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《もしも、最初にキニエラ(サッカーくじ)の配当金を手にしていたら、どうなっていたのか。お金の苦労はしなかったはずだ。つまり本を書くことなどなかっただろう。お金がないという状況が僕に三冊の本を与えてくれたのである。
また、バルセロナで二番目に苦労したのは言葉。日本を出る前、言葉の準備をまったくしていなかったため、当初、スペイン語はちんぷんかんぷん。冷や汗をかきながらスペイン語学校の入学手続きをし、滞在許可証の申請をした。妻と辞書を引きながら、幾通りものスペイン語の文章を作って滞在許可証申請文の作成に挑んだ。
配当金を手にしていたなら、きっと通訳の人を頼んで簡単に済ませていたに違いない。この苦労が後々スペイン語の上達につながり、より多くの経験と友人を得ることができたのだ。
バルセロナのコーチングスクールで知り合ったアグスティーンは、私のために授業の内容を分かりやすくまとめたノートを作ってくれた。
「マサシが頑張っているから、協力するんだよ」
ウインクしながら手渡してくれたことは忘れない。
さらにウインクしながら手渡してくれたことは忘れない。
さらに、僕は歩くことができない。この歩けないの「ない」が、多くのものを与えてくれる。たとえば人の優しさ。歩けていたときよりも、たくさんの優しさを受けている。
「ない」ということ、それは大きな可能性を秘め、多くのことを与えてくれるのだ。「ない」って捨てたものではない。
●羽中田さんは、サッカーくじを買ったら当たっていたのに、それに後で気づいて当時とても後悔したことがあったのだそうです。
しかし今になって思えば、それが当たっておらずお金に困っていたからこそ、スペインで生活するために四苦八苦して本を書いたということでした。
言葉の問題にしろ、自分自身が苦労して覚えようとしていなかったら、習得できていなかったかもしれないのでしょう。
さらに車椅子に乗っているからこその出会いもいっぱいあったことでしょう。
そう考えると、「ない」からこそ、欠けているからこそ、そこには大きな可能性があるし、多くのことを与えてくれるという羽中田さんの言葉に私も共感します。
でもこのことってもしかしたら、これまで意識していなかったけれども、日常生活を送る上で当然のことなのかもしれません。
「できない」からこそ「できる」ようになりたいと思いそれに向けて努力するのですから。
人間が生きていくっていうのは、常に「初めてのことにぶつかって、それを乗り越える」、その繰り返しですよね。
そう考えると、初めてのことができなくても当たり前だし、それを人と比べる必要もない、「初めてのことを躊躇せず飛び込んで行く」、それが「生きる力」なのかもしれないと、フト思いました。
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