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この本は、他の本を借りようと行った図書館の「新刊コーナー」にたまたまあったので手にとったのですが、著者の「英語」「留学」「教育」に関する考え方に共感しましたし、日本人の留学の実例に触れて唖然としたりやっぱりと思ったり、いろいろと考えさせてくれました。手にとってよかった本です。
本書の中で、もっとも共感したのは以下の二点です。
《テストのために勉強するということがなくならない限り、日本人が真の英語力を身につけることは難しいでしょう》
ーこれは、「英語力」に限らないことではないでしょうか。この国の教育に携わる人たち、ことに今後の教育のシステムを動かしていくような方々には、このことを今一度しっかり考えてほしいものです。
《物事を深く考え、自分なりの考えをまとめることができる能力を持ち、そして努力することを苦としない子どもは、どんな会社に入っても、どんな国に行っても、そしてどんな時代になっても困らない》
ーこれは私にとってとても勇気づけられる言葉です。らくだ学習を通して身につけてもらいたいと思っていることだからです。
以下、他に気に留めた部分を抜粋しますー。
【まえがき】より
《世界の中で、高校受験、大学受験、就職試験に至るまで英語を課しているのはおそらく日本くらいじゃないでしょうか。英語ができないのは頭が悪いと思い込んでいる人がいるくらい、日本人は英語コンプレックスを持っています。これは、ひたすら英語が学力を試される対象とされているからに違いありません。
いくら小学校から英語を教えても、このコンプレックスの原因を解決しなければ、日本人は本当の意味で英語をモノにすることなんかできません。
語学とは本来、体で覚え、何かをするために使う“道具”です。いくら自分の運命を決めるためとはいえ、テストのために勉強するということがなくならない限り、日本人が真の英語力を身につけることは難しいでしょう》
《日本には英語力をつけることが留学の目的と考えている人が、まだたくさんいます。またその心理を利用した留学エージェントができては消え、消えてはできの連続で、世界のあちこちでちょっと考えられない留学をしている日本人がワンサといるのです。アメリカの南部のさびれた町のさびれた大学に日本人が200人もいるとか、カリフォルニアのロングビーチにあるアパート一棟に住んでいるのが全員日本人留学生とか…。しかもその人たちが目的としていた英語力さえ身につかないといった有様です。
また、英語を学ぶのは早ければ早いほどよいからと小学生をひとりで留学させ、自分のアイデンティティーを失ってしまって立ち往生するといったような「帰国子女問題」を親ぬきで経験してしまうことすら起きています。
本書では、私が見聞きした世界中のあちこちで起きていることを紹介するとともに、英語はなんのために、留学はなんのために、もう少し突っ込んで教育とはなんのために、ということを考えてみたいと思います》
【親は子どもをどう育てたいのか】
《留学カウンセリングに長く携わっていると、「ぜひ我が子を留学させたい」という親御さんに多く出会います。中には「できるだけ早くから、小学生から」という親御さんもいて、頭が痛くなる思いをすることも数えきれません。そんな親御さんに出会うたびに思うのは、「いったいこの人は、我が子をどう育てたいのか。どんな人生を送り、どんな人間になって欲しいのか」ということばかりです。
おそらくそんな親御さんが考えているのは、「頭のいい子になって欲しい」なんでしょうね。
幸福感とは人それぞれによって違いますし、国によっても異なるものです。とにかく健康で食べるのに困りさえしなければ幸せという人は世界中にたくさんいますし、その一方で富と名声に恵まれなければ幸せとは言えない、と断じる人もいます。
衣食住に困らない現代の日本では、「幸せ」を実感しにくいのかもしれません。それでもなお、人は「幸せになりたい」「我が子に幸せになって欲しい」と願うものです。
ここで忘れないで欲しいのは、頭のよさが常に幸せに結びつくものではない、ということ。頭がよく、素晴らしい学歴の持ち主になったとしても、近くで見ていて幸せそうに見えない人というのは、多いものです》
《となると、親が子どもに求める「頭のよさ」や「幸せの形」はどういったものが望ましいのでしょうか。このことは個々の親が考えなければならないことですが、ひとつ言えるのだとしたら、「自分で考える力」を持った子どもは強い、ということ。さらに、コツコツと地道な努力を重ねることができる忍耐力があれば、申し分ありません。
習得能力のよさだけでなく、物事を深く考え、自分なりの考えをまとめることができる能力を持ち、そして努力することを苦としない子どもは、どんな会社に入っても、どんな国に行っても、そしてどんな時代になっても困らないものです》
【これからの英語教育のあり方】
《英語力がありさえすれば」と信じ込んでしまうことには、日本の教育機関や企業にも責任があります。今やすべての入学試験に英語が入っていますし、仕事内容にまったく関係なくても入社試験には英語の試験が入っています。そのため、「英語さえできれば」と信じ込んで子どもの頃から英語漬けにするようなむちゃな親が生まれてしまうのです。
この悪い風習を断ち切るには、高校、大学、就職の試験から英語の科目を取り去ってしまうことが必要です。大学は学ぶ内容に合った試験をするべきだし、就職だって仕事内容に役立つ知識の有無を確かめるための試験をするべきです。使う必要もないのに、英語力を調べる必要は、どこにもないのです。
もし試験から英語の科目がなくなるか、あったとしても初歩的なものだけにすれば、今のように「何がなんでも英語力」という考え方はなくなるはずでしょう。子どもに英語を学ばせることだって、そこに受験がからんでくるからやけに必死になる親や、小さな頃から留学させようというむちゃな親が出てきてしまうのです。
子どもに英語を学ばせ、英語に親しませることはよいことです。受験に関係がなければ、もっと楽しんで英語に親しむことができるはずだし、日本語が不充分なのに英語漬けになって、肝心の日本語が怪しくなってしまうという悲劇は起こらないのではないでしょうか。
英語ができれば未来が広がるというのも思い込みなら、英語ができなければ留学もままならないというのも思い込み。
中3レベルの英語教育を充実させ、「英語で何をするか」を考えさせること。それがこれからの英語教育に欠かせない視点ではないでしょうか》
【恵まれた若者は世界に貢献せよ】
《日本という小さな島国で偏差値のことばかり気にして受験に取り組み、大学に入ったら遊びまくる。卒業が間近に迫ったら今度はよりよい企業に入ることばかり考え、社会人になって初めて社会の現実を知って愕然とする…。これが、日本の若者です。
留学という機会を得て日本を飛び出し、厳しい教育システムの中で苦労しながら、自分探しをする経験を積むことで、どんな人でも日本という国を意識するようになるものです。そのとき、ぜひ持って欲しいと願うのは「地球人」という大きな視野です。
地球がどんな状況に陥っているかを考え、地球人として国を越えた仲間とともに何ができるかを考えること。そして、どんなにささいなことでも、自分にできること、役に立てることを考えることは、恵まれた人の使命だとさえ言えます。
そのような若者が増えていけば、きっと日本の教育システムも、日本の価値観も、そして日本という国自体も変わっていくことでしょう。日本が変わるための刺激を与えることも、広い目で見れば立派な社会貢献です》
※『留学で人生を棒に振る日本人ー“英語コンプレックス“が生み出す悲劇』
(栄陽子・扶桑社新書)
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