|
【『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を読む】よりー
《人間は「フェアネス」の実現と、「信頼」に対する応答のために働くときにその能力の限界を超える。
阪神の金本選手は契約更改のときに、「自分の棒給を削っても、スタッフの給与を増額してほしい」と述べた。これを「持てるものの余裕」と解釈した人もいるだろう。けれども、私は違うと思う。
金本知憲という人はどういう条件であれば自分のモチベーションが維持できるかを経験的に熟知しているのである。彼の活躍を「わがこと」のように喜んでくれる人間の数をひとりでも増やすことが彼自身のモチベーションの維持に死活的に重要であることを知っているからこそ、彼は「フェアネス」を優先的に配慮したのである。
ベネフィットを分かち合うことによって、ベネフィットの継続的な享受システムを基礎づけること。これは人類学的な「常識」に属する》
●これも、深い…。そして、わかるーような気がする。
《今必要なのは、「自分のもとに流れ込んだリソース(財貨であれ権力であれ情報であれ文化資本であれ)を次のプロセスに流す」という「パッサー」の機能がすべての人間の本務であるという人類学的「常識」をもう一度確認することである。
私は大学を卒業してすぐ無業者となり、しばらくして平川くんと会社を立ち上げて経営者になった。
仕事は愉快で、棒給もたっぷりいただいていたけれど、その会社を私は三年で辞めた。その会社での自分のキャリアパスの見通しがあまりにわかりやすかったので、ちょっと脱力してしまったのである。
私たちの労働意欲を担保するのは必ずしも「未来が保障されている」ことではない。
「未来が未知だから」こそ働く意欲がわくという若者はいつの時代にもいる。
そのことを誰かがアナウンスしたほうがいいと思うので、ここに書きとめておくのである》
●私は、東京でのフリーター(どうもこの呼び方はしっくりこない。当初は‘フリーアルバイター’と言っていた)生活を経て、Uターンして‘介護生活’、そしてジンベ(西アフリカのタイコ)のインストラクターとしての浪人生活?を送った後に、らくだメソッドを使った私塾を主宰することになり、やればやるほどこれは“天職”に近いのではないかと思うようになってきました。
若い頃はずっと、自分の将来を固定したくなかった。「未来が未知だから」ワクワクしていられたように感じます。
今も「安定」しているわけではなく、「発展途上」だと思っています。だからこそ、日々意欲が湧き、向上し続けたいと思えるのかもしれません。
【不意にやる気がなくなったー創造的労働者の悲哀】よりー
《労働は国民の義務である。
「条件が揃っていれば働いてもいい」というような贅沢を言える筋の話ではないのである。
「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。
なぜなら、“人間はなぜ労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されない”からである》
●“人間はなぜ労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されない”、全く私もそう思います。
「とにかく、いいから黙って働け」と私も言いたい気はしますが、それを言うにはあまりに社会の構造が変な方向に進んでしまっているようにも思うので、難しいところです。
|