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《こうした前提を踏まえ、鑑定書は少年の行動の謎を解いていく。以下に引用する。
〈父親を殺そうとしたこと
「今度ウソをついたら殺す」と父親からしきりに言われていた。そして少年は英語のテストは難しかったとウソをつき、さらに自分の得点が平均点より7点上であるとウソをついていた。少年の字義通り性によって、少年は本当に殺されると感じていたと考えられる。これは日頃から受けている暴力とは次元を異にしている。またこういう場合、広汎性発達障害では、殺される前に殺さなければならないと考える傾向がある。〉
「字義通り性」もまた耳慣れない言葉だが、簡単に言えば「言葉をそのまま受け取る」という意味だ。広汎性発達障害の特徴として、「冗談」や「悪ふざけ」、「たとえ話」をそのままの意味に受け取ってしまい、コミュニケーションに混乱を生じることが挙げられる》
《裁判長も全面的に採用したように、鑑定書の内容は説得力がある。
だが、検察官や「反人権弁護士」のマスコミを中心に、広汎性発達障害の概念そのものに否定的な人々はまだまだいる。そういった人がこの鑑定書を読むと、「こじつけ」ということになるだろう。「こんなことは、普通の少年でもあることだ」と言って。
私は人権派ではないし、一部の弁護士が広汎性発達障害を「心神衰弱」の理由にして、責任能力を回避しようとする動きには否定的だ。
だが、数々の少年事件を取材してきて、いくつかの事件の犯人に広汎性発達障害の特徴を見出したことは、紛れもない事実である。佐世保で小学校の校舎内で同級生を殺害した小6の少女(医療少年院送致)もそうだった。かつて実母を殺害し、少年院を出所した後に大阪で見知らぬ姉妹を虐殺した山地悠紀夫(死刑確定)もそうだ。
広汎性発達障害という概念を広めるべきだと私が思うのは、彼ら彼女らは環境的な要因にあまりにも左右されやすい、ということだ。逆に言えば、周囲の人間が障害に理解を示すことで、対人関係がスムーズに進むこともある。そのためには現在よりも障害への社会的認知を高める必要があるだろう。
誤解のないように言っておくが、広汎性発達障害のほとんどの人は、けっして攻撃的ではなく、むしろイジメや偏見と闘いながら地道に懸命に生きている。広汎性発達障害がクローズアップされるのは、その犯行形態が極めて異常なケースがあるからだ。
奈良の少年もそうだろう。通常の感覚では理解しがたい数々の行動は、この特質によって引き起こされたと考えるのが妥当のように思える。
しかし、それでもなお、私の心中のざわめきは消えない。
少年は本当に、ポツンと置いてあったからという理由だけで、自転車にまたがったのだろうか。より遠くへ、より速く、逃げたかったのではなかったのか。
嫌な家から。嫌な父親から。
少年の本当の気持ちを知ろうとするのは、しょせん空しい試みなのかー。
一つだけ言えることがあるとすれば、少年はあまりに孤独だった》
●草薙厚子さんの考えに共感します。そして、事件の遠因、いや、大きな要因に、「障害」の問題があり、それは今回に限ったことではなく、少年少女に関わる事件の多くに関与している可能性があると知ることができ、この本を読むことができて本当によかったと思っています。
この本が多くの人に読むことができるようになっていないということ自体、さまざまな「障害」への認識が不足していることに他ならないのではないかと私は思うのですが、いかがでしょうかー。
そして、例え障害があっても、その子に向き合ってその子の特徴を掴んで地道に対応していくだけであり、それは障害のあるなしにあまり関係がないのではないかと、私は自身の教室でさまざまな子と出会い対応していく中で思っています。
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