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待望の?内田樹さんの新著が手に入りました。最近内田さんは本をたくさん出していますが、図書館はすぐ購入するとは限らず、また購入されても即「予約」する方が結構いらっしゃって(私と同じように待ち望んでいる?)、なかなか歯がゆい日々を送ることになります‥。
内田さんのブログも私は定期的に拝見しており、そちらも読み応え十分です。最近は、麻生内閣「後」を予想された文章を書いており、はたしてそのようにコトが進むのかどうか、私は興味津々です。
●今回の本は、大阪大学総長の鷲田清一さんとの共著です。
本の帯には、「いつまでも若くいたいと思うのは勝手だけど、いつまでも子どもでいたいというのはムシがよすぎませんか?」とありました。
以下、気に留めた部分を抜粋させていただきます。
[1章 対談「大人学」のすすめ]から
【クレーマー天国 「失われた責任者を求めて」】より
《内田:消費によってしか自己表現ができないと信じているからこういうメンタリティーが生まれるんです。それが学ばない子どもたちや労働しない若者たちを生みだしている。彼らはあらゆるものを「商品」としてとらえようとしますから、消費者が陳列棚の前で商品を選ぶように、あらゆるものについて費用対効果を吟味する。
でも、このマインドは「学び」を動機づけることができない。「学び」というのは、自分がこれから学ぶものの意味や価値がまだわからない。だから「学び」を通じて、自分が学んだことの意味と価値を事後的に知る、という時間の順逆が逆転したかたちの営みだからです。消費者マインドにはこれが理解できない。自分がこれから買おうとする商品の価値や有用性を知らないで商品を買う消費者というのは存在しませんから。》
●《「学び」というのは、自分がこれから学ぶものの意味や価値がまだわからない》とありました。
内田さんは数多ある著書の中で、繰り返しこのことを伝えているように思います。このことがいかに重要か、ということでしょう。
私もそう思います。学ぶものの意味や価値が易々とわかるとしたら、その学びは大したことがないものでしょう。なかなかわからないからこそおもしろいし、やりがいがある、そのようなものが真の学びであるし、大概それは一生かかって学びつづけるものになるのではないでしょうか。
らくだ教材は、説明や例題などほとんど省かれ、「とにかく自分でやる」ことから始まります。
学習であることはもちろんですが、学習というよりも、「毎日の修練」に近いものです。
意味は後回しで「やる」ことに重きを置いています。その意味や価値は後からわかってくるという点において、内田さんの提唱する学びに近いものだと私は感じています。
「これをやれば必ず○○高校合格のレベルに到達する」という類いのものは、結局そこに到達するだけのものでしかないでしょう。そんな狭い視野ではなく、もっと先を見通した素養ー蓄積された学力と自分で学び続ける力ーがあれば、人生を切り拓いて行く力に通じると私は信じています。
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