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この本は、実際に今「学校がアホらしい」と思っているような中高生の若者向けに書かれていましたから、文章も短くとても読みやすかったです。ぜひ、学校に行く気力の湧かないような子どもたちに読んでもらいたいなぁ、と思います。もちろん大人が読んでも、「目からウロコ」のような文章に出合うと思います。
【先生はつまらない】よりー
《日本の学校でいま教えている内容は、一つの例外もなく、答えが決まっている。社会に出たら、答えの出ない問題ばかりなのに。いやいや、小学校や中学校に通う子どもだって、皆いろいろ悩んでいる。その悩みに答えてくれるような授業はない。
学校の先生になる人はおもしろみのない人間だ、などと言っているのではなく、現代日本の学校は構造的に、おもしろいこと(つまり本当の謎解きや解決)に挑戦できない仕組みになっている、という意味である。
「でもしか」時代には、プロ(絵描き、小説家、スポーツ選手、歴史学者、科学者など)になりきれなかった落ちこぼれが、学校の先生になった。そういう屈折した暇な人たちが、子どもにとって、おもしろくないわけがない。最初から優秀なレッスンプロを目標にしてきた人は、未知の世界に挑戦する習慣がないので、本質的につまらないのである。
だから、キミたち自身が、おもしろい人間になろう》
●「未知の世界に挑戦する習慣がないので、本質的につまらない」という指摘、そしてその言葉は、鋭く胸に突き刺さる感じがします。
なるほどーと、深く感じ入ってしまいます。日垣さんの思考回路と感覚に敬礼したい気分?になりました。
でも、ということは、「つまらなくない=おもしろい」先生に出会ったらラッキーと思えばいいんですね。その確率は低いのでしょうがー。
【いじめをめぐる誤解】よりー
《いじめはコミュニケーション不全であり自治の問題である。大人社会にも、地球上のどこにでもある。良いことではないが、良いことばかりで社会を塗り固めようとして「地上の楽園」ソビエトや北朝鮮をつくってしまった。無菌室に子どもを押し込めれば幸せになるわけではない。滑らかな会話と美しい挨拶しか存在しないコミュニティは不気味だ。
他方、犯罪としてのいじめは、即刻110番すべきなのである。恐喝、強要、詐欺、窃盗、強盗、暴行、傷害、強制猥褻、強姦、監禁、放火、殺人は、学校の中で起きても教育問題ではない。犯罪である。
どこに線を引けばいいのか?
簡単なことだ。
通報に値するかどうか。それだけを子どもたち自身に判断させればいい。
「とおせんぼをされた」では警察は動かない。「3万円を脅し取られた」なら必ず動いてくれる。
先頃、イタリアのトリノ市でも暴行によるいじめが発覚し、すぐに当局が動いて加害生徒らの身柄を拘束した。日本のいじめ騒動には、何が最も欠落しているのか。
教育委員会や学校や親が、日頃「いじめはない」という間違った認識に立っていながら(ゆえに)、自殺騒動が起きると「いじめは絶対あってはならない」と言い募る。要するに、彼らは二つの極端な在り方しか想定できていない。無菌室か、さもなくば、いじめ自殺の元凶。そこには自治の概念がスッポリ抜けている。
ボローニャやパリなどヨーロッパでは11世紀から大学が運営されているが、日本の大学は19世紀の終盤に誕生した。日本では戦後いきなり「教授会の自治が重要だ」となり、自治と警察の排除を同一視してしまった。高校以下の学校にも長く警察が入らなかったのは、特殊日本的な現象にすぎないのである》
●これは他の誰からも聞いたことのないような「いじめとの共存、あるいは解決法」で、「目からウロコ」でした。しかし、必要十分な知識があった上で冷静に考えれば行き着くところのことなのかもしれません。
上記の日垣さんの見解以上のものがないとしたら、それに向けて文部科学省を中心に動き出すこと以外にないでしょう。
しかしこういった見解、どうやって文部科学省に伝えていけばいいのかー。日垣さんが「教育再生○○会議」みたいなものに参加するのが一番でしょうけれど…。
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