということは、人から言われてやるのではなく、やるべきことは自分で見つけ自分で解決法を見出さなければならないと言っているようなものではありませんか。それに加えて、企業社員とはいえ、生涯その企業に属するのではなく、独立できるようなスキルを持てとも受け取れます。

 どの企業も、単に知識が詰め込まれただけのような社員を雇用する気は毛頭ないということが伝わってきました。厳しい時代情勢の中で、これまでのような単なる働きばちのようになる学生を採る気もないのです。そんなことをしていたら、企業の「明日」はないのですから。

 私は、業績好調な企業はすばらしい等ということを言いたいわけではありません。ただ今の時代に業績を上げている背景にあるものを学ぶ必要はあるのではないか、と思っているのです。現実として、資本主義社会において、多くの人は企業に就職するというかたちで生きていくわけですし。

●フィンランドの教育には企業の意思が反映されている
          ー『若き友人たちへー筑紫哲也ラスト・メッセージ』(集英社新書)より

本書よりー
《フィンランドには、ノキアという携帯電話の分野では世界第1位の企業がありますが、この企業の意思が教育のなかに反映されているのも事実です。ノキア自身もすごく積極的に教育現場にいろんな貢献をしていますが、見方によってはノキアにふさわしい人材を生産しているだけではないかという批判もできます。でもそれで、アメリカを抜いて国際競争力トップになる。国が生き延びるための国家目標になっているという点では、それを批判するかどうかは別にして、国のあり方の一つだろうと思うんです。》

 この本に関しては後日また紹介したいと思いますので、今回はノキアの部分に関してのみ抜粋させていただきましたが、柳内社長が必要としている人材も、ノキアと共通しているのではないかと感じます。それはすなわち、今の時代に最も必要としている人材の養成をしているということにもなるのでしょう。

●そして日本の教育はー

 国の将来を担えるような人材を育てることとかけ離れた教育をしているとしか思えません。‘自営業者’たりうるような、自らの頭で考えて未開拓の分野を発掘するようなたくましい人材が育つとは思われません。

 高等教育機関を経た先に待っている企業の考え方がドラスティックに変わっているのに、それに応え得るような教育を行っていないというのは、いったいどういうことなんでしょう。この国を動かしている人たちは、本当の意味でのこの国の将来を考えていないとしか私には思えません。

 「送り迎え」をしなくていい、という時が本当にやってきたということに感慨深い思いを抱いている私…。ついつい、「今日のお迎え時間は?」と連れ合いに聞きそうになってしまいます。赤ちゃんのときからどこへ行くにも「送り迎え」があって当然で、それをまず考えるという生活習慣だったのでー。

 あのボンズ(ウチの息子のことですー)がわりと遠くにある小学校に親の付き添いなしで登下校しているという事実に、「子どもって本当に成長するんだな」という思いでいっぱいになります。そして、「一人歩き」して着実に親の庇護のもとを離れていっているということに対して、一抹の寂しさを感じます・・・。

 現在中3の娘とは、連れ合いといっしょになった小学1年の時点から暮らし始めていますから、このような思いは抱かなかったのでしょう。ボンズに関しては、アトピー、喘息、と数々の苦難?を乗り越えてきた上でのことですので、なんともいえない思いがあるのだとも思います。

 もっとも、1年以上前に、小学校と同じくらいの距離にあるスーパーマーケットから一人でさっさと帰って来て、家の玄関が空いていなかったので家の前で遊んでいたら、隣のお宅で預かってもらっていたーという武勇伝?があるボンズですから、道を覚えてしまうのは朝飯前のことなのでしょう。そのときは探しまわった末に、まさかと思って家に戻ってみたら帰り着いていたので驚きだったのでした。

 学校も児童会館も楽しそうに行っている息子を見ていると、「オレを見くびるなよ〜」と、小さな、でも一年前からはずっと大きくたくましくなった体で訴えているような気もします。

 学校も児童会館も当然「お昼寝」がありませんから、喘息の心配がないのも、本当にありがたいことです。もっとも喘息の要因はお昼寝布団だけではありませんから、この先また新しく気をつけていかなければならないことも出てくるでしょう。

 でもとりあえず、喘息発作を起こすことなく新しい環境に適応していっている息子の姿に、心の底から安堵しているこの頃です。


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