|
《【特別対談「音楽の力」ールネ・マルタン×茂木健一郎】より
マルタン:最近読んだ記事で、とても興味を惹かれるものがありました。それは、ある研究者による、アフリカの貧しい村についての報告でした。
その村には、ストレスなどの精神的疾患が、いっさい存在していないというのです。なぜかといえば、彼らは皆一緒に生活をしている。誰かが弱れば、全員でその人を助ける。お金はない。でも、非常に密接な自然とのかかわりがある。そして、芸術の存在がとても顕著だというのです。ダンスや音楽をへだたりなく生活に取り入れていて、それらが体に与える影響を暮らしの一部にしているそうです。
このような事実からも、芸術は政治的になにか働きかけができる、そういう意味での武器になり得ると思うのです。
●上記のことは、まさに私が20年来続けているジンベ&ダンスの世界です。
人が生まれてから死ぬまで、生老病死、成長、結婚、誕生、それに四季折々、それぞれの節目節目で、ジンベが奏でられダンスが踊られる、そんな世界がこの世にまだ存在しています。
そして上記にあるようなヒーリングのためのリズムと踊りもあれば、お祝いの時にみんなで楽しむリズムもあります。
私はそんな世界を知って、アフリカの豊かな文化を感じました。日常生活の傍らに音楽、そして踊りがある、そのような文化をきっと日本でも昔は持っていたことでしょう。文明が進展すると、産業としての音楽は発達しても、生活の傍らの身近な音楽は衰退していってしまうのでしょうか。
ジンベに出会う前に私は、タイのイサーン(東北部:一番貧しいと言われた地域)の村に滞在した時に、昼は農作業、夜は村人が奏でる音楽で踊り、韓国の農村でも農楽(サムルノリ)で踊りと、同じような豊かな文化を体験しました。バリ島には行ってませんが、同じ様な豊かな文化が根づいていることは、広く知られるようになりました。
私はアジア各地でそれらのことを体験し、自分でも「日常生活の傍らで音楽を奏で笑顔を交わし合うような暮らし」ができないかと思っていたところに、ジンベを間近に体験し、「これだ!」と思ったのでした。
そんなことを思い出させてくれたマルタンさんの言葉でした。
《【終】より
私たちが音楽を愛するのは、それが生命のあり方に似ているからだろう。ある場所と時間のうちにしかそれは成立しない。片時も留まることなく、常に変化し続ける。時には、ひそやかに伏流して、やがて大きくふくらんでいく。
そして、最後の響きが鳴り終える時に、音楽というかけがえのない体験は終わりを迎える。私たちの命も、同じである。いつかは終わりがくると判っているからこそ、その途中の道筋で出会う美しいハーモニーや、軽やかなリズムが愛おしいのである。》
●「いつかは終わりがくると判っているからこそ愛おしい」…なるほど、音楽は生命そのものと言われればそうですね、茂木さんのおっしゃることはその通りだと思います。
コンサートは始まってしまえば、終わりが来るのはあっという間。でもだからこそ、その一瞬一瞬に五感を集中でき、それは人間に眠っている何かを引き起こす、そんな気がしてきました。
五感を震わせる生の音楽に、また会いに行きたいな。
|