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○姜尚中(カンサンジュン)さんの言葉と通ずるー?
最近読んだ姜尚中さんの著書に、とても印象に残っているところがあったのですが、私はその言葉と福澤のいう「高尚」とがつながっているように感じます。参考までに以下に紹介しておきます。
【さまざまなことを受け入れ、人格を広くしていったとき、
快・不快や不確実性に左右されない幸せがみえてきます】
《自分ではいちばん安全パイだと思っていた人と結婚しても、大手証券界者や大手銀行が倒産したように、突然、夫が失職することだってあります。
自分が外側に求めた安全策が機能しなくなったとき、さまざまなものを受け入れながら、人格形成の困難なプロセスをくぐり抜けてきた人と、そうでない人とでは、対応に自ずから違いが出てくるはずです。》
《結局、先にも述べたように、快・不快に左右されない幸せを手に入れるには、自分がいろいろなものを受け入れていくという形で、人間のパーソナリティを少しずつ強くしていかなければならないのです。そうすることによって、人間は初めて不確実性に伴う不安というものを抱きしめて生きていけるのではないかと思っています。》
【“足ることを知るの哲学”には、過剰なものには手を出さない、
という先人の知恵がありました】
《「足るを知らざる者は富むといえども貧し」という言葉がありますね。足ることを知る、というのは、日本の社会では幸せであることの秘訣みたいにいわれています。これはいってみれば、“ちょぼちょぼでいい”ということです。私はこのちょぼちょぼの哲学はたしかにあると思います。》
《このちょぼちょぼの哲学には過剰なものには手を出さないというポリシーがあります。または、あるボーダーを越えないという、先人の知恵があったと思います。私たちの欲望にはキリがないから、行き過ぎはないようにそこそこに限界を設けようと。かつて身分社会だったときには、その身分の枠の中で幸せを求めることが分相応の生き方だったからです。》
【自分の幸せと社会を切り離して考えることは、じつはすごく非現実的だと思っています】
《つまり私にいわせると、他者に関心を持たないで、自分の幸せを社会や世界と切り離して考えること自体が、じつはものすごく非現実的です。世界と切り離された幸せなんてディズニーランドのようなものです。一歩外に出れば否応なしに現実が待っています。
結局、幸福のリアリズムとは世界の物事に関心を持ち、それと自分がどうつながっているのかを知ることにあると思う。そう考えると、自ずから他者との交わりというものが広がっていくと思うし、広がらざるを得ないと思うのです。
その広がりの中から、きっと幸せの方法を見つけ出すことができるのではないでしょうか》
『ニッポン・サバイバルー不確かな時代を生き抜く10のヒント』
(姜尚中ーカンサンジュン・集英社新書)
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