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羽中田さんがTBSテレビの「情熱大陸」に出演すると知り、私はとても楽しみにしていました。もっとも、よっぽどのサッカー好きじゃないと、彼のことを知らないでしょう。
現在私と同じ歳の頃の彼は、高校時代に山梨県韮崎高校サッカー部で全国大会に出場し準優勝2回、フォワードとしてその類いまれな才能を見込まれ、将来を有望視されていました。
しかし彼は事故により下半身不随になり、サッカー選手としての道を若くして閉ざされたのです。
その後山梨県庁に就職したものの、ちょうどJリーグが始まった年に、同年齢で高校時代に共にサッカーをやっていた仲間たちが活躍する姿を見て、いても立ってもいられなくなり、車イスに身であることを重々承知の上、サッカー指導者としての道を歩み始めたのでした。
●私と羽中田さんとの縁ー
それは、ごく小さな接点に過ぎません。でも私にとっては忘れられない出来事です。
私は20代後半を東京で過ごし、フリーターの走り?として働きながら、さまざまな人との出会いを重ねていきました。そしてとある縁から、山梨県で行われた(多分甲府市)フリーマーケットでタイコを演奏する機会がめぐってきたので、仲間とともに訪れたのです。
その仲立ちをしてくださったのが、羽中田さんのお連れ合いのまゆみさんだったと記憶しています。フリーマーケットが終わってから、羽中田さんのお宅にお邪魔してみんなで宿泊させていただいたはずです。もう15年程前の話ですから、記憶違いがあるかもしれません。でも、泊まらせていただいた古くて赴きのあるご自宅の雰囲気は、まだ頭に残っています。
そこで出会ったのが、羽中田昌さんでした。その当時から車イスでしたが、高校サッカーで将来を嘱望されていたことや、事故のことなどを私は友人仲間から聞いていました。
しかし何といっても驚いたのが、「将来サッカーの指導者になるための勉強をしたい」ということでした。彼は車イスの身です。高校時代に活躍したといっても、その身体でサッカーの指導者になるなんて、私には「単なる夢」にしか聞こえませんでした…。
その後、友人から羽中田さんのお連れ合いが鍼灸師の勉強を始めたという話を聞きました。そしてそれから、「二人でサッカーの勉強にスペインに留学するんだってー」という話を聞いた時には本当に驚きました。
「あのとき話していたことは、『単なる夢』じゃなく、『実現させるための本当の夢』だったんだ!」と私はさらに驚きました。
それから羽中田さんの話題をすることはなくなり、私自身札幌にUターンして来ましたから、全く疎遠になっていました。
●その後サッカー界やマスコミに注目を浴び、彼とメディアでの「再会」を果たすー
そして再び羽中田さんのことを知ったのは、確か二年程前でした。突然「徹子の部屋」に出演したのです。まさしくあのときの羽中田さんで、Jリーグの監督を目指しているという話をしていたと思います。
そして今回です。今話題の、いわば最先端の活動をしている人物を取り上げている「情熱大陸」です。それの次週の予告に出たのでびっくりでした。
四国で将来のJリーグ入りを目指すチームの監督として、日々試行錯誤の日々を送っている姿が映し出されていました。そして、お連れ合いは鍼灸師の資格を活かして、選手のケアをしていました。私にとってはとても懐かしいお二人の姿でした。
ここまで至るには、どんな苦労があったことでしょうか。でもお二人にとっては、これがゴールというわけでは全然ないでしょう。羽中田さんは、まゆみさんの励ましがあったからこそ、挫けそうになっても諦めずに続けてこられた、と言っていました。
まゆみさんは、「夢は逃げて行かないんだから」と常に話していたそうです。
私にとっては、スゴイ、スゴイ、スゴ〜イ生き方のお二人です。「人生のお手本」と言ってもいいでしょう・・・。彼らの姿を見て、本当に自分自身励まされました。
その後ネットで調べてみると、“スポーツエッセイスト”でもあり、何冊か本を出したり、講演活動も行っているとのことでした。彼の著書を読んでみようと思います。
最新刊『夢からはじまるー車椅子のサッカーコーチ』(集英社)
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