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《【人生に秘められたリズム】より
私にとって音楽とは、このように感じたり考えたりするものである。より深く感じてより賢く生きる「道」である。
考えることにおいて重要なのは、「リズム」だと思っている。物事を上手に考えながら、思考を前へ前へと進めていく時、欠かせない同伴者は、リズムなのだ。それも、自分の中から生まれるリズムである。
脳内がいい音楽で満ちている時は、泉のように発想が湧いてくる。すると、一日の中の思索の時間において、いかに自分の内側にうまく音楽を鳴り響かせるか、というのが今の私の最たる興味かもしれない。
端的にいって、頭がいい人とは、脳の中にいい音楽が流れている人だと思う。そして私は、シューベルトやモーツァルト、ベートーヴェンやワーグナーといった作曲家の作品を聴く度に、偉大な音楽が生む濃密な時間の流れに匹敵するような密度でものを考えたいと心底思う。
脳内に音楽を鳴り響かせるのは、なにも思索の時間に限ったことではない。日々の生活におけるあらゆる場面に、リズムはさりげなく入り込んでいる。
人と話す時の間合いのとり方、話題の変え方、そして打ち切り方に至るまで、リズム一つで全体の印象はがらりと変わる。たとえば相手に重要な話を切り出すときのタイミングとは、相手とのリズムをうまくつかめるか、つかめないかという問題なのだ。その時私たちは無意識のうちに、音のない音楽に耳をすましているのである。
詮ずるところ、こうした感覚を研ぎすまして生きることが、大きな意味では生命原理、生命哲学に準じて生きるということにつながるのではないか。近代においては、この原理が案外見落とされてきたように思えてならない。
結局、音楽というものは、音を聴いたり演奏したりする時のみにあるのではなく、生活の隅々にまで存在しているということに気づかされる。「人生のすべてが音楽である」という気づき(アウエアネス)を持つことが、生きていく上で大事なのだ。》
●生きていく上で「リズム」が重要であることは、私もずっと感じてきたことです。
私は東京時代に「生音楽三昧」だったことは先に記しましたが、中でも特に「打楽器」に魅せられて、ありとあらゆる打楽器系の音楽会に出かけていきました。そしてとうとう、ジンベという西アフリカのタイコに衝撃を受け、自分でも学ぶことになったのは、私の中ではある意味必然だったように感じています。
思えば、ビートルズから目覚めた私の音楽遍歴(というほどのものではありませんがー)の中で、特に体で感じるビート(beat)の心地よさがあるかどうかということは、とても重要なものでした。音楽を聴いて自然に体が動いていくようなビート感のある音楽を求めていきました。それはロックンロール的なものに顕著だったでしょう。
その後、ビート感とはまた違った、「グルーヴ感」のある音楽の存在に気がつき、それはロックやポップスなどのいわゆるメジャーな音楽の中ではなく、アジアやアフリカやさまざまな世界の民族の中に根づいていることがわかってきました。
最初はもちろん、メジャーな音楽の中でそのようなものを取り上げた曲を聴くことから始まったわけですが(例えばスティーヴィー・ワンダー、ビートルズのインド音楽系もの、等など)、たまたまバブルの東京に来たことによって、「生の民族音楽」を聴く機会に恵まれ、さらにそれらへの関心は高まっていきました。
全く言葉がわからなくても心を打つ音楽の存在、そしてそれに実際に出会えた時の喜びは、まさに何ものにも代え難いものでした。
時にそれらのリズムの渦の中で共に踊り、笑顔で交わす見知らぬ人とのコミュニケーションはまた、最高の感動に浸れる場となりました。
人間が生きていく上で、「自分なりのリズム」が確立されているかどうかは、本当に大切なことだと思います。気がつくと自分の中には、いつも何らかのリズムが流れていることを感じます。
直接音楽につながっていなくても、生活のリズムというのはあると思いますが、「自分なりのリズム」を身につけるには、小さい頃からの生活習慣が大きく関わっているのではないかと私は思います。それがあるかどうかで、生きやすさ、生きにくさに関わってくるものだと思うのですがー。
「端的にいって、頭がいい人とは、脳の中にいい音楽が流れている人だと思う」という茂木さんの言葉は衝撃です。「え〜っ、そうなの〜?」という驚きでいっぱいです。でもそうなのかもしれないなぁ、とも感じます。このことを頭に入れて物事を見ていくと、今までと違った何かが見えてくるかもしれません。
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