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【いまでは塾が「ゆとり教育」を始めている】
《「世の中のため」「すべての子供たちのため」と言いつつ、本当はどうなんだろうと疑わせるような論者が少なからずいたなかで、「世の中のため」「すべての子供たちのため」というきれいごとの錦の御旗を掲げなかったのは、日能研ぐらいだろう。日能研は塾の勧誘のために、学校教育を批判した。
そして日能研はいま「ゆとり教育」をスタートさせている。もちろん従来の受験指導は行っているが、2002年から総合的に考えるコースをスタートさせた。実は彼らが考える理想の教育も「ゆとり教育」だからだ。
先日、その教室を見学した。フリースクールのような自由な雰囲気で、大きな机のまわりにイスが置いてあり、そこで子供たちは自分で学びたいものを学び、考えている。
日能研の立場ははっきりしていた。「ゆとり教育」の理念は長期的には正しい。けれどもすぐには教育現場にフィットしないだろうし、親の賛同も得られないだろう。そこでまずは、「円周率よ、さようなら」と、「ゆとり批判」をして親の不安をあおり、入塾者を増やす作戦に出た。しかし、長期的には「ゆとり教育」的なもののニーズが高まるだろうと読んで、先取り導入していたのである》
【理念と現実は一致しないのが当然】
《「寺脇は理想を押し付けている」と言う。しかしそうではない。私は現実を見ている。
大学受験予備校で言えば、私たちの時代は駿台王国だった。いまは河合塾だろう。駿台も代ゼミも一時の勢いはない。河合塾は偏差値指導一辺倒ではない。新しい「ゆとり教育」的考え方にのっとった進学指導をされているのだ。塾では、四谷大塚が一時の勢いを失い、学研に併合された。四谷大塚というのは、詰め込みの典型だった。
世の中の動きは早く、現実は言論人、学者、マスコミの理念などとは違うところで動いている》
●「教育というのは、私学から始まった」
ーという観点からの文章を最近読みました。確固とした考えを持った人物が人間教育を行っているところに、自分の子どもを託したいと思って通わせたのがはじまりで、そこに行けないような人びとのために国家が教育を施すようになっていったーと。
そういえば、アメリカにしろどこにしろ、有力な大学は私学であり、多額の費用がかかります。
私学だからこそ、「国の役に立つ人材を育てる」のではなく、「進取の気風に富んだ自由な」人材を育てることを、旗印にできるのだということでした。
そう考えると、「公立」が一番遅れてしまう(時代の先を読まないという意味で)のは、しょうがないことなのかもしれません。
上記の塾の戦略は、良い悪いは別にして、時代の先端をいくものだと感じます。
寺脇さんは、その公立の学校に風穴を開けようとしていたのですから、最先端を行っていた人だと私は感じるのですがー。
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