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子どもたちに広がる携帯電話、それに付随して広がる負の側面については、私もある程度把握していたつもりでしたが、この本を読んで、「大人たちが私利私欲のために子どもたちを引きずり込む巧妙な仕掛け」についてあらためて知ることができました。
その底知れぬ手口に暗澹たる思いでいますが、肩を落としているばかりでは始まりません。大人がこの実態をしっかりと知ることから始めて、それぞれの家庭で対処していかないことには、どうしようもないことだと感じます。
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[第1章 急拡大した学校裏サイト]から 【学校裏サイト発信の問題点】より
《わいせつ情報発信の中には誹謗中傷につながる書き込みもある。たとえば「虫食いの名指し」で「クラス○○は兄としている」という書き込みがなされていたり、「○○は○○が好きだ」とか「エンコーしている」などという書き込みもある。また、近県の教師からは「わが校の学校裏サイトで『○○は母親とできている』などという書き込みがなされて困っている」という訴えもあった。》
《このような子どもたちの発信が行われる原因は、社会常識に乏しく論理的なブレーキもかからない、というよりそのような心のブレーキが子どもの中に育っていないことにある。換言すれば、心のブレーキとしての自制心が未熟な思春期に、最高度な編集・発信機能を有するケータイを「暇つぶしの道具」として与えて、好き勝手にさせていることが問題を生む根本原因なのだ。
子どもたちの危ない情報発信、たとえば「ためにする噂話」などに関していえば、おおむねそのできばえが幼く、微笑さえ誘うものの、たわいもないやりとりの中から突然生まれる割れたガラスの破片のような誹謗中傷の危険な書き込みからは、子ども同士が互いに傷つけ合っているという印象さえ受ける。そこには大人社会の名誉毀損とか誹謗中傷問題とは比較できない深刻さがある。》
●携帯電話はもはや「携帯電話」ではなく、「ケータイ」という小さいけれど底知れぬ威力を持つ道具(モンスター?)と考えなければいけない、と聞いたことがあります。
著者の言っていることに全く同感です。年端も行かない「子ども」に、なぜこのような高機能で操作が簡単なモンスターを与えてしまうのかー。それは親の育児放棄に近いものがあると私は感じます。
「面倒だから与えておこう」「与えておいた方が連絡が取りやすいから与えておこう」では、ちゃんとしたコミュニケーションを取って育てて行くというプロセスを放棄しているのと同じことではないでしょうか。
どうしても必要であれば、話し合った末にまずルールをしっかり作ってから与えるものであることは明らかですし、日本ほど簡単に子どもにケータイを与える国は他にないと聞いています。
そういった意味では、子どものことをちゃんと考えることをせず、それどころか子どもから利益を貪ることしか考えない、我利我利亡者の国です。
そして気がつけば、何をするにもケータイがないと「できない」ようなシステムにしてしまおうとしている。一手間かけて、他の連絡方法などをもはや作っておこうともしないようなことが、世の中にはびこっています。その一手間を抜くことが、世の中を恐ろしい方向に押し流そうとしているのではないでしょうかー。
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