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《今、結婚に際して多くの若者たちは「価値観が同一であること」を条件に掲げる。二人で愉快に遊び暮らすためにはそれでいいだろう。だが、それは親族の再生産にとっては無用の、ほとんど有害な条件であるということは言っておかなければならない。
というのは、両親が同一の価値観、同一の規範意識を持っている完全に思想統制された家庭で育てられた子どもは、長じても教えられた価値観に整合する事象以外のすべてを「存在するはずのないもの」あるいは「存在してはならないもの」として意識から排除するようになるからである。
スターリンや金正日の統治が非人間的であるのは彼らが「間違った社会理論」に基づいて社会を構築したからではない。「正しい唯一の社会理論」に基づいて社会を構築したからである。
そこでは、公式の価値観に整合しないもの(例えば支配者に対する異議申し立て)は「存在しないもの」として無視されるか、「存在してはならないもの」として排除される。「両親が同一の価値観を持つ家庭」というのは、比喩的な言い方を許してもらえれば、「北朝鮮化された家庭」のことである。
思想統制された国家から知的なイノベーションや創造的な芸術が生まれることがきわめて困難であることに人々はすぐに同意してくれるが、構成員が同一の価値観をわかちあう家庭からイノベーティウ゛で成熟した市民が育つ可能性はきわめて低いということにはほとんどの人は同意してくれない。
しかし、原理的にはこの二つは同じことなのである。
私たちの社会から成熟した大人が消滅しつつあるのは、その当たり前のことを私たちが忘れたからである。》
●この文章を読んで、「ムムムムム…」と思ったのは私だけではないでしょう。
一般的には、価値観が同じ両親の方が「子育てをしやすい」と信じ込まれているのではないでしょうか。ところが、「それは親族の再生産にとっては無用の、ほとんど有害な条件」と言い切られてしまうとはー。それどころか、「北朝鮮化された家庭」とまで言われてしまうとはー。
でも確かに、そうかもしれない。両親共にいわゆる教育熱心で、例えば受験競争に煽り立てるような家庭であったら、子どもは息つく暇もないでしょう。
私も子どもたちに対して、両親共に連れ立って責め立てることはなるべくしないように心がけています。時おりどうしてもしてしまう(やらざるをえない?)時もありますが、なるべく異なったスタンスで子どもに接する方がいいとは感じています。
らくだの生徒たちに対しても同じです。親御さんが熱心な場合と、そうでもない場合、また全然そうでない場合、それぞれに応じて子どもとの距離、伝えることも異なってきます。
例えば、やることになっていたプリントをあまりやってこなかった場合でも、子どもをいつも怒ってしまうような親御さんだと私は違う対応を取りますし、あまり怒らず平気でいるような親御さんだと私の方が少々怒りめで?接したりすることもあります。
両親の「生きて行く方向」は同じ方向を向いている必要があると思いますが、「価値観」は同一ではない方がいい、そのことは今後も頭に入れて子どもたちに接していきたいと思います。
また、「両親の価値観は同じじゃない方がいい」と聞くと、別な意味で「安心」もできますね…?。
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