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今回は、『学問のすゝめ』から離れ、『福沢諭吉教育論集』(山住正己編・岩波文庫)をテキストに、「教育の目的」の章を読み進めました。
《教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。そのこれを導くは何のためにするやと尋ぬれば、人類をして至大の幸福を得せしめんがためなり。その至大の幸福とは何ぞや。ここに文字の義を細かに論ぜずして民間普通の語を用うれば、天下泰平・家内安全、すなわちこれなり》
●その後の教育に多大な影響を与えた福澤の思想ー
村山先生は、資料として、「學生序文」、「教育に関する勅語」、「小学校令」、「国民学校令」、教育基本法(改正前・後)、日本国憲法第十三条・第十二条・第二十六条を用意してくださり、それらと福澤との関連を説明されました。
それによると、ここでいう「天下泰平・家内安全」は、教育基本法にある「世界の平和と人類の福祉」にあたるとのことです。
《ゆえに天下泰平・家内安全の快楽も、これを身に享(う)くる人の心身発達して、その働を高尚の域にすすむるときは、古代の平安は今世の苦痛不快たることあるべし。余輩(わがはい)のいわゆる平安とは、精神も形体もともに高尚に達して、この高尚なる心身に応じて平安なるものを平安と名づくるなり。
すなわちこの平安を目的とするところの教育の旨は、人生の働の一ヵ条をも空しゅうせずして快楽を得んとするにあり。足るを知るを勧むるにあらず(ほどほどでがまんしなさい)、足らざるを知りてこれを足すの道を求むるにあるものなり》
●「高尚」とは?
ここに「高尚」という言葉が出てきますが、村山先生によると、この言葉も福澤の思想を表すキーワードとのことでした。
高尚(英語ではdecency)とは、品格ある人間になるということですが、それこそが「人類至大の幸福」につながるということです。
ここらへんは私の理解した中で説明するのは難しいのですが、「一身独立」と「交際」の中で「高尚」の域に達し、それは「人類至大の幸福」である…と、これまで学んだ言葉を使うとなるのかもしれません。
崇高な理想を追求していた人だったのかと思うような、言葉の数々ーかもしれませんが、こと教育に携わる人間であれば、このくらいのことを志向する人間であっていいのではないか、と私は感じました。
《すでに交際あるときは、その交わるところの者は高尚にして美ならんことを欲するもまた人情なり》
《戸外の社会に交わりてその社会の美を観るもまた、我が精神の情を慰めて愉快を覚えしむるの術なり》
●「美」・・・
「高尚にして美ならん」「その社会の美を観る」、等など、「美」という概念を大事にしているのも福澤らしいとのことでした。その意味するところをもっと知りたいと感じます。
《すなわち形体の安楽を売りて精神の愉快を買うものなり。人生の発達、そのまったきを得て、形体の安楽にかねて精神の愉快を重んずるの日にいたり、はじめて人類至大の幸福を見るべきなり》
《教育の旨は、形体と精神と両(ふたつ)ながらこれを導きて、その働の極度にいたらしむるにあり。ゆえに世に害他利身の輩あるは、教育の未(いま)だあまねからずして(行き届いていない)、人生の未だ発達せざるものなれども、平安の主義はおのずからその間に行われて故障を見ざるものと知るべし》
●ここでいう「形体の安楽」とは「物質的便利さに恵まれている」ことであり、「愉快」とは、英語の humor に近いものということです。
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