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《【クオリアという鍵】より
私の日々の研究は、脳と心の関係を、クオリアから読み解くことである。
「クオリア」(qualia 単数形はquale)とはラテン語で、「質」や「状態」を表す言葉だ。脳の中で起きる物理的な過程はすべて数量化できるのに対し、クオリアは、数量化できない。ここに、クオリアの本質がある。
そもそも、この「数量化できない」というクオリアの特質自体が、「言葉や理論では語り得ない」という音楽の本質と通じているともいえる。
【音楽のクオリア】より
音楽のクオリアは、自由である。感情の「無限定性」を最も生かした芸術が音楽である、と私は思っている。
音楽のクオリアは、〈私〉の脳内に「予測不可能な大きな穴」を開ける。
ある音楽体験において、どれだけ文字や数字を尽くしても、実際になにが起きているのかは、結局、説明できない。だが、もっともらしい解説や分析では把握できない、音楽の中で微笑む「なにか」のクオリアによって、音楽が始まる前には全く存在しなかった感情や情動が〈私〉の中に生まれるということだけは、わかる。
【たった一度の出会いを求めて】より
コンサートは、消えていく。その事実に呆然とする。どうしようもないとわかっていてもなお、悲しい。だが、その儚さもまた音楽の本質の一つではないだろうか。それはCDが発明されたあとも変わらない。
【音楽のように生きる】より
音楽には、可能性が無限にある。なにを感じられるかは、人生とともに変わる。どのような経験をどれくらい積んでいるかによって、変わっていく。
この音楽から、いろいろなことを感じられるようになりたい。いろいろなものが見えてくるようになりたい。それが私の、明日への希望である。》
●「語り得ない」とは言いつつ、茂木さんの発する言葉は、音楽への深い思いを私たちに伝え、さらに音楽そのものの持つ新たな意味を、私たちそれぞれに考えさせてくれます。それは私にとってとても新鮮です。
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